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皆様、めちゃくちゃお久しぶりでございます。

去年から体調を崩す・多忙・執筆が進まないのコンボを食らい投稿を長期でお休みさせて頂きました。


今回はリハビリがてら別のお話を。




窓から傾き始めた陽が眩く差し込んでいる。

煉瓦造りの古い家々が並ぶ通りを一望出来る部屋の中では糸を紡ぐ規則的な音が響いていた。


慣れた様子で軽やかな音を立てているのは一人の女性。

まだ少女といっても差し支えない彼女は、手元に抱えた木枠をゆっくりと机に置いた。

鮮やかな糸を組み合わせて織られた布が机一面に広がる。


複雑に織られたその出来栄えに満足した彼女は微かに頷くと首と肩をぐぐ、と伸ばした。

一つに纏めた緩くうねる黒髪が動きに合わせて肩から零れ落ちる。


そのまま疲労の色濃く浮かぶ顔を窓へ向け、陽の光に眩しそうに目を細めた。

ほんのり焼けた肌に光が当たり、僅かに危うい色香を纏う。


ゆっくりと見開いた美しい若葉色(ペリドット)の瞳が、光を浴びて(つや)やかに輝いた。




◇◇◇◇◇




「ただいま」



玄関から耳慣れた声が掛かる。

シュリニは台所で温めていた鍋から顔を上げて後ろを振り返った。

一泊置いて開いた扉の先から自分と同じほんのり焼けた肌に真っ直ぐな黒髪、若葉色の瞳をした少年が顔を覗かせる。

弟のアレックスが帰って来たのを認めると自然と笑顔が溢れた。


「お帰りなさい、アレックス」


「にーしゃ、おかえりなさい!」


シュリニの後にテーブルから可愛らしい声が上がる。

シュリニとアレックスにとって従妹であるマーヤが椅子から降りるとトテテ、と走り大好きな従兄へ抱き着いた。

両腕を広げて受け止めたアレックスが嬉しそうに笑った。


可愛い盛りの従妹の出迎えに一日の疲れが吹き飛んでいるようだ。

まだ小さなその身体をよっこいしょ、と抱き上げてその場でクルクルと回って見せる。

アレックスと同じ、マーヤの真っ直ぐな黒髪が動きに合わせて宙を舞う。


はしゃいだ声を上げる二人にくすくすと笑い、湯気の立つ皿を運んで行く。

手際良くテーブルへ料理を配膳しながら「今日はシチューよ」と伝えれば二人はより嬉しそうに笑った。


──この家には18歳で成人したばかりのシュリニの他、6つ下の弟アレックスと叔父夫婦の忘れ形見で今年6歳を迎えた従妹マーヤしか居ない。

両親はシュリニが14歳の頃に流行り病で亡くなり、叔父夫婦に至ってはマーヤが1歳を迎える前に馬車の事故で亡くなっている。


2年前に大往生で亡くなった祖父が遺してくれた土地とそこに建つ家、両親と叔父夫婦の遺産金のお陰で成人前の子供達だけでなんとかやって来られた。

そして祖母からはシュリニが家族の次に大事にしている織物を受け継いだ。


シュリニが生活費の足しにと日々織っている織物は祖父母の祖国由来の物。

元はこの大陸から海を越えたずっと先、遠く離れた西南の国で恋に落ちたらしい二人は、しかし祖国の厳しい階級社会に阻まれ若い頃に駆け落ちしたらしい。

遥々大陸へと逃れ、この地に辿り着いた二人はそれぞれ兵士と針子の職に就き、互いを支え合って生きて来たそうだ。


彫金の国として知られるここミネージュ国は、各地から商人の出入りがある故に古くから人の行き来が絶えない国柄である。

遠い異国からの移民にも寛容なこの国に根付く事を決めた後も、なかなか苦労は絶えなかったらしい。

褐色の肌以上に人目を惹く特徴的な瞳の所為だ。


混血に気を配る王侯貴族ならば透き通るような瞳や鮮やかな虹彩が一般的だそうだか、祖父母の故郷では別の特徴がある。


それが西南の国モンドで当たり前に見られるという宝石の眼(ジュエリーアイ)だ。

褐色の肌位なら大陸の南方でもよく見られるものだったが、宝石の瞳はこの大陸に於いては非常に珍しいものだった。

鮮やかな色彩を持つのは勿論のこと、光を受けると宝石のように輝くのである。


「私は灰混じり(スモーキー)だがな」と笑いながら言う祖父の眼は確かに翡翠(ジェード)の中に灰色が烟るものだったが、それでも月光や小さな灯りを受けると不思議な輝きを帯びていた。


特に祖母の眼ははっとする程鮮やかな深緑(エメラルド)色だった上に、僅かな光でも七色の遊色に煌めく珍しいものだった。

その所為で祖母は何度か危ない目に遭いかけたらしい。


そんな中でも互いを守り支え合い、慎ましく真面目に生きようとする二人は、次第にこの地で友人や尊敬する上司に恵まれたそうだ。


やがて祖父は功績を認められ褒賞金と共に騎士爵を与えられると、王都の下町にあるこの家を購入して家庭を築いた。

下町にしては部屋数が多いこの家を購入したのは、暫くして産まれた母と叔父の結婚後もこの家で共に暮らす為。


祖父母の祖国では三世代、四世代共に暮らすのが一般的だったと言う。

結婚後、家族となった父や叔母を温かく迎え入れ、そしてシュリニ達という孫にも恵まれた。


移住したての頃から付き合いのある友人や同じ下町に長年住む者達は互いに慣れて来て、母と叔父が受け継いだ肌と瞳を綺麗だと誉めそやしてくれていたのをよく覚えている。

今では私達の姿を見て態々興味本位で近付く者が出て来ると、さり気なく守ってくれる人まで居る位だ。


祖父母と両親、叔父夫婦の築いてくれた居場所と残された家族を守る為にもシュリニは日々頑張っていた。


遺産金は極力手を付ける事はせず、下の子二人の進学と結婚資金として貯め込んでいる。

祖父から正式に遺産を受け継いでからはアレックスの教材道具一式や広い勉強机を買う時にしか使っていない。

次に使うとすればマーヤの初等学校入学に併せて勉強道具を揃える時か。


現在、12歳のアレックスは下町に程近い中等学校へ通っている。

ミネージュ国は人材育成に力を入れている関係で教育機関が周辺国より充実しているらしい。

政策として大々的に取り組んでいるそうで、国に住所を持つ平民の子供なら初等学校へ必ず通わせてくれる。

移民三世のシュリニ達が充分な教育を受けられるのもこの制度のお陰だ。


初等学校では7歳から10歳までの子供に基本的な読み書きと算術、主だった地理等を教えてくれる上に学費自体は無料という有難い学び舎だ。

平民の子供が皆んな通う所でもあるので各地に門戸が開かれている。

この国では10歳から各工房や店で子供も下働きとして雇えるのでそれに併せた学業年数となっていた。


アレックスの通う中等学校はそこそこ裕福な平民なら入る事の出来る教育機関だ。

11歳から14歳までの子供が対象で、より細かい算術や礼儀作法の他、将来希望する職業に併せて刺繍や外国語、体術等を選択科目で学べる場となる。


商人の跡継ぎや司書になりたい者、侍従・侍女としてお屋敷で勤めたい者は殆どが中等学校卒業以上が求められるので毎月の学費を納めながら通っている。

それとあまり裕福ではない下級貴族の子弟が家庭教師を雇えない代わりに通う場合も多々見られた。

初等・中等学校は講師と呼ばれる中等学校卒業以上の者が教鞭を取るのが一般的だ。


対して貴族家で雇う家庭教師は高等学校卒業者且つ、国の試験に合格した教諭資格を持つ者しか就けない職業の為、大変な給料を支払う必要が出て来る。

中等学校に通う方がお金が掛からない為に後継者ではない次男・次女以降の子息を通わせる事も度々あるらしい。


殆どの貴族、特に高位貴族は家の財力と高い教養を誇る為に高等学校に通える年齢まで家庭教師を雇うのが常らしい。

高等学校への在籍と卒業した事は、自領が豊かで安定した財力があると見せるステータスの一種だそうだ。

大切な後継者や良家の子女が専門的な知識を学びながら社交の前段階を行う場として、国からの補助も手厚く受けられる場である。

そんな事を教えてくれたのは、中等学校時代の学友で男爵家の令嬢だった。


外国語の選択科目で偶々隣の席同士だったのがキッカケで親しくなった彼女はとても明るい子で話も良く弾んだ。

商人の婚約者が居るらしく、貴族家に嫁ぐ訳ではないからと自ら中等学校行きを決めたらしい。


「商人の妻となるなら外交向けの上品な言葉遣いより、興味を引く話術や親しみやすい言葉遣いの方を学んでおいた方が良いから」


と言い、にっこり笑った彼女は綺麗で眩しかった。

成人と共に結婚すると聞いていたからそろそろお祝いの手紙を認めないと。と考えていた所で目の前から声が掛かる。


「そういえば姉さん、今月に入ってからかなり忙しそうだけど身体は大丈夫?」


つらつらと思考していた頭をふと上げて意識を前へ向けると、向かいに座るアレックスが心配そうな顔をしていた。

家の照明に照らされてシュリニと同じ若葉色(ペリドット)の瞳が静かに輝いている。


「えぇ、今貰っている注文を終えたらひと段落付くと思うわ。

マーヤも来年には入学だもの。今の内に沢山働いてこの子が学校で不便のないようにしなくちゃ」


「わたし、今お家にあるのでじゅうぶんよ?

ノートもペンも、ねーしゃがたくさんくれたから」


「あら、大事に使ってくれていて嬉しいわ。

でもお勉強を頑張ってる良い子なマーヤには新しいノートが必要だと思うの。

それに私の可愛い従妹にプレゼントをあげたいのよ。

入学のお祝いに素敵なお洋服を贈らせてくれる?」


最後の言葉は隣に座るマーヤの耳元へそっと囁く。

次にニコニコと笑んで見せるとマーヤは頬を赤くして口元をむずむずとさせていた。

ほんのり焼けた手がぽんぽんと膝を叩き、見開いた萌葱色(スフェーン)の瞳がキラキラと輝いている。光を受けて黄色や赤色の散るマーヤの瞳はシュリニやアレックスとはまた違った輝きを持つ。

目映いその瞳を目を細めながら見つめれば溢れるような笑みがそこに広がった。


「いいの?ありがとう、ねーしゃ!」


嬉しいと全身で伝えてくれる従妹を愛しく感じながら頭を撫でてやる。

向かいで心配そうにしていたアレックスへニコニコとしたまま顔を向けると小さく溜め息を吐かれたが、最後には笑顔を見せてくれた。


アレックスだって10歳になってから仕事をしてくれている。

祖父が亡くなり家計を一手に担うことになったシュリニの手助けになりたいと、近所にある鍛冶屋で下働きとして働き始めたのだ。

通い出してもう少しで2年経つが、背が伸びる毎に力仕事も任せられるようになったらしく、最近はへとへとになって帰って来る事も多い。


中等学校が終わった後、毎日のように通い詰めては日暮れギリギリに帰って来る弟の為に、シュリニも仕事を終えたその手で食事の用意をいそいそと行う毎日だ。

食べ盛りな二人にはお腹いっぱい食べて貰いたい。


それにマーヤの入学祝いにオーダーメイドのワンピースを贈りたいと考えているシュリニはここ最近、仕事に明け暮れていた。

祖母から母へ、母からシュリニへ紡がれた織物を商売道具にシュリニは織物職人として働いている。


元々母が勤めていた家具店へタペストリーや敷物を織る度に卸していたが、祖父が亡くなってからはそれだけでは足りないと服飾店(ブティック)へも直接出向き、販路を広げようと努力していた。


貴族婦人がオーナーだというお店『プティ・カナン』は王都の大通りの程近くにある。

伝統と流行の最先端を行く大通りにはとても近付けないと考えたシュリニは、中流階級から裕福な平民向けに開店したというお店なら、と自信作を大事に抱えて足を運んだ日の事をありありと思い出した。


洗練された瀟洒な外観に気圧されたものの、家族の為にと緊張に強張る身体を叱咤して扉を潜った先。

その日のやり取りは今思い出しても恥ずかしいものだ。


店員に仕事を探している事を伝え、祖父母の祖国でキリムと呼ばれる織物を見せた時は人生で一番緊張していた。

その後、目を光らせた店員に裏へ連れられ程なくしてやって来たオーナー………伯爵夫人と対面した時に緊張度合いはあっという間に更新されたが。


まずは店の担当者に現物を持って自身を売り込み、もし興味を持って頂けることがあればご連絡下さい。と伝えるつもりだったのに、いきなりのオーナー登場だ。


予め手紙で遣り取りし訪問の日程は伝えていたが、それがどうしてこんな事に。


中等学校で習った礼儀作法を必死に反芻し、なんとか形式通りの挨拶を行うシュリニに柔らかく微笑んだ貴婦人は次にテーブルに並べられた織物を見て真剣な顔付きになった。


「私、実はお手紙を頂いた時から気になっていたのよ。

此方、ファブックル家具店の敷物と同じ織物ではなくて?」


「は、はい。この織物は祖母から受け継いだ織り方で出来ておりまして、ファブックル家具店には母の代からお世話になっております。

現在、家具店にある品物に関しましては私が卸しております」


「やっぱりそうなのね。このお店を開く前に市場視察として立ち寄って見ていたから覚えていたの。

地区は離れているけれど、私のターゲットとする客層を踏まえると見ておいて損はありませんからね。

そこで見かけた絨毯がとても鮮やかだったから目を引いたのよ。

そう、貴方だったのね」


言葉の節々で得心したと頷く様すら上品で、ビクビクしていたのも忘れて見惚れていると、手にした扇をとん、と掌へ乗せて伯爵夫人は(あで)やかに笑んで見せた。


「此方の織物、気に入ったわ。

特にこの細い帯………衣服に扱う事を意識して飾りやスカートの裾模様として使えるように改良したと見てよろしくて?」


「は、はい…!

此方の織物は夏場でも飾りとして付けられるように特に細い糸を使い薄く仕上げております。

キリム独特の厚みのある布地と模様は敷物として扱う事に需要があるかと存じますが、それ以外に親しみやすい形で扱えないかと考えました。

…他の織物についてご説明差し上げても宜しいでしょうか?」


「えぇ、聞きたいわ」


その言葉に静かに息を吸う。

折角頂いた御厚誼なのだ。なんとしてもそのお気持ちに応えたい。


「まず此方の模様は祖母の祖国伝統のものになります。鮮やかでいて複雑な模様が特色で、異国の風合いを強く取り入れたい場合は此方がお勧めです。


此方は母が考えた図案を元に織っております。

王都の女性に好まれる草花を模様として織り込み、また色味もミネージュ国の服装に合わせ柔らかなものを多く使用する事で衣服と合わせても馴染みやすく、その分気軽に手に取って頂けるかと存じます。

現在、家具店にて人気なのは此方2点の色味となります。

茶色を基調としたものは家庭を持つ方に多くご購入頂いているそうで、敢えてシンプルにした此方の模様が一番人気となっております。


此方は先程もお伝え致しましたが、細い糸を使った帯となります。とても柔らかく肌触りが一番滑らかに感じられるかと存じます。

試作品として花飾りにしたものが此方ですね。

そして袋状になっております此方ですが……」


伯爵夫人の様子を見ながら一品一品丁寧に説明を重ねる。

話している内に緊張も解れて大分語ってしまった感は否めなかったけれど、伯爵夫人は咎める事なく真摯に聴き続けて下さった。

時には作品を手に取り、織物の質感をじっくり確認されながら。

全ての説明を終えた後に返って来る質問も、経営者としての目線が的確で此方の想定以上のイメージを掴んでいた。


そしてテーブルへ広げた紙へさらさらとペンを走らせてイメージしたデザインを形にした伯爵夫人はシュリニへこう伝える。


「此方の指定した色合いと大きさで作って頂けるかしら?

鮮やかな模様のものはデイドレスのアクセントに使えそうだから綿糸の30番手辺りで織って頂きたいわ。


それにこのポーチの試作品とても良いわね。

シンプルでいて淡い色合いで織られているから私の手掛けている衣服とも合いそうだわ。

これにコサージュを付けたものも見てみたいからここに記した色味で幾つか持って来て頂戴。

貴方の作品ならいつでもお待ちしているわ」


その言葉にじわじわと胸に喜びが溢れる。

祖母と母が紡いで来た大切な織物が、亡くなった後も思い出を忘れないようにと必死で織り続けて来た宝物が、評価された。


じわり、と浮かんだ涙をハンカチで拭うとシュリニは深く頭を下げて畏まりました。と答えた。




◇◇◇◇◇




それからシュリニの生活はより忙しくなった。

朝早くから起きては朝食の用意とアレックスに持たせるお昼の準備。

幼いマーヤを見ながら洗濯と掃除を終えて、食卓にノートとペンを広げてマーヤへ読み書きと日常で聞く言葉を教える。文字の練習をしている時は食卓に木枠を持ち込んで隣で内職を熟す事もあった。

お昼を済ませた後に近所の子供がマーヤを遊びに誘うのでそれを見送りながら時折買い出しへ向かう。

重たい籠を下げながら帰って来ると今度は日が傾くまで黙々と織物を織り続けた。


小さな頃は身体が弱く、家族に心配ばかり掛けていたシュリニももう成人した。

家からあまり出られなかった分、沢山教わった織物で生活費を稼ぐ事はシュリニにとって天職のようなものだった。

忙しく日々一杯いっぱいながらも充実した毎日を過ごしているシュリニは疲れを感じる身体に鞭を打ち懸命に働き続ける。


家族との生活を続ける為に。

家族との思い出の品をもっと沢山の人々に知って貰う為に。


幸いにもシュリニの織る作品は皆、一定の評価を貰えているらしく、じわじわと注文数が増えて来ていた。

今では『プティ・カナン』の一作品として取り扱って貰えている程で、トルソーに着せられた上品なワンピースを鮮やかに彩っている自身の作品を見た時は感動を覚えたものだ。

ファブックル家具店に卸している商品も『プティ・カナン』で扱うデザインを元に新たな模様をお試しで卸した結果、好評だったそうで此方も再注文が舞い込んで来た。


織る度に手際も良くなり一つを仕上げる時間も短くなって来たが、複雑な模様や大きな敷物を織っているとどうしても日数が掛かってしまう。

ここ数日はアレックスとマーヤが寝静まった夜更けまで織物を織る生活を送っていた。

日を追うごとに目元の隈が濃くなり、頭の芯が痺れたように痛むが、身体の不調以上に心はやる気に溢れていた。


直近の目標はマーヤのワンピース資金を貯める事だ。

二人の進学費用と結婚資金は両親達が遺してくれたお金から出しても問題ない事を確認しているが、備えは多ければ多いほど良い。

これから成長する二人の食費も増えるし、普段から二人の衣服はシュリニ含め、両親達のお古を縫い直して節約している。


偶にしか出来ない贈り物位は新品の、本人だけの為に誂えた物を渡してあげたかった。

この日も皆んなで夕食を食べた後、寝支度を済ませて各々の部屋へ向かう。

一度、自室へ引っ込んだシュリニは本棚から一つの手帳を取り出すとそっと扉を開けて廊下の奥を進んだ。


祖父がこの家を購入した当初から使われている西側の角部屋。

色毎に並べられた沢山の糸と壁に掛かる大小様々な木枠。

テーブルの上に置かれた箱には鋏が行儀良く並べられ、扱う者の手を忠実に待ち続けていた。


少々歯の欠けた櫛は祖母が祖国から持って来た形見で、もう使っていない今もそこで織物を織るシュリニの手元を見届けてくれている。

祖母と母が織物を織る部屋として使い、今はシュリニの仕事部屋になっているそこへ足を踏み入れた彼女は慣れた様子で窓際のテーブルへ着いた。


テーブル脇の洋燈(ランプ)に明かりを灯し、広げたままとなっていた木枠の隣に持って来た手帳を置く。

手帳はシュリニの仕事道具の一つで、日々思い付いた図案や色彩のメモを付けていた。

昼間に納品する予定の物を一つ完成させていた為、今日は思い付いたアイデアを忘れない内に形作ろうと部屋へやって来たのだ。


最も納品する作品はまだまだあるし、いくら作っても卸した分お金として返って来るので、何もアイデアがなくてもここへ来ていたと思うが。

手帳の一番新しい(ページ)を開きながら手際良く糸を用意していく。

目の奥に痺れる感覚を覚えた事に蓋をしながら、重たい身体を椅子の背に預けて彼女は黙々と手を動かし始めた──





「……さん………姉さん、起きて」


誰かに揺り動かされている感覚にふと意識が浮上する。

耳慣れた声の主を確認しようと重たい瞼を開くと、そこにはとても心配した様子のアレックスの姿があった。


「あれ………どうしたの、アレックス……」


昨夜部屋に戻った記憶がない。

視線を緩慢に巡らせればそこは作業の為にと入った仕事部屋で、シュリニはテーブルに伏せた状態で居たらしい。


どうやら作業している内に眠ってしまったようだ。辺りは夜明けの光を帯びて薄らと明るくなっている。テーブル脇の洋燈はとっくに魔力が切れていた。


重く痛む頭を持ち上げてアレックスへ改めて視線を向ければ悲痛な顔をした彼が重々しく口を開く。


「もう夜明けだよ。姉さんこんな時間まで仕事してたなんて………最近疲れてるのに何かあったらどうするんだよ」


「ごめんなさい、少しだけ進めようと思っていたら思いの外長く居過ぎてしまったみたい。

もう朝食の用意をしないとね……」


「朝食なんて大丈夫だから姉さんは一度ゆっくり休んだ方が良い。

今日は学校を休んでマーヤと一緒に過ごすよ」


「そんな、大丈夫よ。ちょっと疲れて眠ってしまっただけだから。

待ってね、昨日作っておいた野菜の酢漬けが………」


言いつつ椅子から立ち上がろうとシュリニは身体を起こす。昨日より更に重く感じる身体と胸を襲う不快感に足が縺れたが、連日じわじわと体力を奪われていた身体に力は入らなかった。


「……っ姉さん!!」


……アレックスの声が遠くに聞こえる。

大丈夫、と紡ごうとした声が届いたか確認する前にシュリニの意識は再び暗闇へ沈んでいった。




お読み頂きましてありがとうございました。


家族とほのぼのについては、ちまちま書き進めております。

人様にお見せ出来る形に纏まったら投稿予定ですので、皆様が忘れた頃にまたやって来ると思います。

癖しかない作品ですが、もしお読み頂けましたら幸いです。

こんな筆不精な人間ですが、宜しければお付き合い下さい。

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