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「そういえばシュリニちゃんの手掛ける作品はどれも人気でね。カリシヤの織物を直接購入したいという方までいらっしゃるのよ」


カリシヤとは織物職人としての仕事名だ。

服飾店(ブティック)では母の名を借りてカリシヤという名前を使っている。

カリシヤの織物を用いた衣類や小物は職業に従事する女性の間で確かな人気商品となっていた。


「キリムの良さがミネージュの人々にも伝わってくれているようで嬉しいです。

最もアマーリア様のデザインセンスがなければここまで評価も頂けなかったでしょうが」


「まさか。私の目にはしっかり見えていたわ。

シュリニちゃんの手掛ける織物はどれも素晴らしい出来栄えよ。

王都の女性の好みもキチンと取り入れた、『プティ・カナン』を彩るに相応しいものよ」


「そんな………もったいないお言葉です」


「ねぇ、もし宜しければ今度はもう少し伝統を取り入れたデザインを作ってみないかしら?

調度品としての織物と衣類としての織物は別物だけれど、貴方のお祖母様が織るデザインも私は気に入っているのよ。

このお菓子のようにね」


「お菓子、ですか?」


「えぇ。此方のお菓子、バクラバと言っていたわね。

確かお祖父様方は西南の国モンドのご出身だったかしら?」


「はい。大陸の南海を挟んだ向こう側の、そのずっと向こうにある国だと伺っております。

昔のことはあまり口にしない人達でしたので、どの地域出身かまでは聞いたことがないのですが」


「シュリニちゃんのその素敵な瞳もお祖父様方由来のものよね。

弟さんや従妹さんも似たような瞳なの?」


「はい。従妹のマーヤはもう少し祖母の瞳に似ているかと思います。

祖父母共に緑系の虹彩でしたが祖母の瞳は僅かな光でも虹色に反射していました。

マーヤもそれほどではないですが、光を浴びると遊色が現れます」


「私と弟は夜に掛けてが一番光が強いですね」と続けて応えるとアマーリアは何事か考え込むような仕草を見せた。

アマーリアが弟達に危害を加える為にこの質問をしたのではないと信頼しているのでスラスラと応えたが、街中には興味本位で近寄って来る変な輩もいる。

弟達にちょっかいを掛ける方ではないと知りつつも不安になっているとアマーリアは顔を上げて真っ直ぐ此方を見つめた。


「これはまだ構想段階なのだけれどね………今年の秋冬のテーマにシュリニちゃん達をモデルに取り入れさせて貰えないかしら?」


「え?モデルですか?」


シュリニはビックリしてやや大きな声を上げてしまった。

慌ててマナー違反だと口元に手を添えると気にしないと緩やかに首を振りながらアマーリアは言葉を続けた。


「私が手掛ける衣服はお菓子に着想を得ていることはご存知だと思うわ。

今回の新作も王女殿下絶賛のミルフィーユに合うデザインを、と考えたものですし」


そう。アマーリアの立ち上げたブランド『プティ・カナン』のテーマはお菓子とシックスタイル。

職場にも着て行かれるような落ち着いたスタイルにほんのりお菓子のような甘やかさが調和したデザインが特徴のブランドなのだ。


シリーズ毎にテーマも分けてそれぞれに名前を付けて売り出している。

職場向けのものはシリーズ『キャラメル』

デート向けの甘さ多めのシリーズ『キャンディ』

少し大人びた外出向けのものはシリーズ『ショコラ』


それを軸にシーズン毎に布地や流行の色も取り入れて定期的に新作を発表している。

今年は顧客が増えて来たことを受けて、より商品を展開しようと立ち上げた新シリーズを春に合わせて発表という話だった。

それがまさか、もう一つ新作を考えていたなんて。


モデルの話は寝耳に水だが、秋冬に向けたものを作るなら今から色味を厳選しておかないと制作に入れない。

吟味も含めて日数を計算し始めたシュリニにアマーリアは経営者の顔をした。


「実は前から考えていたの。シュリニちゃんの艶やかな黒髪と小麦色のお肌、それに素敵な瞳には何が似合うだろうって。

商品として売るならミネージュの女性に合わせた色味に変える必要があるけど、今回このお菓子を頂いて閃いたの。

今考えたものを書くから少し待っていて貰える?」


そう言い、ジムの用意した紙とペンでスラスラと書き進めるアマーリア。

こんな時のアマーリアは止まらない。

此方はそのアイデアが形として纏まるまで静かに待っているしかない。


暫く紙にペンを走らせるカリカリという音のみが響く部屋の中、お代わりの紅茶を美味しく頂きながら次のお菓子の約束をジムとこそこそ話していたシュリニはとん、とペンを置く音で正面に向き直った。


「出来たわ。一先ず見て貰えるかしら?」


嬉々としたアマーリアの弾んだ声に拝借いたします。と断りを入れ、スケッチを受け取ったシュリニは目の前に描かれたデザインを見て息を呑んだ。


そこに描かれていたのは数種類のデザイン画。

色も使ってより分かりやすくイメージが描かれている。

秋冬に向けてとのことでデコルテの詰められたシルエットに伸びやかなスカートがふわりと広がるデザイン。

ワンピースの他、デイドレスやスカートも配色を変えて描かれているが、どのデザインにも縦のライン使いでカリシヤの織物を入れると書かれている。

色味や模様も鮮やかで、と指示書きがされており、それまでのミネージュ向けの淡い色合いや派手さを抑えた模様とはまたガラッと変わったものだ。

これまでは精々が草花の模様を明るい色で織り込む位で、ここまで原色を色鮮やかに配置したものは確かに祖母の残した図案でないと描けないだろう。


パターンの候補も幾つかあり、レースで縁取りをした縦ラインを二つ入れるもの。

飾りベルトと縦ラインのクロス部分にコサージュを付けて華やかにしたもの。

大幅にスカート部分に取り入れ上から薄いシフォンを重ねて透けて見えるもの。


何より嬉しいのがこれのイメージがキリム織物主体である事と、バクラバであることだ。

しっとりした生地にナッツのブラウンやピスタチオのグリーンをイメージしたキリムを重ねる。

その上に淡い黄色に染めたシフォン生地やレースを装飾として重ねてキッチリしたシルエットに甘やかさが加わっている。


どれも完成したら溜め息が出そうな程、素敵でシュリニは暫し感想を伝えるのを忘れて見入っていた。


「ふふふ、気に入って貰えたかしら?」


「は、はい!こんなに素敵に描いて頂けて………このスケッチだけで宝物のようです」


「あら、私はスケッチだけで満足しないわよ。

春の新作と同じ位、いえそれ以上に素敵なものが出来上がると確信しているもの」


「今回の新作以上、ですか?」


「えぇ。皆んなが頑張ってくれているお陰で去年からの顧客もしっかり根付いているし、社交シーズンを迎えたら大々的に宣伝するつもりだから今年はもっと注文数が増えるわよ。


勿論、予約制にして付加価値を付けるわ。

大事なシュリニちゃんが無理をしなくて良いようにね」


お茶目な笑顔なのにどこか色っぽいアマーリアのその言葉に、尊重されている事を感じて嬉しくなる。


「此方のデザイン、とても素晴らしいです。

『プティ・カナン』らしくありながらキリムの模様が良く映えるものですし、あの、私もこんな服を着られたら嬉しいなと思います」


最後は照れが優ってしまい頬が赤くなるのを感じたが、率直な意見を求めるアマーリアには自身の気持ちをありのままに伝えたい。

優しい目をしたアマーリアは優雅にカップを傾けながらシュリニの言葉に耳を傾けている。


音もなくソーサーをローテーブルへ置いたアマーリアは最後に極上の笑みでもって応えた。


「決まりね。此方のデザインを基に今年の新シリーズを立ち上げるわよ」




──お店を出た後もふわふわと夢見心地のままシュリニは道を歩いていた。

未だに信じられない気持ちで一杯だが、『プティ・カナン』での新作制作が決定した。

それもシュリニの作品が基となる本格的なものだ。


道を歩きながらさり気なく片方の手をもう片方の指でつねる。

そこに走った痛みに夢ではないのだと、じわじわ実感が湧いて来てシュリニは駆け出してしまいたかった。


今は先ず春の新作に向けて残りを完成させないとだが、その先自身が手掛ける織物が主役となって服飾店に並ぶのだと考えたら感動が溢れ出しそうだった。

お店を出る前にアマーリアから言われた言葉がシュリニの頭の中で響く。


「またお仕事が落ち着いた頃に改めて打ち合わせを行うけれど、今回のイメージは貴方、モデルとなるのも貴方自身よ。

春の新作が終わったら貴方の着たいと思うデザインで伸び伸びと作ってみなさい」


重ねてモデルと言われて緊張も感じたが、アマーリアの力強い言葉に背中を押された。

自分が着たいと思えるものを作れば良いのだ。

特別な日にお洒落をして、街中を歩くならどんなものが着たいか………


考え込みながら歩いていたシュリニはふと、思考が絡まり足を止めた。

女性達の軽やかな声に釣られて顔を上げると、視線の先には一つのカフェ。

2階の大きく開かれたテラス席では可愛らしいドレスを着た女性達や、品のある仕草で菓子を口へ運ぶ夫人の姿が店に彩を添えていた。


ちらり、とクリームの白と柔らかな小麦色が見えて王都で今話題のミルフィーユを口にしているのだと分かった。

お菓子にしてはあっさりしているとあってか、連れの男性だろう姿も多く見られた。

皆、春の初めを予感させる柔らかな色味のジャケットやベストを纏っている。


繊細で宝石のようなお菓子と、それを楽しむ美しく着飾った女性達。美しい花木に寄り添う鳥のように素敵な紳士の姿。


今まで交わることはないと知らない世界のように感じて来たその光景に、シュリニは諦念とはまた別の気持ちを抱いた。


これから手掛けるものは、こんな素敵な一日を彩るものだ。

甘やかなデートや友人同士の楽しいひとときに花を添えて、女性達を美しく特別な存在へ引き立てるもの。


あの光景に自身が入る所は未だ想像が付かない。

生まれてこの方、下町から滅多に出ることなく黙々と織物を織り続けて来た人生だ。

初等、中等学校に通った中で華やかな容姿や流行の話で盛り上がる学友は多かったが、シュリニにはあまりピンと来なかった。

どの時点での流行りも、ミネージュ国の人々に親しまれる色味も、シュリニには殆ど似合うことがない。


親の真似をして流行を取り入れたり年頃のお洒落を楽しむ学友達を見るのは好きだったし、明るい笑顔を見せるその姿に素敵だと常々思っていたが、自身がいざその中へ。と言われると躊躇ってしまうのだ。


今着ているものもそうだ。

視線を下へ向けて前へ歩き出す。母のお古を自身で縫い直して着回しているシュリニの今日の装いは白のブラウスにオリーブ色のロングスカート、その上に流行遅れのブラウンのロングコートを纏っている。

今の流行りはショート丈の淡いピンクグレーなのでシュリニは場所によっては大分浮いてしまうだろう。


母のお古なのも勿論だが、シュリニは敢えてこういった服装を普段からしている。

親族が次々亡くなり、下の子達の面倒を見なくてはいけなくなってから年相応の服装は求めなくなったのだ。

少しでも大人っぽく見られるように、落ち着いた頼れる姉の姿を見せるように可愛らしいものや装飾品は封印した。


そもそもシュリニの肌や髪にはあまり合うものがなかったのだ。

可愛らしいものを合わせれば祖父母譲りのエキゾチックな顔と合わずチグハグな印象を受けるし、淡い色合いのものを選べばメリハリが効いたが、その分周囲にあまり見られない黒髪や肌が目立ってしまう。


中等学校の学友に華やかな色味が似合うと言われ、半ば押されるように着たワンピースは確かに自身に似合っているように見えたが、年頃の少女にそぐわない色気が出てしまっているみたいでシュリニはいそいそと服を着替えた。


この国伝統の金細工もシュリニの肌によく映えたが、幅広なサイズが特徴的な金細工は、ほんのり焼けた肌の上では妖艶な印象が強くなってしまう。

此方も恥ずかしさに慌てて外した記憶がある。


丁度、夏のシーズンでデコルテや手足が開いたシルエットだったのが原因だろう。

一気に大人のお姉さん感が出てしまって、大人しい気質のシュリニは慌ててワンピースを学友へ返したのだ。

あげるつもりで渡したのに、と唇を尖らせた彼女にこんな素敵なものは受け取れない。と涙目で返したら呆れた顔をされたけれど。


それは貴方自身が素敵だからよ。と言ってくれた彼女もいよいよ今年結婚する年だ。

元の身分の違いから気軽に会える関係ではなくなってしまったけれど、シュリニは親友とも呼べる彼女の祝事に一早く手紙を送った。


お相手は平民の商家の跡継ぎとの事なので、婚姻の後に彼女は平民の姓を名乗る。

そうしたら少しは顔を合わせるハードルも下がるだろう。また二人で色々と語り合いたい。


実はシュリニ自身も生まれた時は準貴族の身分だった。

祖父が騎士爵を賜ったのでその孫令嬢という扱いだったのだが、この国の騎士爵は一代限りの扱いであり、領地もない名誉職のようなものなので実態は平民とほぼ変わらないものだ。

その祖父も鬼籍に入ったのでシュリニ達は実感もないまま準貴族から平民へ身分を変えた。


正直、遺産相続より此方の手続きの方が手間取った位だ。

名ばかりとはいえ、国主から賜った爵位を返上するというのは慣習の点で見ても簡略化出来ない。

シュリニ達は王都に居たからまだ手続きが早かったらしいが、地方に赴任する騎士爵の家族はあんな手続きを手紙を介して遣り取りしなければいけないのだから大変だ。

祖父は騎士を引退した後も指導官として騎士団本部に出向く立場だった為、地方に転属される事がなく何よりだった。


そういえば祖父の遺した衣類にアレックスに似合いそうなものがあった筈。と家路を辿る道すがら、シュリニはこれからのことをアレコレ考えていた。



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