新たな生活
新たな生活
「さてと。危機はとりあえず回避できたの。
おぬし。今後の当てはあるのかの?」
「……ないわ。家からも見捨てられたんだもの。従妹ならかくまってくれると思うけど、ボアルネ家に迷惑はかけられないわ」
「さようか。では、もうしばらく妾が身体を借りてもよいかの?身なりも整えたいし、飯も食いたいからの。箱入りの小娘では金の稼ぎ方など知りようもないじゃろ」
「借りるも何も、もう貴女のものよ。そういう約束じゃない」
「おうおう。豪儀じゃの。処刑台で終わっていたはずだからもうどうでもよいというのかえ?ククク。妾と和子がこの身体、自由にしたら、おぬしの人生はかなり歪むぞえ。他人にいい様にされ続けた人生をせっかく変える機会を得たというのに、また捨てるというのかえ?あの目をした小娘にしては随分と安い人生じゃの。ククク」
「……なぜわたくしに優しくするの?選択を与える真似なんかせず借りっぱなしにしておけば得じゃない?」
「ククク。アハハ!損か得かで言えば確かに損じゃな。じゃが、損得だけで物事を測る人生など何が面白いのじゃ?世間ではありふれた考えかもしれぬがの。一度しかない人生、それだけで終わってはもったいないと思わぬのかの?妾なぞは面白いかそうでないかがすべてじゃがの。そもそも妾は社会の外に身を置く剣仙じゃからの。俗人の考えなど理解できんでの」
「わたくしに選択を与えるのが何が面白いの?貴女の言う通り他人の言いなりの人生だったけど、これからそれが変わるとは思えないわ」
「気持ちは分からぬではない。まだ処刑を回避できたばかりじゃ。考える余裕なぞないのじゃろ。それを含めて落ち着けと言うておるのじゃ。
身なりを変え飯でも食えば少しは落ち着くじゃろ。それに、おそらく人生で初めて金を稼ぐ経験をしてみたくないかの?面白みのない人生に少しばかり色を付けたくなるかもしれんぞえ。ククク。まあ、損はさせぬわ。ククク。アハハ!損得か。最近、浮世離れした連中とばかり付き合っていたのでそういうのをコロッと忘れておったわ。アハハ!」
聖女の意向でわざと粗末な衣装を着せられた少女が勝手知るかのように裏路地を駆け抜ける。剣仙呂白雪が人の目の死角へと誘導するので、少女の姿はだれの目にも触れることがない。
「……どこへ行こうとしているの?」
「うむ。まずは肉屋じゃな。この世界にも冒険者ギルドがあるかもしれぬが、今は目立つのはよくあるまい。大金が必要なわけでもなし。一杯やって飯が食える程度の金が稼げればよいのでの」
「お肉屋さん?そこでどうやってお金を稼ぐのかしら?」
「仕入れの獣肉の注文を取る。あるいは解体の手伝いじゃな」
少女が場末の角で立ち止まる。
「ここがよい。よい肉屋じゃ。もちろん都合の良い肉屋という意味じゃがの」
店番をしているのは髭面の屈強な大男だが、少女は臆することなく店の前に立つ。
「よい肉屋じゃの。妾にひとつ、この店ではどういった肉が売れ筋なのか教えてくれぬかえ?」
「うおっ。びっくりした」
しかし、それっきり大男は少女をじろじろ見るばかりで声を発しない。
「ご明察通り妾は買い物客ではない。おぬしに儲け話を持ってきたのじゃ。儲けたついでに少し妾に金をくれぬかえ」
「……儲け話だと?」
「余計な前振りなしに話を進めるぞえ。どんな獣肉が売れ筋じゃ?妾がそれを狩ってきておぬしに飛び切り安く売ってやろう。妾は今のところ一杯やって飯が食える程度の金さえあれば良い。それ以外は皆、おぬしの儲けになる。悪い話じゃなかろう。うん?」
「……獣肉?何のことだ?店に並べてる肉が目に入らないのか?」
「だから、余計な前振りなしじゃと言うたじゃろ。
普通、街の貧民には肉は買えぬ。肉屋の客は貴族か金持ち(正確にはその使用人)が当り前じゃ。だから、まっとうな肉屋は表通りに近いところで店を出す。じゃが、おぬしは普段、貴族や金持ちが足を運ばぬ貧民ばかりの場末で店を出しておる。ククク。つまりじゃ。おぬしの商売は目立っては都合が悪いということになるの。人目を気にしているということじゃ。そこで、おぬしが商売を偽装していないなら、まっとうな人間からは顔を顰められるものを商っていると推察できるというわけじゃ。どうじゃ?違うておるかえ?」
「……」
「仕入れ筋への義理立てから躊躇しておるのかえ?
心配無用じゃ。こちらはあくまで臨時の小遣い稼ぎのつもりじゃ。妾は義理堅いのでな。商売にするつもりならきちんとおぬしの仕入れ筋に話を通すわ。決しておぬしに損はさせん」
「……うむむむ」
「まだ躊躇するのかえ。商売とは日々、賭けじゃ。儲けの機会なんていうものはすぐに手から滑り落ちるぞえ。商売人として大成したくば決断は早くした方がよいの」
「今は在庫がそれなりにあって買い取りたいものがほとんどないんだ。
だが。うーん。……売れ筋ではないが、訳アリの注文が入ってひとつだけ困ってはいる。
もっとも、女の細腕で狩れる代物ではないぞ。ヒポグリフだ。無理だろう?」
「目が節穴の輩に値踏みをされるのは気分の良いものではないの。妾は現物を持ち込んで買い取ってくれろと言うておるのじゃ。余計なことを言われると、ついへそを曲げたくなるの。
まあ。店を選んで持ちかけたのは妾じゃ。ここは抑えておこうかの。
半刻ほど待て。うまそうなのを狩って来よう」
「えっ。ど、どこへ行った?」
声はすれど、少女の姿はすでに大男の目の前から消えていた。
◇
「どういうことなの?話がまったく見えないのだけれど」
「簡単な話じゃ。前の世界ではとある宗教国家が幅を利かせておっての。陰でえらいさん達は食っておるのに、建前で魔獣の肉の食用禁止じゃった。じゃから、同じ事やっておるんじゃないかと推測したまでじゃ。ククク。やはりというべきじゃったの。そういう輩はどこにでもいて同じことを発想してやるものだの。ククク。
あの髭男の商売も前の世界で存在しておったんでもしやと思うたら案の定じゃ。妾にとってはなじみよ。よく稼がせてもろうたものじゃの」
「魔獣のお肉ね。確かに教会の教えから魔獣肉の食用はしない方がいいとされているけれど、魔術師なんかは魔力の増大につながるから好んで食べると聞いたことがあるわ」
「ククク。金さえ稼げればどうでもよい話じゃが、それはただの妄想じゃ。魔力は制御できねば霧散する。仮に魔獣の肉に魔力が含まれていたとしてもただ食べるだけで身につくようなものではないのじゃ。
人はおかしなものよの。こうあればいいなの願望がいつの間にやらその業界の常識になっておったりする。剣術家もどきの連中もよくこの手の妄想をやって実戦で命を落としておるの。妄想だと知る前にあの世行きなので連中、ある意味幸せかもの。
世の中、この手の連中は案外多いぞえ。ククク。どの分野においても専門家は物事をきちんと検証して徹底的に理解しようとするが、専門家もどきは理解しようとすら思わぬ。なんとなく気分で自分の願望を盲信して馬脚を露すものよ。若い連中に指摘でもされようなら烈火のごとく怒るがの。妄想の世界の住人は本当に度し難い。妾では到底、付き合えんの。ククク」
「ところで半刻とは一体どれくらいの時間の長さなの?」
「後漢では一日百刻制だったのでの。半刻とはだいたい7、8分じゃの」
「えっ。どういうこと?貴女、ヒポグリフを狩って持ち込むと言ってたわね。どうやってそんな短時間でできるの?嘘ついたわけ?」
「ククク。まあ、普通の人間なら無理なことよの。じゃが、妾は仙人。しかも、おぬしの身体を借りてもうかれこれ3時間が経つ。つまり、この身体で1万回は優に超える呼吸をしておるわけで、別の世界に置いてきた妾の身体とほとんど変わらぬくらいには仕上がっておるわ。ククク。
まあ。眺めておれ。剣術の達人のする魔獣の狩り方というのがどういったものかを見せてやろう」
◇
「陛下っ!大変です。星の聖女が。星の聖女が身罷りました」
「……かの聖女、使命があるとか申しておったのに死んでしまうとは情けない。
ヴァンサール伯。あなたは聖女の後見人だったな。聖女が偽物だった可能性もある。もしそうなら責任を取ってもらわないといけないな」
国王は内心、教会勢力と結びついて我が物顔で振舞っていた星の聖女を疎ましく感じていたので、聖女の突然の死の知らせを聞いても悲しくも感じないし不安も覚えない。それどころか虎の威を借りて威張っていたヴァンサール伯を凹ますことしか思いつかない。
「陛下っ!大変です」
「なんだ。星の聖女が亡くなったのならすでに聞いたぞ。フン。偽物の聖女の死など大騒ぎして何度も報せに来んでもよい」
「えっ!い、いや。そうではありません。隣国ランサーズの大軍が南の国境を突破しここ王都を目指して北上中とのことでございます」
「な、なにっ!
国境沿いの守備隊はどうした?ガルニエ伯は気は利かんが、まじめな男だったはずだ。それに何日かは粘れる程度の数がいたはずだろ?」
「それが完璧な奇襲だったようで、伝令の騎士2名を逃すだけで精いっぱいの有り様だったとのこと。守備隊長ガルニエ伯以下守備隊1500名全員戦死いたしました」
「あ。ああ」
驚きで一度玉座から立ち上がった国王は力なくへたり込んだ。
「もうお終いだ。麗しい花の都が蛮人どもの手によって焼かれてしまう」
「陛下。王都は危のうございます。至急サン=クルトまでお逃げください」
「ボアルネ公か。だが、それは無駄だよ。サン=クルトは確かに河に囲まれた要害の地で籠ればかなり長い間粘れるかもしれん。でもな。南部の国境を突破されたということは王家の支持基盤である南部地方がやられたということだ。籠城しても外から援軍が来ることはない。
余は愚かな王だ。隣国が狙っていたのは分かっていた。なのにどうして」
「ククク。アハハ!」
突然、小姓姿の何者かが耳障りな笑い声を立てる。
「なんだ!?おまえは?」
護衛騎士たちが駆け寄って取り押さえようとするが、バタバタと倒れてしまう。
「ククク。顔を見ても何者か分からぬかえ。少し前まで処刑台に立たされていたのだがの。国王をはじめ貴族のお歴々にとって濡れ衣で命を奪われかけた哀れな貴族の娘など眼中になかった、ということかの。ククク」
「処刑台?まさかデジレ・ド・クチュリエなのか?」
「半分正解じゃの。確かにこの身体はデジレという小娘のもの。だが、今現在は本人の承諾を取って世界の外からやってきた妾が借りておる。分かり易く言うと妾がデジレの身体に憑依して身体を動かしているということじゃ。
ククク。先ほど言うておったの。『なのにどうして』かえ?面白いことを言うの。軍略とは相手の隙を突くこと。要するに相手の方が軍略に優れおぬしたちは負けた。ただそれだけの事じゃ。後から愚痴っても意味がないぞえ。ククク。
じゃが、喜べ。おぬしたちの争いなど、本来なら妾にとってどうでもよいことじゃが、身体を借りているという恩義があっての。小娘のたっての願いでおぬしたちを助けることにした」
「……助ける!?」
「そうじゃ。北上しているランサーズの軍勢はおよそ5万。総大将は王弟のポールギャレット公で、実際に指揮をするのはダブルタング伯。そのほかこの攻勢を唆した魔族のスターリングも監察としてついて来ておるの。妾がこいつらを皆殺しにして始末をつける。
向こうとしては十分時間をかけて準備をし必勝のつもりの様じゃが。ククク。妾が助けに入る以上、阿呆面晒して皆、あの世行きとなるわけじゃ。戦場では思わぬことがよく起こるものじゃ。あやつらも『なのにどうして』などと情けないことは言うまいて。ククク」
「「「……」」」
「小娘の細腕でそんなことができるわけがない、とでも思っておるようじゃの。別に良いではないかえ?妾はおぬしたちに何かしてくれろと言うておるわけではない。失敗しても処刑されるはずじゃった小娘ひとりの骸が転がるだけじゃ。おぬしたちに損は一切なし。うまくいけば王都を焼かれず命も助かる。得しかなかろう。ククク。
まあ。その話はどうでもよい。あやつらを皆殺しにすることなど勝手に妾がすべきことであって、おぬしたちに告げる必要もないことじゃ。妾が背格好の似た小姓の衣装を引き剥いで王宮などという面白くもない場所にわざわざ出張ってきたのは星の聖女が死んで物語の筋書きがすっかり変わったことを告げるためじゃ」
「星の聖女に何の関係が?」
「星の聖女はランサーズの軍勢が襲ってくることを事前に知っていたのじゃ。その理由もの。
魔族たちは魔王の封印を解きたい。封印を解くための鍵がこの王都のどこかに隠されておる。それを探すためには王都を占領する必要がある。そこで、ランサーズを甘言で焚きつけたわけじゃ。魔族の幻影魔法による軍勢の隠蔽というおまけ付きでの。
一方、聖女にも都合がある。あの女にとって悪役令嬢を押しのけて王太子と結ばれるだけでは到底足りぬ。あの女がこの国で権力を握るには邪魔な国王以下貴族の連中には是非とも死んでもらわなければならぬ。王都が焼かれようが民がいくら殺されようがあの女にとってどうでもよいことじゃ。なんら腹が痛まぬからの。ククク。そこで、あやつの計画では、王都が焼かれる前に王太子と取り巻きを連れてとっとと脱出し北の友好国の援助を得て王都奪還の旗頭になることじゃった。やつと王太子がうまく魔族の陰謀を暴き王都を奪還すれば英雄となれる。そうすると、邪魔者はとっくに死んでおるこの国では聖女に逆らえる者はいなくなり、めでたしめでたしというわけじゃ。
なかなかの物語の筋書きじゃの。じゃが、ククク。デジレという小娘の身体を借りて一仕事せねばならぬ妾にとっては都合の悪い筋書きじゃ。幸いにもデジレは濡れ衣を着せた張本人の目の前で処刑されるなどまっぴらごめんと思っておったのでの。利害が一致し、本人の承諾の下身体を借りた妾が聖女を誅殺した。ここまで理解したかえ?」
小姓姿の美少女が国王たちに向かってニコリと微笑んだ。