食いしんぼ大公妃、ほったらかした大公と食事を共にする
夕食の仕込みを手伝っていると厨房にフレデリックがやってきた。
「マリーズ様。ラファエル様が晩餐をご一緒したいとのことです」
「え!」
マリーズはその言葉に固まった。愛を求めるなとかなんとか色々言われ、食堂で食事をしていた時も一度も一緒になったことがないのに何事!?
「もしかしてフレデリックが無理を言ったの?ラファエル様を困らせることはしたくないんだけど?」
「いいえ。今回の食事改善をマリーズ様主導で行っていたことをお知りになりまして、ラファエル様が共に晩餐を取りたいと」
「私余計なことをしたって怒られるのかしら?」
「いえいえ、ラファエル様も大変喜んでおられましたよ」
フレデリックの顔を見ると嬉しそうなので嘘ではないのだろう。
マリーズは悪い話ではないようで安心した。下手したら明日王都の自邸へ帰れと言われるかもしれないのだから。
「わかりましたとお伝えください。楽しみにしておりますとも」
「かしこまりました。晩餐の時間は7時でございます」
そう言ってフレデリックが去っていった。
「良かったですね。さあこうしてはいられません。マリーズ様の準備をしなければ」
「私みんなとご飯食べたかったのに食べられそうにないわね」
「当たり前です。何があってもいいように準備をしておきますので」
ラファエルは食事改善について何か言いたいだけだろう。喜んでいると聞いて嬉しく思ったが、あの夜がすぐに蘇り形式的に呼ばれただけだろうとマリーズは思った。
何が起こるというのか。
それよりも今では厨房のみんなと食事をするのが一番の楽しみだったというのにそれができないことを残念に思った。
「マリーズ様、なんて顔をしてらっしゃるのですか。もしかして、大公様と一緒では食事量が足りないと心配されているのですか?」
マクギーが聞いてくる。
「そうではないようでいてそうなようで」
この3週間。使用人用の食堂から全ての人がいなくなってからマリーズはマクギーたち料理人見習いのみんなと侍女隊で一緒に食事をしていた。
初日に思った以上に好評で、マリーズがたくさん食べられなかったことを悲しんでいたことを考慮した量をマクギーはそれ以来作るようになっていた。
他の料理人見習いたちも始めはそんなマリーズに驚いていたものの、あまりに美味しそうに、そして楽しそうに食べる姿に今では一番の目的はマリーズに美味しいものを食べてもらいたいになったほどだ。
みんなで食べる食事は美味しいし、マリーズはお腹いっぱい食べられる幸せを噛みしめていたというのに、ラファエルと晩餐となるとそうもいかない。
終わったら厨房に顔を出すから残しておいてと本当は言いたいくらいなのだが、さすがにそれも恥ずかしい。
「ラファエル様とはこの先も食事を一緒にされることが出てくるでしょうから、どうせなら晩餐にいつもの量をお出ししましょうか?」
マクギーからのまさかの提案である。
そうなのだ。この先ずっと使用人用の食堂で食べられるわけでもないし、1か月が終わればまた一人であの食堂で食べるのだ。
その時はフレデリックがいたり、給仕担当メイドがいたりとするのだから、このままではずっと満腹感を得られない。それなら一層のことラファエルの前でたくさん食べるのはどうだろうか?
視線を感じそちらを見るとメグとカレンが笑いを堪えている。マリーズがどんな答えを出すかもう分かっているのだ。それなら。
「じゃあそうしてちょうだい。マクギー素晴らしい提案をありがとう。私はここで生活していくのだから隠し通せないわ。
食後厨房に顔を出してまた食べているのを見られるくらいならラファエル様の前でいつも通り食べて呆れられる方がマシよね。
私の印象なんてこれ以上悪くなりようがないもの」
その言葉にその場にいた全員が悲しい顔をした。
「恐れながらマリーズ様が噂のような方ではないことを僕たちは知っています。ラファエル様もいずれ気づかれますよ」
「そうですよ。誰が言い出したかわからない噂なんですし。こうやってお会いしてお話しさせていただいて、マリーズ様が素敵な方だって私はすぐに思いました」
「そうそう。噂は噂です。この城でそんな事をまた言っている人間は僅かですよ。
マリーズ様は兵士にも人気です。何せ、苦手な料理担当をしなくて良いようにしてくれたのですから」
皆がマリーズを勇気づけてくれる。
「私、卑屈になっていたのかも。そうよね。これ以上嫌われることがないなら好きなことしないと。
私自身を見てもらって判断してもらわないといけないわよね。
だって一応夫婦なんだもの」
「そう、その意気です。さあ今から準備をしましょう」
「え?もう?早くない?」
「いいえ。最近お手入れを怠ってましたから指先から整えましょう」
「ロリアンは私たちのしていることをよく見ているのよ。そのうちしてもらうことになるから」
メグとカレンの意気込みが凄い。
「わかったわ。私たちは今日は抜けますから皆さんで乗り越えてください。よろしくお願いしますね」
「はい!お任せください!」
マリーズは厨房を後にし自室へと戻った。
「さあまず湯浴みからです。その後全身オイルマッサージをして、特に念入りに指先のケアをしましょう。
ロリアン、こういったことが侍女の本当の仕事よ。よく見てるのよ」
「はい!」
「さあマリーズ様は大人しくされるがままになっていてくださいませ」
「食事をするだけじゃない。大袈裟だわ」
「何をおっしゃいますか。体全体をリラックスさせて美しさを際立たせましょう」
メイドたちがかわるがわるお湯を持ってくる。
「ごめんね、急に準備させて」
「いいえ。マリーズ様がラファエル様とお食事をなさるのですから当然です」
メイドまで意気込んでいるようだ。そんなにしなくても何も無いのに。と思いながら結局マリーズはされるがままになった。
湯につかり全身をきれいに洗われ、髪を丁寧に乾かすとメグお得意のオイルマッサージの時間だ。
メグにマッサージされると体が軽くなる。マリーズは眠りそうになるのを何とか堪えていた。
カレンはその手伝いで指先をすっとマッサージし続けている。こちらはクリームを塗り込んで最近水仕事で荒れていたのを少しでも滑らかにしようとしているのだ。
それらが終わると衣装選び。上品かつ楽に着れるワンピースを選んてもらった。
少しくせがありながらも艶のある髪は丁寧に梳かれ、ハーフアップで髪留めをつけられた。
それは以前誕生日にラファエルから贈られたものだ。サファイアの髪留めで、キラキラと煌めく姿に当時はかなり浮かれたのだ。自分のために選んでくれたと。ラファエルは覚えているだろうか?
いや、今の状況ではラファエルが選んだかも怪しいかもしれない。
ダメだ。また卑屈になってしまった。
結婚指輪の隣、中指にはルビーが埋め込まれた指輪がつけられた。
これはラファエルの瞳の色を身に着けていますとアピールさせるつもりなのだろう。
準備が終わり立ち上がったマリーズにロリアンはほうっと、溜息をついた。
「お美しいです」
清楚で可憐な令嬢、いや大公妃が仕上がっていた。
「私もあのマッサージ覚えたいです!」
「今度時間がある時に一度してあげる。その方が覚えると思うから」
張り切るロリアンにメグが言う。
「そしてマリーズ様にする前に私を実験台にするといいわよ」
というカレンにメグが自分がして欲しいだけでしょと呆れている。
「ふふ。あっという間に時間が過ぎてしまったわ。それじゃ行くわ。メグお願い。
カレンとロリアンは厨房を見てあげて」
時間は10分前。心も体も整った。大丈夫。ありのままの自分を見てもらおう。マリーズは食堂へと向かった。
マリーズが食堂に入るとまだラファエルは来ていなかった。カトラリーが二人分あるということは来るということだろう。土壇場でなくなりましたでも良かったのだがそうはいかないようだ。
座って待っているとしばらくしてラファエルが入ってきた。マリーズは慌てて立ち上がりカーテシーをした。
「晩餐にお招きいただきありがとうございます」
「楽にしたらいい」
ラファエルはそれだけ言うと座った。仕事着なのかカッチリと首元までの上着を着、黒のスラックスは足をより長く見せている。ただでさえ背が高いというのに。マリーズの身長はラファエルの肩まであるかしら?とそんなことを考えていると料理が運ばれてきた。
マクギーが宣言した通りマリーズの前にはラファエルの倍以上の料理が並んでいる。
今晩のメニューは、骨付きラムの特製ソースかけにガロデを茹でたものが添えられたものと、干しホタテで出汁をとったスープとサラダ2種類、チーズとパンにいたっては3種類ある。もちろんカットフルーツも。
ラファエルのラム肉は3本だがマリーズは10本ある。スープだけでも3皿あり、パンも籠にこんもりと入っている。
ラファエルが唖然とテーブルを見ている。
「失礼だがマリーズ嬢はそれを全部食べるつもりか?」
妻に嬢はないだろう。フレデリックがコホンと合図を送っている。
「いやすまん。マリーズはそれを全部一人で食べるのか?」
「はい。私こんな体ですけどたくさん食べるのです。お気になさらずと言っても無理ですよね?でも本当に残したりしないので」
「そ、そうか。ではいただこう」
精霊リューディアとスティーナに恵みを感謝すると二人は食事を始めた。
といっても何も話すことがない。呼ばれた立場としてはラファエルから話を始めて欲しいのだがその様子がない。仕方がないのでマリーズは食べることに集中した。
完璧なマナーで見惚れるような美しいカトラリー捌き、口元を汚すことなく華麗に食べるマリーズにその場にいた誰もが驚いているようだ。
食卓の上の皿はどんどん空になっていく。それに引きかえラファエルの皿にはまだたくさん残っている。
「ラファエル様、ご体調がすぐれませんか?もしそうなら何か消化の良いものを作らせましょう」
「いや、大丈夫だ」
マリーズが声を掛けると慌てた様にラファエルが食べ始めた。
「この辺りは高原なのでお野菜が新鮮でとてもおいしいです。果物も王都では見たことがなかったものがたくさんあって、しかも一年中いろんな果物が楽しめると聞いて楽しみなんです」
「そうか。たくさん取り寄せると良い」
「ありがとうございます」
そう言っているマリーズはもうフルーツを食べ始めている。このままでは碌な会話もせずに晩餐が終わってしまう。やっぱりこんなに食べたから呆れられたのかしら?でもありのままを見てもらわないと今後困ることになるし、呆れられたのなら仕方ないわね。
マリーズの食事が終わる頃ラファエルはフルーツを食べていた。それをじっと見る。
「何だ?これも欲しいのか?」
ただこのままではもう晩餐が終わりそうで、結局ほとんど何も会話がないまま終わってしまうと心配で見ていただけなのだが。
「いいえ、違います。私は充分いただきました」
「遠慮するな」
そう言ってカットフルーツの皿をマリーズの方へ渡してきた。これで断るのも失礼かとマリーズは受け取りありがとうございますと言って食べ始めた。
「やはり食べられるじゃないか。それにしても凄い食べっぷりだったな。それでいてマナーが完璧だから却って貪欲さも感じない。その手は魔法のようだ。そのなんだ、腹がおかしいのか?」
「おかしいとは酷いです。ちょっと人よりたくさん食べられるだけです」
「いやちょっとじゃないだろ。だいぶだろ」
ムムムとマリーズは思いながらも言い返すことができない。食べ終わりカトラリーを机に置く。さあ、どうするつもりだ?何も話してないけれど。
「フレデリックが食事中はマリーズが集中して食べられないから食後に部屋で話すように言われていたんだが、確かにその様子だと邪魔しそうだな」
「話しかけてくださっても大丈夫でしたのに。食べながら話せますから」
「そ、そうか、凄いな。どちらにしても少し部屋で話そう」
「かしこまりました」
マリーズはとりあえず食事量については特別嫌がられることも呆れられることもなかったので安心した。これで万が一また一緒に晩餐となっても大丈夫そうだと心の中で喜んだ。
ラファエル様のフルーツまでいただいてしまったわ。美味しかったから良いけれど。それより食後も一緒だとは思わなかったので対策を考えていない。
晩餐であればだいたい終わる時間は予測できるがその後となるとどうなるかわからないのだ。
明日の仕込みを手伝いに行きたかったのにできなくなったことが残念だ。
マリーズは立ち上がると気合を入れ直した。