38. 貴方に最大の愛をこめて
「シシリーちゃん、いいね!」
「はい、お任せください!」
ありったけの光魔法をエリックの矢尻にかけて、一本の矢を遥か遠くに射る。
その矢の光が大きく膨らんで弾け──数多の魔獣に降り注ぐ。
今までで一番強力で大きな、エリックとシシリーによる連携攻撃だった。
「よし、東の丘は制圧完了だ。次は……」
「エリックさん」
「なんだい?」
シシリーは幾つもの光弾を襲いかかってくる魔獣にぶち当てて言った。
「王都での襲撃のとき、エリック様……本当の本気で、勇者様を殺そうとしてましたよね」
「……そうだね」
「そして、それ以前から殺そうとしていた。日に日に殺意が増していたの、実は私気づいていたんです」
「……」
エリックは静かに魔獣の額へと弦を引く。
「私、わかるんです。光魔法の使い手だから。人の気持ちがなんとなく伝わるっていうか。でも貴方の殺意は温かかった」
「温かかった?」
「はい。それに貴方の勇者様への視線も優しくって、私ずっと迷っていたんです。どちらが本当のエリック様なのか」
ブン、と杖を回して周りの魔獣を一掃する。
「でもようやくわかったんです。王都の門の前で女神に乗っ取られ勇者様の背中に向けて弓を引いていた貴方が、ゆっくりと武器を下ろすのを見て──安心するのと同時に、悲しくもなったんです」
「それは、なんでかな」
シシリーは短剣で魔獣と応戦し、手に怪我をしたエリックに治癒魔法をかけ、エリックの顔を真っ直ぐに見た。
「もうエリックさんは、勇者様に温かい気持ちを向けることをしなくなったんだって」
シシリーはすぐさま振り向いて魔獣の攻撃から魔力障壁を張って防いだ。
「その気持ちがなんなのか、私にはわかりません。でも、貴方自身は全く悲しそうじゃなくて、辛そうじゃなくて……」
「シシリーちゃん」
エリックは真っ黒な雲と魔力に覆われた空を見上げて言った。
「僕はね、幸せなんだよ。彼女を殺そうと思わなくなったその確信が僕の中にあることが」
「それって……エリック様!」
今にも泣きそうな声を出すシシリー。
「うん。僕、世界が逆さまに見えてても、光だけは見えていたから。その光を消さずによかったって本気で思ってる。きっと僕はこの逆さまの世界を持ち続けるんだろうけど、その光はずっと温かいまま僕たちを照らしてくれるんだ」
シシリーはエリックの顔を見上げる。
その表情は、とても晴々しくあって。
自分の力が彼女の助けになる、それがとても嬉しいのだと。
「逆さまの世界でも存在していていいって、彼女は肯定してくれた。そんな気がするから──僕は大丈夫なんだ」
ふ、とエリックは温かく微笑んだ。
「シシリーちゃんも、ラーラちゃんに救われたもんね」
「……はい。勇者様の大切な人を世界の敵にしてしまったその記憶はないけれど、私はその原因を作ってしまった。二度も勇者様の命を狙った。だけど」
涙で滲む視界を拭って、シシリーは力強く杖を握って魔力を溜めた。
「私も、もう大丈夫なんです。女神なんかに騙されない! 私はもう、負けないんです!」
光が、波状に広がっていく。皆の目を覚まさせるように。
エリックはその光もまた、温かいと思った。
「うん、僕たち、彼女のおかげでもう大丈夫になった。なら彼女の障害になるものは全部、さよならしなくちゃね!」
「はいっ、エリック様!」
もう一度大技、飛ばしますよ! とシシリーが威勢よく言って。
エリックが不敵に笑って、弓を引き絞った。
『グルルル……グギャアアアア!!!』
上空に飛ぶ、邪竜王の嵐のような魔力により、既に朽ち果てようとしていた城が崩れ落ちていく。
(コーネリア城……)
彼とともに過ごした場所がまた一つ、破壊されていく。彼の意思などなく、ただ衝動のままに。
邪竜王は無差別に黒の炎を吐き、瓦礫の山となっていく城を焼く。呪いで溢れ焼かれた地面はラーラの足裏からじわじわと力を奪っていくが、そんなの関係ない。
ラーラは邪竜王の様子を見つめながら、後ろに下がる。
(クリス様。本当に……意識がないのですか)
ただただ、咆哮し周りを壊し尽くす竜を見る。
いつしか見せてくれた本当の黒竜の姿とは桁違いの恐ろしさと禍々しさに臆しそうになるが、この竜が彼なのだと思うと『救いたい』という気持ちが湧いてくる。
(でも今のクリス様にとっての救いとは)
自分の信じているものとは、違うのではないか。
ずっと皆を救いたいと思っていた。クリスが自分にしてくれたように、その存在を認めてくれるのが救いだと思っていた。
(偽善だというの。欺瞞だというの。間違ったことなの?)
存在を肯定することが救うことに繋がる。
でももし、彼にとっての救いが──存在を否定することなのだとしたら。
──邪竜になった時点で、もう彼にとっての救いは一つしかない。
──あの竜の命を断つことだ。
レナードの言葉が頭に響く。
(いや、いや、そんなのいや。クリス様をこの手で殺す? そんなことできない!)
ぎゅ、と大きな宝石の魔法具を握りしめる。
これはシシリーに全力で光魔法を注いでもらった、クロニカの創った魔法具だ。
どうかこれで意識を取り戻してほしい。その一心で作ってもらったもの。
(これで本当に、彼を元に戻せるの?)
ふと、思った。
もしクリスを邪竜王から元に戻せたとして、彼はどのようにして生きるのかを。
数多の国を滅ぼしている。数多の人族を、竜族を悲惨な目に遭わせている。
命を、たくさん奪っている。
世界の敵。指をさされて、重たすぎる贖罪を背負って生きていくのを彼に強いることになるのではないか。
それでも彼を元に戻して、前のループのような幸せな暮らしができると信じ込んでいるのではないか。
間違いなのではないだろうか。
彼は、自分を許せるだろうか。
(クリス様……これは、私の我が儘なのでしょうか)
それでも生きていてほしいなんて。
でも彼の幸せを考えたら──。
『ギャアア、ギャァアアアアッッ!!』
「……っ!」
上空から急降下して城の残骸の土地に突っ込んでくる邪竜王から距離を取る。
突進してくるなんて出鱈目だ。ずっと黒のブレスを無差別に吐いていて規則性も何もない。
ただ沸き起こる破壊衝動のままに邪竜王は動いていた。
「クリス様。聞こえますか」
『グルルルル……』
上空から城を壊したのも敵と認識したラーラを生き埋めにするつもりだったのかもしれない。金色の瞳を妖しく光らせて邪竜王は唸った。
「聞こえているのでしょう。私です、ラーラです!」
『グアアアアア!!!』
黒炎のブレスをラーラに向かって吐き出す邪竜王。
ラーラはその炎を避けるようにして、焼け野原になった城の跡地を走る。
『ガアア! ガアアアアッ!!』
破壊の魔力の伴った巨大な光弾を幾つも空中に生み出し、ラーラを確実に殺そうと追尾させる。
ラーラはその光弾を聖剣で斬り裂き、魔力はその場で爆発する。
「クリス様! こんなことしても無駄です!」
うるさい、と叫ぶかのように邪竜王が今度は空一帯を埋め尽くすような光弾を生み出して一斉にラーラへ打ち込む。
「は、ぁああああッッ!!」
聖剣を突き出して規格外の魔力障壁を張りその攻撃から身を守る。
だがじわりと障壁が綻びを見せ始め、ラーラは上空に飛んで自分に付き纏う光弾を──空中で回転し斬った。
着地し、邪竜王と睨み合う。
「はぁ、はぁ……本気、なのですね」
『グルル……ガァアアアッ!!』
呪いを帯びた黒い翼をはためかせて飛びはじめ、他の者が受け止めれば一瞬で命を滅せられてしまうだろうブレスをラーラへ吐き続ける。
ラーラは強化魔法をかけた脚で全力で避け続け、防戦一方となっていた。
そんな彼女に──邪竜王は容赦なく。
触れれば最後、魂さえも消し去る威力の黒い魔力をその口から吐き出した。
「──ッッ!!」
咄嗟に聖剣で受け止めるが。
ピシリ、と刀身にヒビが入った。
(私の魔力を通した剣が押されている!?)
ラーラの魔力はこのループになった時点でこの星一番にまで膨大な量になった。名実ともに最強となった。それなのに競り負けたということは。
(私は……本気でクリス様に向き合っていない)
膝をつくラーラに空中から次々と攻撃をする邪竜王。
今度は魔力を纏った大きな竜巻をその翼で生み出して飛ばしてきた。
「くっ──これで、どうですかっ!」
ラーラもまた魔力を練り白銀の竜巻を生み出しぶつける。
強力すぎる二つの魔力の衝突によって轟音が響き渡り、戦いの熾烈さがラーラの体力を奪っていく。
『ギャアアアアッギャアア!!』
とどめとばかりに特大のブレスを放ってきて、ラーラは受け止めようとするが先ほど剣にヒビが入ったことを思い出して咄嗟に転がってブレスを躱した──そのとき。
懐にしまった宝石の魔法具が呪いで燃え盛る地面に落ち、光を失っていく。
「待って! だめっ!」
手を伸ばそうとしたラーラに次なるブレスが吐かれて空中へ逃れるしかなく──宝石の光は、見えなくなった。
「うそ……」
すぐさま魔法具に駆け寄り手に取るが。
ラーラの目から見てももう、欠けてしまっていて直しようのない状態、竜族一人は救えるかもしれないが巨悪たる邪竜王を救うための万全な魔法具とは言えなかった。
これじゃもう、クリス様を救えない。
「私が……ずっと迷っていたから」
邪竜王がまた呪いの咆哮を上げようと首を上にする。
「私が……間違っていたから」
そのとき、瓦礫の山から弱々しい声が聞こえた。
「たす……け……」
ラーラはその方向へ目を向けて驚愕した。
コーネリア城の生き残りがいたのだ。ずっと呪いから身を固めて自分を守っていた、その彼は──執政官の服を真っ黒に染めていて、もう呪いの竜になりかけていた。
とにかく助けようと、まだ僅かに光る手元の宝石の魔法具を彼に投げつけた。
光魔法が竜族を包み込み、呪いが晴れていく。
「ああ、ありが──」
目の前で、無慈悲な邪竜王の呪いが降り注ぎ。
通常の呪いよりも強大すぎる呪いであったため、彼は呪いの竜になるよりも前に──その身を、弾けさせた。
(そんな)
目の前が揺らぐ。
立っていられなくなって、聖剣を握る手が緩く力を失っていく。
(救え、なかった)
漆黒の魔力のブレスが、ラーラに向かって吐かれて──襲いかかる。
間に合わない。
「──間に合わない、なんて諦めてませんでしたか、勇者様!!」
ハッと前を見ればシシリーが、光魔法の魔力障壁を張っていた。
「シシリー、さん……」
「皆様、手伝って! 私一人じゃ受け止めきれない!!」
アイリスとステファン、エリックも手を必死にかざして障壁に魔力を送る。
「ラーラ様! ご無事ですね!」
「脳筋勇者のくせに膝なんざついてんじゃねぇぞ!」
「こんなところで負けちゃだめだ、ラーラちゃん!」
みんなが来てくれた。
自分が信じたみんなが、ともに戦うために来てくれた。
「勇者様、一度間違ってしまっても人はやり直すことができます! だから、諦めないで!!」
シシリーが呪いのブレスによって指先が黒く染まっていきながら叫ぶ。
「オレはお前を信じた! 今度はお前がお前自身を信じる番だろっ!!」
苛烈な戦いの血で濡れた手でラーラを守るステファン。
「どんな貴方様でも私は受け入れます、だからどうか、立ち上がってください!」
アイリスが魔力切れになった自分の身体をさらに奮い立たせて言う。
「僕は君の仲間だ、仲間だと言ってくれた君を守る、それが僕の役目だから!!」
愛をかなぐり捨てたエリックがらしくない大声を張り上げる。
「……ッ」
ラーラがよろ、と立ち上がる。
両手を出して皆の張ってくれた魔力障壁の上から、何重もの障壁を張って──呪いのブレスを相殺した。
「みんな、私の願いを聞いてくれますか」
四人は息を荒くしながらラーラを見る。
決意を固めた勇者が、拳を握った。
「これから私がすることを、止めないでください。攻撃してでも、私が泣き叫んで暴れても止めさせないでください」
どういう意味だ、と問う前に邪竜王が次のブレスを放ってきて。
ラーラはそれを──片手で受け止めた。
「私は、邪竜王を伐ちます」
瞬間、ラーラの姿が消える。
否、ただ脚力のみで空を飛ぶ邪竜王に肉薄したのだ。
そして一度も傷をつかせようとしなかったその禍々しい鱗の身体に、剣を突き立てた。
『ギャアッ!! ギャアアアアア!!』
苦しげな声がラーラの耳に届く。
彼の傷ついた声。痛いと叫ぶ声。
だが、ラーラは見てしまった。
どこまでもラーラを、他の命を敵としてしか見ていない、金色の瞳を。
止めなくちゃ。止めなくちゃいけない。
(もうクリス様じゃない。あれは、邪竜王なんだ)
竜族が誇りをもって生きれる国にしたい。
竜族も人族も手を取り合っていく世界にしたい。
そんなことを言っていた彼はもう、いない。
目の前に助けを求めるひとを、クリスは見捨てない。
だけど──目の前の竜は。
(世界の、敵──!!)
空中で飛び回り邪竜王の角を砕く。
魔力を生み出す翼の神経を斬る。
ブレスを吐く喉を裂く。
『ガッ……ァ、アア……!!』
凄まじい轟音とともに邪竜王が地に倒れ伏す。
ラーラは邪竜王の顔の目の前に降り立った。
そして、懐にあった全ての光魔法の魔法具を空に打ち上げて──光の雨を降らす。
『ギア……ギャアアア、ギャアアイア!』
ラーラによって傷つけられた身体で苦しげにする邪竜王を見つめる。
だが、光の雨によって苦しむ様子はない。
血を流し、煙のようにまで薄くなった呪いを吐くだけで、その金の瞳は自我を取り戻さない。
もう、あの竜族の命は還らない。
「……」
四人は固唾を呑む。
ラーラはゆっくりと邪竜王に近づく。
そして──聖剣を掲げ。
今度は、迷わない。
「あああぁ────ッッ!!」
勇者は咆哮し。
聖剣が、邪竜王の額に突き立てられた。
『ガアアァアアギャァアアッアアア!! グギャァアアッ!!』
聖なる勇者の魔力が流れ込み、のたうち回ろうとする邪竜王の息の根を止めようと必死に突き立てている聖剣を握るラーラ。
絶対に、放さない。絶対に、絶対に──!
そうして、邪竜王は抵抗の力を無くしていって。
『ギャアアアァ──……、……』
突如として邪竜王の悲鳴が止まる。
白銀が、視える。
魔力同調がほんの少しだけ起こって。
夢にまでみた、焦がれた色が視える。
『…………ラ』
視える。彼女の胸元にある決意の金色が。
いつか彼女にあげた、自分の心臓の宝珠の色。
『ア……ア……ラ、ラ』
名を紡いだ。
邪竜王は全身から血を噴き出しながら口を戦慄かせる。
呪われた邪悪な身体は聖剣の力によって自壊していく中、必死に言葉を発する。
ずっと視てきた、大好きな女の子に恋をした竜は、口が崩壊する中で言った。
『らーら、よく……がんばった、ね……えらい、とても……えらい……』
うそ。
そんな。
「クリ、ス、様、クリス様!!」
ラーラは聖剣を引き抜いて手で押さえても血が止まらない。
治癒魔法をかけても自壊が早まるばかり。
「いや、いや、クリス様、まって、クリス様!!」
光の雨が、金色の瞳を懐かしい光に灯していく。
ラーラは必死に何かをしようとして、竜の口元を抱きしめた。
『らーら…… よくがんばっ……た、な。もうこれか……がんばら、なく……て、いいん……』
「まって、いかないで! 私、私、貴方に言いたいことがっ……!!」
ラーラは気がついた。
金色の瞳の、光が消えたことに。
「あ、あ……ぁ、あぁ……」
もう、竜は完全に息を引き取りしゃべらなくなった。
ぼろ、ぼろ、と涙を溢れさせて。
勇者ラーラは、はじめて泣いた。
『勇者ラーラ』
女神の声が、聞こえる。
『私の勇者、ラーラ』
女神が、世界の敵を伐った勇者の名を呼んでいた。
完結までどうぞお付き合いください。
よろしくお願いいたします。
明日の更新は夜8〜10時ごろの予定です。よしなに。




