39. ループ最後の勇者は褒められる
認めたくない。
これはきっと夢なんだ。
だが、光の雨はちっとも彼の瞳を灯らせてくれない。
黒い竜は言葉をもう発さない。
どうして、どうして。
『勇者ラーラ』
声が聞こえる。女神の声。
涙でぐしゃぐしゃになったラーラの顔は、雨とともに水滴にまみれていて。
なにが涙なのか、わからない。
「クリス……さま」
聖剣は彼の血で濡れていて。それを雨が洗い流していく──けれども邪竜王の呪いは聖剣の刀身に染み込んでいって、白銀が黒に変わっていった。
また、女神の声が聞こえた気がする。
「……うる……さい」
かえして。
「クリスさまを、かえして」
女神様なら、できるんでしょう。
『貴女がやったのです。やってのけたのです。世界の敵は倒された』
そうだ。自分の意思だったのだ、彼を殺したのは。
また、女神が自分を呼ぶ声がする。
女神の、声──?
──女神が声をかけてきたそのときが、キミにとっての好機になる。
星の竜の言葉が、ふと思い浮かんだ。
──キミの思う救いの道ってのを信じるなら、そこにあるのかもしれないよ。
救いの道。それは、なんだろう。
自分が欲した救いとは、なんだったのだろう。
『私の勇者ラーラ。こちらへ』
ラーラが顔を上げれば、光の扉がそこに現れていた。
白く美しい、輝く扉が。
(私のとっての好機。レナード様はそれが女神の声が聞こえたときだと言っていた。この扉の先に、答えがあるのだとしたら)
ラーラは行かねばならない。
自分の考えが正しければ、自分の信じるものが何なのかわかる。そんな気がする。
いや、確信があった。
だからラーラは立ち上がる。
「私、存在しているのを良しとすることだけが、救いなんだと思っていました」
四人は静かにラーラの言葉に聞き入る。
「肯定するばかりじゃ、ひとは前に進めない。時には否定することだって必要なんだと。でも」
白銀の金髪を靡かせて、ラーラは言う。
「否定するばかりもいけない。どちらも必要だったんです。だから私」
ぎゅ、と拳を握って。
目をかたく閉じてから、一緒に旅をしてきた仲間を見た。
「貴方たちとの旅を、肯定して。否定します」
それは離別の決意だった。
そして、最大の感謝の言葉だった。
シシリーが前に出て、ラーラの手をとり、淡く微笑んだ。
「なんとなく、こうなるんじゃないかって思っていました。でも私、信じています。勇者様のこと。自分のこと。そしてこの星の奇跡を」
ステファンはラーラの頭をがしがしと撫で、にかりと歯を見せる。
「今言うのもなんだがな。オレ、お前のこと超格好いいと思ってたんだぜ。だから行ってこいよ、見せてみろよ、最高に格好いいところ」
エリックが瞼を閉じ、そしてあの優しい目の中にラーラを映す。
「僕が答えを見つけられたように、君も答えを見つけられる。僕は確信しているよ。ずっと、見守ってきたからわかるんだ」
アイリスが黒に染まった聖剣を両手にとり、ラーラへ手渡す。
「私は、私たちは、貴女様の決断を受け入れます。むしろそうしてくださいと応援いたしますわ。だって仲間ですもの」
ラーラは全員の顔を見つめる。
受け入れて、信じて。光を見て、立ち上がる。
みんな彼らから受け取ったものだ。
「私、忘れません。全部、みんなから教えられました」
今度は自分が示す番。
だんだんと雨が上がってきた。
ラーラは涙の残る眦を拭って、彼の身体にそっと触れた。
いつしか彼が自分にしてくれたように、抱きしめるように。
「どうか勇気をください。クリス様」
優しく黒の鱗を撫でる。
そして、光の扉に向かって、振り返った。
「行ってきます。だって私、救う勇者だから」
ラーラは笑った。彼らとの旅路に祝福をもたらすように。
「みんなを救ってきます」
聖剣を携えて。光の扉を、開いた。
そこは真っ白な空間だった。
清らかで、厳かな神殿にラーラはいた。
ふわりと目の前に現れたのは、ラーラと同じような金に近いシルバーブロンドの髪をした神秘的な白き衣を纏う神々しい女性で。
『待っていました。待っていたわ。待ちくたびれたわ、私の勇者!』
女神エレノアは子どものようにはしゃいで駆け寄り、ラーラに抱きついた。
「め、女神様……?」
『そうよ、女神エレノア! ようやくこうして会えた! 人に会えたのは1245年ぶりだわ!』
「1245年ぶり?」
『ええ、ええ! あの大いなる戦い以来よ、人族に会えたの!』
ふふふ、と心の底から笑む女神エレノアは全くの無害な赤子のようでもあった。
「人族に神託を与えていたのにも関わらず姿を見せなかったのは何か訳があったのです?」
ラーラが尋ねると、頬を膨らませて女神は言った。
『そう。星の竜たちがここに閉じ込めているのよ。だから降臨だってできないし、貴女に聖剣を渡すのだってループ毎に神殿の場所を変えなきゃいけなかったの。竜たちに見つかって地上の神殿が破壊されちゃうもの』
「だからループの度に神殿を探さなきゃいけなかったのですね……え、あの、女神様は……私のループをやはり、ご存知だったと」
その言葉を聞いて、待ってましたとばかりに女神は手を合わせた。
『ラーラの人生をやり直しさせる、つまりループさせようと思ったのは私の思いつきよ!』
ラーラは目をこわばらせた。
「私のループは、女神様がはじめたもの……?」
『ええ! 私の力を少し分けたのよ! すごいでしょう!』
今度は女神は目を伏せてこう言う。
『ずっと竜が嫌いだったの。あの大いなる戦いでお父様お母様、家族みんなを竜に殺されたわ。私たちがちょっと機嫌を悪くして魔獣を生み出したからってあんなに怒るなんて』
「魔獣を生み出した? 人族において伝わる大いなる戦いは、神が人を生み出し竜が魔獣を生み出したのがきっかけではじまったのだと」
『そういうことになってたわね。あら、私がしたんでした』
女神の言葉にラーラは言葉を詰まらせた。
「じ、じゃあ女神様が、嘘を吐いて人族に伝承を流していたんですか……!?」
『嘘ねぇ。嘘を吐くのは人族の常套手段じゃない。私がしたのはもっと美しいやり方よ。竜みたいな醜い生き物がすることじゃないし。まあ嘘を吐く人族ってとっても可愛いから好きなんだけど!』
だからね、と女神はラーラの手を取って神殿の中を案内し、水鏡の前へとラーラを立たせた。
『見て。私のお気に入りの、人族が嘘を吐くところよ!』
にこりと笑って女神エレノアは水鏡に手をかざして、あるものを見せる。
それは、桃色の美しい竜と金髪の男性がともに手を取り合っているところだった。
「桃色……もしかして、初代竜王エヴァン様……?」
『様なんてつけなくていいわ。見てて』
──私、竜王エヴァンは人族と手を結び、神々との戦いを終わらせることを誓います。
──ありがとう、エヴァン。我が愛よ、どうか人族を導いてくれ。
──いいえ、貴方が導くの。竜は星を管理する生き物。でも……貴方を愛することは、できるわ。
(初代竜王と人族は最初、愛し合っていたのね)
ラーラが見入っていると、女神がくすりと笑って水鏡に自らの指を垂らした。
『見てて、ラーラ。面白いわよ』
──我が愛する竜、あ、あいする……エヴァ、ン……わたし、は……。
──どうしたの? 様子がおかしいわ。
──我が愛、我が竜よ、にげ、て……く、れ……! 私は、私は……お前を、あい……っ!
人族、きっと王族なのだろう彼は頭を押さえて苦しみだし、次の瞬間冷徹な目でこう言った。
──人族は、お前たちを認めない。星を食い潰す醜い生き物め。
──なにを……? どうしたのです、私を自らの愛だと呼んでくれたではありませんか!
──近づくな、竜!
傷ついた表情を浮かべるエヴァン。
王族の男が去っていく。
『ね? 面白かったでしょう? 私こうやって遊ぶのが大好きなの!』
「女神様が、竜族を……竜と呼ばせ、差別文化を作ったと?」
『竜を竜と呼びはじめたのはあの人族だけど、我が愛って呼んでたのを蔑称にしちゃうだなんて』
やっぱり人族って愛おしいわ。
(なにを、言ってるの)
ラーラはその言葉に肌が粟立つ。
『私はね、大いなる戦いで一人になったわ。ひとりぼっちは嫌、大好きな人族とだけ一緒に暮らしたいって。だから竜がみんないなくなるようにずっとがんばってきたのよ!』
絹のような髪がふわりと女神の動きとともに揺れる。
『前のループで私の光に黒竜を殺させようとしたら大成功! ついでに貴女も死んじゃったけれどループするから大丈夫だったわ、つくづく貴女に力を分けておいてよかったと思ったの』
「光って……シシリーの、こと?」
『そうよシシリー! あの子ったらもう私のこと信じないんですって! ひどい子よね、ずっとあの子を導いてきたっていうのに』
腰に手を当ててぷんすか怒る女神。
あら、今ので魔獣がちょっと産まれちゃったわ、となんてことのないように言う。
『貴女だってそうよ。王都の襲撃のときに聖剣を放っていったじゃない。私ちょっと怒って強引に千里眼の赤ちゃんで八つ当たりしそうになったのよ、でもちゃんと貴女が邪竜を退治してくれてよかったわ』
「……」
『うちの星もひどいわ。千里眼を持つのは私だけでいいのに忌々しい黒竜と赤ちゃんにまで授けるなんて。地球を視るのは私だけの特権だったのに』
「チキュウ……それって!」
あの月夜にクリスが言っていた星の名前と同じだ。
『あら、知ってるの? 地球ってとっても面白いのよ! 竜もいないし人族もこの星よりいっぱいいてまるで玩具箱のよう! いいなぁ、私の星もあんな風にしたいわ』
だからがんばってたのよ、と女神は嬉しそうにする。
そして──こんなことを言い出した。
『最近の私のトレンドは日本の文化よ! 漫画やアニメっていう娯楽が素敵なの! その中でも一番好きで流行ってるのが、悪役令嬢もの!』
「アクヤク、レイジョウ……」
『色々な派生があるけれど、オーソドックスなのは王子様の婚約者である貴族の令嬢が主人公である平民の女の子をいじめて、最後には王子様に断罪されて婚約破棄される物語。ねぇ、どこかで聞いたことあるでしょう?』
貴族の令嬢。
いじめ。
婚約破棄。
知らないはずがなかった。はじめの人生から付き纏ってきたことだから。
女神エレノアは硬直するラーラの手を取って言った。
『そう、貴女よ! 見つけたときこれだって思ったの。貴女を主人公にしてこの星の邪竜を倒すそんな面白いストーリーが見たいって思ったのよ!』
うふふ、とにこやかに、どんな花よりも美しく女神は笑った。
それは無邪気で清らかな娘の笑顔のようで。
ラーラは、なにも理解ができなかった。
『婚約破棄された令嬢が勇者になって悪の竜をみんな倒してくれる、素敵すぎるわ、こんな物語!』
「その物語が見たくて、私に……ループする力を与えたのですか」
『だって貴女、簡単に死んでしまうんだもの』
頭をガツンと殴られた気がした。
『ずっと視てたわ。応援してたわ。この神殿から出られないから手に汗握ってたくさん手助けしたわ。そうしたらようやくこのループで貴女はやり遂げてくれたの!』
手助けとは、竜族蔑視のことだろうか。ループのことか。シシリーを操ったことか。エリックを乗っ取ったことか。邪竜化したクリスをループしてもそのままにしたことか。
全て、なのか。
女神はその場でくるりと回って手を広げた。
『私、人族が大好き! その中でも貴女、ラーラが一番好き! この星の物語の主人公、勇者ラーラが大好きよ! だからね、貴女になってもらいたいものがあるの』
神とはこういう思考をする生き物なのか。
ようやくわかった。ひとの人生を物語として見ているのだ。
「……なんでしょうか」
ラーラは静かに訊いた。
女神エレノアは──お気に入りの人形が魔法で動き出したときのように歓びを表現して言った。
『貴女に、私と同じ女神になってほしいの!』
至上の幸福であるかのように陶酔してエレノアは笑った。
『私と同じ女神になったら、私のお友達になってくれる。もうひとりぼっちじゃなくなるの、貴女ももう死にたくないでしょう? 女神になれば何でもできるわ。私と一緒にこの神殿から出られるだろうし、そのためにループする毎に貴女の魔力を高めてあげた。もう貴女は女神に相応しい魔力を持っているのよ』
だから。
女神エレノアは薄桃色の綺麗な形の唇で、ラーラにささやいた。
『私と一緒に、この星で遊びましょう?』
そうか。彼女も救われたかったのだ。
どんなにひととは違う思考回路を持っていても、凄まじい力を持っていても、一人は嫌だったのだ。
ならば、救わなければいけない。
救いとは、肯定と否定の両方から成る。
ラーラは瞳を閉じて、自分と似た姿の女神を見た。
「いいですよ。女神様の友達になります」
『じゃあ……!』
「ですが、同じ女神にはなりません」
へ、と女神は目をぱちくりとする。
「私はラーラ、救う勇者です。私の物語は私だけのもの。貴女と友達になったことで対等となった。私の運命はもう操作させません」
『なにを、言うの?』
「私は貴女を肯定して、否定します。だから」
ラーラは腰に下げた聖剣──黒く染まった剣を鞘から抜く。
「女神の座なんていらない。私は貴女のお人形じゃないのだから」
『ラーラ……?』
不思議そうに首を傾げる女神。
「エレノア。人も竜も存在していいって思ったことはない? 私はそう思う。誰だって生きていていい。嫌いだとしても存在を認めるだけでいい。魔獣だって生きていていいの」
『ねぇラーラ、どうしたの……剣を捨てて、それはもう呪われているわ。その剣で傷つけたものは全て私の加護を受けられなくなる。女神に至る機会が失われるの。危ないわ』
「いいえ、捨てない」
ラーラは黒の聖剣を首に押し当てた。
「私はラーラ、死んだらループする力を持った勇者!」
『やめて……やめて、ラーラ! そんなことしたらループする力だってなくなるかもしれない!』
「それでもいい!」
白銀の魔力の風が吹き荒れる。
信じられない、という顔をする女神。
決めたのだ。もうラーラは迷わない。
「みんなが嫌う邪竜を、クリス様を愛したただの女は、最後のループをする!」
『ラーラ! やめてぇえ!!』
女神は叫ぶ。心の底から嫌だと叫ぶ。
けれどもラーラはもう決めたのだ。
みんなの顔が思い浮かぶ。ループをすれば彼らの記憶はなくなるだろう。それでもラーラがこうするとわかってくれた、仲間の顔が浮かんだ。
「そして、私は──」
女神エレノアが手を伸ばすけれどもう届かない。
ラーラは剣に力を込めて。
このループに別れを告げる。
「よくがんばったって、褒めてもらうんだから!!」
彼の祝福を受けた聖剣が、光を放った。
ラーラ・ヴァリアナは伯爵令嬢であり、この国『アルア王国』の第一王子の婚約者である。
そして、人知れず何度も人生をやり直していた。
目の前には剣と薔薇の紋様の扉がある。
首に触れていた短い髪がなく、腰にまで髪が長くなっている。
ラーラは、ループしたのだ。
女神が言ったように、あの聖剣には呪いがかかっていたようだ。
自分の中にあった、神に匹敵する膨大な魔力はどこにもない。ただの凡人、人族の持てる魔力量に収まっていた。これではまともに魔力探知すらできない。
けれど。
ラーラは感じていた。懐かしい、あの気配を。
ゆっくりと、瞼を開けて。
貴族たちの合間を縫って、優しい黒を見た。
艶やかな黒髪は短く切り揃えてあり、一目でそこらの貴族ではないとわかる生地を使った礼服に、これまた黒く長いマント。
そして真っ直ぐな金の瞳が、愛しい女の子の姿を映した。
一歩を踏み出して。
走り出して。
彼に──クリスに、抱きついた。
「ラーラ」
ああ。心臓が歓喜で震える。
夢じゃない。本物の彼だ。
嬉しくて、嬉しくて。ラーラは涙を浮かべて、彼を見上げた。
「私、ラーラ・ヴァリアナといいます。ゼレンセン王国の竜王様、貴方と一生添い遂げると誓った、勇者でもなんでもないただの女です」
大好きな黒に微笑む。
「私を、覚えていますか」
金色の瞳が、柔らかく笑んだ。
「覚えているよ。全てを。俺が邪竜になったことも、君が俺を討ってくれたことも。俺は君に言わなくちゃいけないことがある」
ゼレンセン王国の竜王、クリス・ゼレンセンは──ずっと言いたかった言葉を口にした。
「よくがんばったな」
ラーラは思った。
私はクリス様に褒められるために、がんばってきたのだと。
ラーラは海のような瞳から涙を溢れさせる。
「私、何度もループを繰り返しましたが、褒められていいんですか?」
「ああ。それにもう君は人生のやり直しをしなくていい。俺の呪い──祝福を受け取ってくれたから」
竜王クリスはそっとラーラの首筋、最後のループをするために剣を押し当てたところに触れ、そして愛おしげに頬を撫でた。
「ラーラ。俺のために、やってもらいたいことがあるんだ」
「なんでしょう、クリス様」
クリスはラーラの手をとって、剣と薔薇をあしらった扉の前へ立つ。
そして──微笑んで、こう言った。
「君は世界一エライ。だから婚約破棄を受け入れてくれ!」
ループを終えたラーラは微笑んで、頷く。
ただの竜とただの女の子は手を取り合って、新しい世界の扉を開いた。
次のお話で完結です。
明日、どうぞよろしくお願いいたします。




