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シュリニは仕事部屋の机へ向かい手紙の返事を認めていた。

若菜色に染められた便箋の上をサラサラとペンが滑る。軽やかな音が耳に心地良い。


暫くして書き終えた便箋の余白に糊を伸ばした。その上に丸く形を整えた布の切れ端や緑色の糸を貼っていく。

やがて並べられた文字の隅に小さなカスミソウが浮かび上がると、しっかりと乾かしてからそっと封筒の中へ折り込んだ。


もう一つ用意された便箋には白地に金の葉が小さく描かれている。彫金の国ミネージュで古くから使われるシンボルであるそれは形により意味が異なる。

親愛と幸運の意味を持つ三つ葉の形が刻印された便箋をシュリニはバーケノン宛の手紙として選んだ。


金銀の色を使う程、この国では格式高くなる。

招待状への返事としては此方が良いだろうと、若菜色のものとは別に用意したものだ。

元は母が使っていた便箋で、大事に仕舞われていた為に劣化もなく綺麗な状態を保っている。


最後に封を閉じてそれぞれの宛名を確認し終え、立ち上がる。

マーヤが午後の外出から戻って来る前に郵便を届けてしまおうとシュリニは仕事部屋を後にした。



──相談事を終えて『プティ・カナン』から帰宅したシュリニはその日、アレックスとマーヤへバーケノンからの招待状について話した。


是非にと誘われていること、服や移動の手配まで面倒を見て貰えること、何よりきっと楽しい食事会になるだろうことを話すと二人はとても喜んで参加を決めた。


普段聞き分け良く我が儘も言わないような二人だが、その分飲み込んでくれている思いも多々あるだろう。

友人達から聞かされる家族での遠出や珍しい土産話なんかの聞き役に回るしかない彼等の良い思い出作りになれば、とシュリニは招待状をくれたバーケノンに改めて感謝した。


それと同時に心配事も一つある。

気兼ねない食事会だと言うが、当日は王立騎士団の隊長直々に主催する懇親会だ。

騎士爵を賜った者や貴族家出身の者も参加するだろう。


第三部隊は平民出身の者が多いという話だが、王に忠誠を誓っている彼等は高い身体能力と共に礼節も備えているエリート達でもある。

その上、国軍の一つとして数えられる王立騎士団では上下の価値観が強い。

粗相をしては折角招いてくれたバーケノンの顔に泥を塗ってしまうことになる。


最低限のマナーと作法を身に付けておくのは必須だと判断したシュリニはその日からマーヤへある遊びを提案した。


嫋やかなお姫様になりきっておままごとをするのだ。

シュリニはそんなお姫様を見守る先生役を演じてマーヤを優しく導いていく。


長いスカートやリボンを身につけてマーヤを可愛らしく着付けると、その手を引いてお茶会へ行く準備をしようと話した。


「お姫様、あちらへ行きましょう?」と言えばマーヤも楽しそうに「はい」と答える。

そして食卓に白いテーブルクロスを掛けてカップや皿を並べるとお姫様の練習をしましょう。と言った。


「バーケノンおじ様から招待状を頂いたでしょう?その日、マーヤはお姫様になっておじ様方にご挨拶をするから今からその練習をしましょうか」


「お姫様になるの?」


「えぇ、そうよ。春の終わりに妖精みたいに美しくなってバーケノンおじ様と奥様にご挨拶するの。美味しい食事やお菓子も頂くから今日はお姫様の練習。


お姫様は周りをしっかり見ている心優しい方なの。マーヤもそんなお姫様になってみない?」


「なりたい!」


「ふふ、なら一緒に練習しましょうか。

それじゃあお姫様がする挨拶を教えるわね」


そう言い、シュリニは左手でスカートの裾をつまんで後ろへ引き、右手を胸の前へ合わせて腰を折る。長いスカートに隠れて見えないが、左足も共に引き膝を深く下ろしている姿勢だ。

王族や貴族が行う礼と、平民が行う礼は作法が違う。


実際の王女殿下が行うことはない挨拶だったが、尊敬する方へはこうしてご挨拶するのよ。と言い、マーヤへ優しく教えた。


実際、シュリニも中等学校で繰り返し覚えた礼である。初対面や改まった場でする正式な挨拶であり、これの他に略式の礼もある。


マーヤはシュリニの礼を見ながら辿々しく動きを真似た。

成長途中の子供の骨格は大人とは違うので動き方をよく見てあげないとどこか痛めてしまう可能性もある。

シュリニは中等学校での学びを思い出しながら一つひとつ丁寧に優しく教えていった。


遊びの中で自然に挨拶やカトラリーの使い方を覚えられるように、マーヤが楽しめるかに重きを置いてゆっくりマナーを教えていく。

ある日は二人でお茶会の真似をして。

またある日は可愛いドレスを着て街を歩くフリをして。


おままごとに合わせておやつや可愛いワンピースを用意すると、マーヤはとても楽しそうに仕草を覚えるようになった。

勉強の一貫であることは幼心に理解していたようだったが、それと分かった上でマーヤは楽しそうにシュリニと過ごしてくれた。


始めは辿々しかった礼も綺麗な動きが身に付いていく度、マーヤは嬉しそうにアレックスへ披露する。

大仰なくらい手を叩いて褒める従兄に恥ずかしげに頬を染めると、アレックスはその小さな身体を抱き上げてくるくると回った。


「僕のお姫様がまたこんなに可愛くなった!

成長するのが早くてにーしゃはビックリだよ」


「えへへ、わたしちゃんとお姫さまになれるようにがんばったの。

わたしはお姫さまのれんしゅうをしてるから、にーしゃは王子さま?」


「そうだよ、マーヤの王子様だよ。

バーケノンおじ様に会う時は世界一格好良くなってマーヤの側で守るから、騎士様に目移りしちゃダメだからね」


従妹への溺愛っぷりに拍車が掛かっている弟に呆れるも、弟が幼い従妹をとても大事に想っているのは自明だったのでシュリニは二人が顔を合わせて微笑んでいる様子を見守ることにした。


マーヤへの想いが親愛と庇護欲だけでなくなるのは何年後だろうかと、シュリニは未来へ想いを馳せた。




◇◇◇◇◇




マーヤとのおままごと(勉強会)を始めて暫く経った頃、アレックスが一枚の紙をシュリニへ渡して来た。

中等学校で行われる職場体験の案内で、体験先の希望として鍛冶場が書かれていた。


シュリニはなるべく表情を変えないよう意識しながらアレックスへ問い掛ける。


「もうそんな時期なのね。アレックスは就職先の第一希望は鍛冶場で良いのかしら?」


「うん。今働かせて貰ってる鍛冶場から今度、独立する人が居るんだ。

その人から卒業したら一緒に働かないかって誘われてる」


「そうなの………有難いお申し出ではあるけれど、アレックスはそれで良いの?」


「…うん。それが良いと思うから」


二人共はっきり言葉にせずとも何が言いたいかよく分かっていた。

アレックスは小さな頃は祖父に憧れて騎士になりたいとよく話していた。


祖父もアレックスが持てる木刀を用意して教えてやっていて、体術と剣術の基礎は叩き込まれている。

生真面目な祖父は毎日のようにアレックスがどろどろになるまで練習の相手をしていたが、アレックスも負けじと食らいついては日々鍛えて貰っていた。


まだアレックスの背丈がシュリニの腰程であった頃、筋が良いと褒められて喜んでいたのを思い出す。

あの頃と状況が一変に変わってしまった事にシュリニは思いを馳せた。


一兵卒から叩き上げで騎士爵を賜った祖父の代は、騎士団に所属する者の約半数が通いで勤めていた。

地元から上京した者や実家から出た者が城の敷地内にある宿舎に暮らしていたのだが、シュリニ達の両親が亡くなった後に大幅な改革がなされ、騎士団に所属する者は宿舎に入る事が義務付けられた。


先の流行病が王都を襲った際、王都各地で暮らしていた騎士や兵士の多くが罹患し、治安維持に多大な影響を及ぼした為だ。

特に人の密集する住宅地で流行病は拡大し、騎士団員の死亡者数もかなりの数に上ったそうだ。


病気が確認された際、王城は一早く出入りの規制を行なったが為に、宿舎に入っていた者達は皆大事に至らなかった。

宮廷医師の他に診療所所属の医師や治癒の加護持ち、浄化の加護を持つ神官を城内に数名確保して、中央が機能不全に陥るのを防いだのだ。


安全を確保した王城内の研究所で迅速に治療薬を開発したこともあり、その後王都での流行病は収束していった。


だが最悪の状況を回避する為の措置だったとは言え、この対応には批判の声も大きかった。

その声も受けて予め安全策を講じようという動きがあり、騎士団もその影響を強く受けたのだ。


それと王家の強い勧めもあり、流行病が収束した翌年から国の主導で毎年慰霊祭が行われている。


あの悪夢の犠牲者達を悼み、残された人々の心を慰める為に。その日は病を焼き清め、天に上った者達を偲ぶ篝火が各地で灯される。

シュリニ達も慰霊祭には毎年参加していた。


目を閉じれば今でもありありと思い出せる。

機能の弱まった騎士団の応援を自ら買って出て、日々駆け回っていた祖父の弱り切った表情。

突然の両親との別れにぼろぼろ涙を溢しながら冷たい棺に縋り付いていたアレックス。

何が起きているのか分からないと、大声で泣き続けるマーヤ。


必死の看病の甲斐なく天上へ旅立ってしまった両親と残された家族のこれからを思って俯いていたシュリニ。

腕に抱えたマーヤの身体を離すまいと固く抱きしめて只ひたすらあやし続けていた。


あの流行病で家族のみならず多くの知人や学友も亡くなった。

悪夢の日々を生き残った人々はその日以来、結束を強めようと組織のあり方を見直して今日に至る。


こういった経緯があり現在、王立騎士団への入団は決して簡単ではない。入団条件が見直されて高い身体能力と共に冷静な判断力を見る試験も追加されているらしい。

そして試験に合格して見事、兵士の仲間入りをすればアレックスは騎士団の所属となり宿舎入りを義務付けられる。


日々の訓練も厳しく、下手をしたら遠い配属先を命じられて王都にすらいられない将来もあり得た。


手紙の遣り取りは可能だが、直接顔を合わせる機会は一気になくなるだろう。

身体の弱い姉と幼い従妹を置いて、自分一人幼い頃の夢を追い続けることは出来ない。

これまで通り、家族皆んなで生活を続けたいから。


何度も話し合う中で、アレックスの出した答えがそれだった。


シュリニも違う角度からも物事をみてはどうかと言葉を重ねた。これは将来への先行投資だと。

兵士としての働きぶりを評価され、功績を上げれば階級も上がり給金が増える。騎士団に所属すれば貴重な人材として大事にされる上に、様々な人と関わる機会も増え、知見も深まるだろう。

これまで出来なかったことも自分の手で沢山出来るようになる。


真面目に勤め続ければ、配属先の希望をある程度通して貰えると聞いている。その頃には出来ることが増えた立場と余裕を持ってまた一緒に暮らせる筈だ。


家族を想う故の生き方も選択肢は一つだけではないのだと。

まず自分の人生をどうしていきたいかを考えてみて欲しい。と。


その言葉に一旦口を閉ざした彼は、数日間よくよく考え悩み抜いた末にシュリニへ告げた。


「少しでも二人のいない人生は考えられない。二人のこれからを遠くから想像して無事を祈る毎日の方が耐えられない」と。


それが彼が将来への希望と今向き合っている問題を天秤に掛けて、導き出した答えだった。

しっかり考えた末の決断に、シュリニが言えることはもう何もない。


だから夢を諦めさせてしまったことへの罪悪感も、弟の気持ちに触れて溢れた哀しみも、決して見せてはいけない。

その決断を肯定して背中を押してあげるのが、寄る辺(両親)をなくした弟への、姉の勤めだと考えていた。


「職場見学は来月の予定ね。また半年後も見学の機会がある筈だから、少しでも興味のある所があれば一度行ってみるのも良いと思うわ」


「うん、分かった。またその時になったら相談するよ」


そう言い、さっさと自室へ戻って行くアレックスの背中をシュリニは一心に見つめていた。



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