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古強者剣士の女弟子

 古強者剣士の女弟子


 パンっ パンっ


 白目をむいた不良少年二人が路上にだらしなく転がりました。わたくしが教わった通り緩急をつけながら歩み寄り、ひとりには鳩尾に、もうひとりには顎下に気を纏った掌底を叩き込んだ結果でございます。


「好。教えたとおりの歩法ぞよな。纏った気を相手の経絡へ放つタイミングも完璧じゃ」

「……あの。お師匠様がとんでもなく酷いことをしないよう先に手を出したんですが」

「分かっておるぞえ。そもそもそなたは気に障ったからといって人殺しも打擲もできまい。理性的で優しい娘じゃ。社会の中の住人としてはほんに優等生じゃの。

 しかしながらじゃ。そんなことではそなた、これから訪れる悪役令嬢という過酷な運命には到底耐えられんぞえ。だからこそ経験を積ますためそなたと小僧どもを煽ってそなたが行動に出るよう仕向けたのじゃ。まったく馬鹿弟子を持つとほんに苦労をするの。

 そうそう。妾が以前剣を教えた女騎士もそなたに似た大馬鹿者じゃったの。騎士道馬鹿で、騎士道に反することはたとえ殺されてもできぬと言いおったわ。騎士とはそもそも権力者の暴力装置じゃろ。じゃが、その女騎士、たとえ主の命でも騎士道に反する殺生はできぬと公言しよったぞえ。アハハ。天晴な阿呆じゃ。面白いじゃろ。そういう奴じゃからこそ妾も剣を教えたのじゃ。阿呆も極点に達すればすごいものじゃ。妾はそれが見とうなった。その女騎士がどこまで奴の言う騎士道とやらを貫き通せるかをの。爽快な生き方をしている奴を見ると実に気分がいいものじゃ。アハハ。そなたも妾を笑わせてみせよ。ハハハ!」


 カツっカツっカツっ


「あの。お師匠様。先ほどからすごい目で(主にお師匠様を)睨みつけていた女の子が近寄ってきましたよ」

「フン。殺気を放てば殺す。そうでないならどうでもよい。捨て置け捨て置け」


 その痩せて長い赤毛の女の子はお師匠様に5歩まで近づいて立ちどまり胸を反らして腕を組みました。彼女はレイピア一本腰に吊るしておりましたが、わたくしと違いドレス姿でした。


「卒爾ながら女伯爵ジョゼフィーヌ・ド・メロード様とお見受けいたします。わたしはマリエッタ・ド・トリリアンと申すものです」

「うむ。前置きはよい。何用じゃ?」

「トリリアン将軍の名に聞き覚えがございますでしょうか?」

「ない」

「シャルル・ド・トリリアン将軍ですよ?」

「有象無象の名前など一々覚えておらぬわ。妾たちは忙しい。早う用事を言え」

「聞きしに勝る傲岸不遜さ。ならば言うてやるわ。わたしはあなたに試合を所望する。貴女に打ち勝ち、14年前、貴女に父上が万座でかかされた恥を雪ぐっ!」

「殺気がないということは野天の棒振り試合でもお望みかえ?ハハハ。半人前がよう吠えよるの。その意気は買うが、野次馬連中に唆され前が見えておらんの。誰を相手にしているのか分からぬのか」

「試合おうてくださるのですか?」

「いいや。断る。妾は蟻の子を踏み潰す趣味がないからの」

「先ほどからひとのことを半人前だとか蟻の子だとか言いたい放題。舐め過ぎなのではありませぬか?」

「逆におぬしのその自信の根拠を問いたいくらいじゃ。ああ。説明せんでよいぞ。どうせ妾たちがギゾーの塾に通うのをよく思っていない輩に煽てられたのじゃろ。詰まらぬの。

 フフ。妾は剣の達人じゃ。おぬしの腕前程度、容易に見抜ける。

 おぬしはそうじゃの。レイピア使いらしくなく、縦方向に運動せず、円を描くよう相対する相手の周りを右方向に動くじゃろ。そして突然、反対方向に回り出す。釣られた相手が慌てて中途半端な攻撃をしたところをその一歩手前に割り込み、肘と手首を使った斬撃を相手の首、頭、手首に飛ばす。それが失敗すればすかさず左手で相手の半身を押し、バランスを崩した相手に追撃をかけ致命傷を与える。こうではないかな?おぬし得意の戦法は」

「……」

「図星じゃろ。靴の減りが左右で違う。近寄ってきたときの目の配り方。足運び。呼吸。すべてがおぬしの癖を物語っておるわ。ククク。半人前では日頃の癖を覆い隠すこととてできぬものじゃ。それに引き換え、妾は潜った修羅場の数が違う。一目で相手の癖や技量を見抜けねば到底五体満足に生き残ってこれぬわ」

「……」

「蟻の子め。半人前のおぬしにはもったいない戦法じゃ。誰に教わった?」

「わが師はコインブラ流総帥アントニオ・デ・オリヴェイラ」

「ふむふむ。知らんの。じゃが、その名無しの師匠がその戦法を工夫したというのであれば剣士として三流ぐらいか。本人が来れば相手ぐらいしてやってもよいかもの」

「わたしばかりか総帥まで馬鹿にするのか!」

「そうそう。怒れ怒れ。そして、殺気を放てばよい。瞬きもできぬうちにあの世へ送ってやろうぞ。それで、おぬしとの退屈な会話もおしまいじゃ」

「……」

「妾はとても義理堅い。必ず恩には恩で報い讐には讐で返す。

 ただし、妾には決め事があっての。人殺しは相手に殺意がある場合に限ること。この枷がないと気分次第で人殺しをしてしまうからの。周りが死体だらけになって困るのでな。ククク。それで、厳に慎んでおるわけじゃ。

 おぬしが挑発に乗らず未だに殺気を放たないのはこの妾の枷を知っておるからじゃろ。枷をおぬしに教えたのは誰じゃ?おそらくその名無しの師匠じゃな。すると、狙いはおぬしを使って妾の手の内を少しでも知ることかの?おぬしが殺されては情報を持ち帰ることができぬから殺気を放つなと言い含められておるわけじゃな。

 ふむ。でも、不思議じゃの。14年前と違い、最近その手の輩に絡まれることもなくなったというに。

 先ほども言うたように妾は義理堅い。もう少ししたら妾自らその知りたがり屋の名無しの師匠のところへ挨拶に行こうかの。二度とこのようなちょっかいをかけられぬよう言いふくめにの。ククク」


 お師匠様がゾッとする笑いを浮かべながら言葉を重ねるごとにマリエッタ嬢の顔色が青くなる。


「ククク。また青くなったぞえ。おぬしの顔色を見るに大体の事情は分かったの。

 おぬしの師匠の狙いはおそらくは妾ではない。ギゾーじゃな。妾がギゾーの道場に通っているのを知り、妾がギゾーに剣術を教えているとでも勘ぐったのじゃろ。ギゾーと競い合っているおぬしの師匠がギゾーの強さを知りたく思い、おぬしを駒に使った。まあ、こんなところか」

「ううっ」

「また図星かえ?分かり易いの。おぬし。

 妾がおぬしと立ち合わぬのは益がないからじゃ。殺すとなれば二度とおぬしから迷惑をかけられぬという益がある。しかし、殺せぬとなれば妾の殴り損じゃ。弱者を甚振る趣味はないからの。ククク」

「うむむっ」

「おぬしも困ったことになったの。わざわざ痛い目に合うのを覚悟して出張ってきたのに狙いを外されて役目も果たせずおめおめと師匠のところへも帰れない。しかも、妾から師匠のところへ挨拶に行くと宣言されてしまった。師匠を危険に晒したわけじゃ。どうするのかの?困ったの。ククク」


 わたくしは当時、社交に興味のない小娘ではありましたが、マリエッタ嬢が弟子になっているというアントニオ・デ・オリヴェイラという剣士については聞き及んでおりました。なんでも変幻自在の剣客でこれまでのところ決闘で負けたことがないということで非常に有名な方でございました。わたくしがマリエッタ嬢のお話を聞き妙に思ったのは、オリヴェイラ氏というのは非常に強い剣客ではありましたが道場を開くでもなくそもそもあまり人とかかわりを持ちたくない方であって、同じように自分を鍛え上げることにしか関心のなく社交性のないギゾー先生になぜかそんなにも強い関心を寄せているのかという点でございました。


「おい。デルフィーヌ嬢や。そなたはこのマリエッタ嬢の噂など知っておるかえ?」

「はい。お師匠様。マリエッタ嬢は有力な軍人を輩出していることで有名なトリリアン伯爵家の長女であり、かなり剣の腕が立つことで有名な方でございます」

「フン。有名……かえ?具体的には?」

「市中で三つばかり道場破りをしたとか」

「伯爵令嬢が道場破りかえ。品がなく、貴族の女らしくないの」

「お師匠様がそれを言うのですか?その言い分だとわたくしはどうなるのでしょうか?」

「はしたないどころではないの。なんせ末は天下に聞こえる悪役令嬢じゃからの。序盤としてはよい味を出しているのではないかえ。ハハハ」


 いつものお師匠様のおからかい。これで、お師匠様が非常に機嫌がよいのが分かりました。機嫌のよいお師匠様は滅多なことで酷いことはなさいません。わたくしはマリエッタ嬢がお師匠様から酷いことをされることはないと一先ず安堵したものでございました。

 ですが……。


「マリエッタ嬢よ。ひとつ、妾が助け舟を出してやろうかの。おぬしと妾双方とも得になる話があるのじゃがの」

「!」

「警戒せんでもよいぞえ。妾はデルフィーヌ嬢に剣術を教えておるのじゃが、周りにちょうどよい練習相手がおらぬ。そこで、おぬしがデルフィーヌ嬢と棒振り試合をしてくれれば妾にとって都合がよい。おぬしが試合をしてくれれば、恩に着た妾がおぬしにギゾーが強くなった理由を教える。こういう話じゃ。おぬし。受けるかえ?ククク」

「……」

「おぬしはデルフィーヌ嬢を傷つけるのを心配しておるようじゃが、まったく無用じゃ。まともにやれば傷つくのはむしろおぬしの方じゃ。ハンデをくれてやらねば試合にすらならん。デルフィーヌ嬢はおぬしが思っているのと段違いに強いぞえ。

 おぬしはまだ隠し玉をいくつか抱えていると強気になっているようじゃが、妾が手ずから教えたデルフィーヌ嬢にとりそのようなもの、あってもなくても同じじゃ。ククク」

「……」

「妾の言うことを信用せんか?まあ、試合をしてみればわかることじゃ。恥をかきたくなければ真剣にやれ。

 それで、どうする?やらないと言うのであれば、妾たちは道場へ向かう。やれやれ。とんだ時間の浪費じゃの」

「やるっ!やります!やらせてください!」


 クルリと背を向けたお師匠様にマリエッタ嬢が慌てて返事をしたのでございます。


 ◆


「ほれ。また一本取られたの。マリエッタ嬢。

 少しは本気を見せてもらわねば割に合わぬの」

「くっ。なんで。なんで通用しないの!?」

「理由が知りたいかえ。ククク。デルフィーヌ嬢は気も魔力も使うておらぬぞえ。純粋に剣技のみで相手しておる。それに引き換え、おぬしは全力で魔力を使って肉体強化したうえさらに隠し玉のスキルまで使ってもデルフィーヌ嬢の足元にすら及ばぬ。剣が掠りすらもせぬ。ククク。なぜじゃろな?デルフィーヌ嬢の使こうておるのは、剣技と言うても秘技とか秘剣などの類ではないぞえ。普通の剣士の使うごくありふれたものばかりじゃ。ククク」

「……」

「なんじゃ。まだ判らぬのかえ。ここまで言うて最大のヒントを出してやっておるのにの」

「……わ、わからないわ」

「剣技に対する理解度がまるで違う。おぬしとデルフィーヌ嬢との違いはその一点に尽きる。

 おぬし。デルフィーヌ嬢にポンポン木剣を当てられているが、それがどういう現象なのか分かるかの?受け流せない。避けられない。防御の姿勢さえ取れない。なぜ、そういうことが起こるのか?デルフィーヌ嬢の剣速が反応できないほどのものだからではない。デルフィーヌ嬢が何らかの目くらましを使っているというわけでもない。理解できるかえ?

 ふふん。分からぬか?うむ。正直でよろしい。

 驚いているようじゃが、これはおぬしがうんうん悩むほど難解な話ではないぞえ。答えは実に簡単じゃ。おぬしの脳がデルフィーヌ嬢の動作を攻撃として認識しておらぬから反応が遅れて木剣を当てられてしまう、ただそれだけの現象が起こっているにすぎぬ。これを剣術の世界では虚の剣という。大方の道場では実の剣しか教えておらぬ。実の剣とは、首を切ってやろうとか手首を切り落としてやろうとかの攻撃の意思を最も効率よく実現させるための技術であって、普段から道場で修練している型とかアレのことじゃ。対して、剣術家が虚の剣を使う場合、相手の骨を砕いてやろうとか打ち身の青あざを作ってやろうとかなどとは考えておらぬ。攻撃の意思を心から追い出している状態でせいぜい相手の体に木剣を触れさせるとか当てるとか程度の意思しか持っておらぬのじゃ。だからこそ、相手は動作を攻撃と認識できずに防御の行動に出ることを躊躇してしまい結果としてやられてしまうわけじゃ。実の剣の打ち合いしかやっていない道場に慣れ親しんでいる者ほどこの虚の剣に引っ掛かりやすいのも頷けるじゃろ。相手の攻撃の意図を読み防御して返すことばかり練習しておるのじゃからの。当り前のことじゃな。

 おぬしは内心、『えらそうなことを言いやがって』と毒づいておるのかもしれぬ。妾も実は剣術をそんなに大層なものとは思っておらぬ。たかが殺し合いの道具くらいにしか考えておらぬ。しかしの。おぬしのように剣士を名乗るのであればせめて初期の段階で虚の剣、実の剣を完全に理解するくらいはできないと困る。殺し合いである以上、立ち合って負ければ次はないのじゃ。自分はまだ修行中で虚の剣を学び終えていないので使うのをやめてくださいと言うても相手が遠慮してくれることなどあり得ぬのじゃからの。

 もう少し真剣に剣技を理解しようとせよ。これが妾からのアドバイスじゃ。道場にいる連中は皆、剣技を理解しようともせず道場で教えているからという理由のみで安心しきって型の練習に明け暮れておるが、そんなもの何千何万回練習しようと何も得られぬ。そんな棒振り、殺し合いには何の役にも立たんのじゃ。ククク。アハハ!道場から一流達人が滅多に出ぬわけよ。ククク」


 お師匠様の解説を聞いてマリエッタ嬢は項垂れました。


「あのね。マリエッタさん。わたくしのお師匠様はいつもいつも酷いことしか言わないとても嫌な人なの。でもね。マウントを取っていい気分になろうとか他人を攻撃して価値を下げて不安を解消しようとかする人でもないの。そういうさもしいことは極力しない人なの。お師匠様が酷いことを言えるのは、社会に対してまったく責任も関心も抱いていないからなの。社会や他人にどう言われようがどう思われようがどうでもいい人なの。世の中では社会や他人からの制裁を恐れて自分の欲望を抑え込む人が大半なのだけど、お師匠様にはそれがないの。

 何が言いたいかというと、お師匠様は常に相手と自分の一対一の平等な立場での関係でしか考えていなくて、だからこそ義理だけには厚いの。相手が国王陛下であろうが神様であろうが遠慮はしないし態度も変わらないの。媚を売ったり裏切ったりしたら立ち位置が有利になるとか、負担になるから関係を持った人を切り捨てるとかいうことも一切考えない人なの。すべては義理があるかないかでしか考えない人なの。そのお師匠様が貴女と約束したの。約束事で嘘をつかれたりひどい目にあったりする心配だけはしなくていいわ」


 この時、マリエッタ嬢を少し気の毒に思えたわたくしは余計な口をはさみました。


「約束はギゾーが強くなった理由を教えるということじゃったな。それには少し昔話をする必要があるの。デルフィーヌ嬢も知らぬ話じゃ。どれ。ギゾーのところで昼飯でも食べながらぽつぽつ話していくか。一緒に来るがよかろ。マリエッタ嬢。ギゾーにも会わしてやろう。会ったところで何の面白みもない男じゃがの。ククク」


 こうしてわたくしたちは昼食をとりながらお師匠様の昔話を聞くことになったのでございます。



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