37. 救いとは
魔界ゼレンセン。
黒の呪いが振りまかれる土地。
竜族の命が弄ばれる、竜も人も住む場所ではなくなったところ。
私は最初に彼に出会ったころのドレスを着て、ぼうっと城へと歩いていた。
(どちらに、いらっしゃるのかしら)
あの優しい黒は、いずこ。
ずっと探している。ずっと声を聞いていない。
瓦礫の中にも、禍々しい空の上にもいない。
歩いて、探して。
ようやく見つけた。
『ラーラ』
ああ、と。
これは夢だと思った。夢の中なんだと。
(だってクリス様はあのとき邪竜王になってしまった。あのように人の姿で、笑顔を見せてくれるなんてことはあり得ない)
夢の中のクリスはコーネリア城の天辺にいた。
いつか二人で月夜を楽しんだあのときのように。
『どうしたんだ。もしかして俺の作った晩ご飯がおいしくなかったとか?』
うーんと首を傾げて唸るクリス。
これは都合の良い自分の夢だ。幸せだったころの記憶から頭が呼び起こした、現実ではない思い出の残り滓。
でも、それでもその姿でしゃべる姿が──ひどく懐かしくて。
恋しくて。
(夢でもいい。クリス様にまた会えた)
あの人が元気に生きている。
笑っている。それでいいじゃないか。
ふわりとラーラは浮き上がってクリスのいるところまで飛んでいく。
『ラーラ、来てくれたのか。やっぱりラーラはスゴイしエライな』
こうして褒めてくれる。それがたまらなく嬉しくて。
「クリス様も、とってもエライんですよ。ご存知でした?」
『へ、俺が? 俺はエラくなんてないよ。ずっとがんばってたラーラの方がエライ。まあ、毎日あの量の執務をこなしてるんだから確かにエライかもだけどな』
にぱ、と元気そうに笑むクリス。
(その笑顔をどんなに見たいと思っていたことか)
目の前の彼がいる幸せに浸る。ああ、今までのことはきっと悪い夢だったんだ。
そう思いたい。思い込みたい。
このひとときだけは。
切なげに表情を綻ばせるラーラを見てクリスが『どうした?』と訊いてくる。
「いいえ、なんでも。なんでもないんです」
『ラーラがなんでもないって言うなら──って、騙されないぞ。ほら、俺の横に座って。温かいお茶にミルクを入れてあげよう』
どこまでも優しいクリス。あのクリスが、目の前にいる。
虚構じゃない。ちゃんといるんだ。
『……どうした、泣いているのか?』
「いいえ……私は泣きません。私、この旅で一度も泣いたことなんてないんですよ」
『そうか。エライなぁ、ラーラは。俺ならすぐ泣いて帰ってくるよ』
ミルクティーを魔法で入れたコップを手渡される。
「懐かしいです。あの温室、とても綺麗でした。お茶もおいしかったし、もう随分前のループのときの記憶のよう」
『記憶ってものはそんなものさ。どこか遠くへ行ったと思えば、すぐそばにある。手を伸ばしたら消えてしまって、いつの間にか目の前にあるんだ』
クリスは金の腕輪をつけた己の腕を伸ばし、星々を掴もうとするが掴めない。
『今言うのは格好悪いかもしれないが、前回のループで君にはじめて会うとき。アルア王城で君を見つけたとき、なんて言おうかってずっと考えていたんだ』
「そうなんですか?」
『ああ。君の瞳が美しいから遠い地から馳せ参じた、とかくさい台詞とかね』
くすくす、と二人で笑い合う。
そんなことがあったなんて知らなかった。
『多分100通りくらいは考えてたと思う。だってあの憧れの、ずっと千里眼越しだけど応援してきた女の子にようやく会えるんだ。でもいざ口をついて出てきた言葉は、なんてことのない言葉だった』
── よくがんばったな。もうこれからはがんばらなくていいんだ、ラーラ。
ラーラは思い出す。あの声の落ち着きを。ループの中ではじめて現れた優しい黒の存在を。
「きっとものすごい賞賛の言葉よりも、あの褒め言葉が私にとっての一番なんです」
『……そうか』
「よくがんばったって、もうがんばらなくていいんだって、私はずっと言ってもらいたかったんだと思います。だからあのとき本当に……嬉しくて」
いっぱい泣いちゃいました。ラーラはふふ、と笑いながら言った。
『そうか……そうか』
クリスは夜風にあたって美しい濡羽色の髪を揺らして、ラーラに視線を合わせて言った。
『ラーラ。俺が邪竜になってしまったら』
「聞きたくないです!」
ラーラは自らの耳を塞ぐ。
聞きたくない、そんなこと。聞いてしまえばもう終わってしまう。この幸せな夢が。
クリスがそっと隣のラーラを抱きしめる。
『お願いだ。俺の最後のお願いなんだよ、ラーラ』
「そんなこと言わないで! いやです、絶対にいや!」
『ラーラ』
クリスはラーラの塞ぎ込んでしまった顔を上げさせて、その両頬を手で包み込む。
『なあラーラ。楽しかったよな。俺の国に来てくれて、ご飯を食べてくれて。公園に行ったり、一緒にアイリスに叱られてさ。スタンには稽古をつけてもらったよな。おまじないも毎晩したよな。お行儀悪いことしたり、温室でティータイムもして、星竜祭の灯りも──、一番見せたかった月夜も見せられた』
いや。言わないで。
言ってしまえば、私は。
『俺はこれ以上、ラーラとともに過ごしたこの世界を壊したくない。ラーラと愛したこの星を、呪いの星にしたくないんだ。だから最後のお願いだよ』
ふ、と一等優しい微笑みを浮かべて。
『俺を、殺してほしい』
クリスは言った。
「……っ」
いつの間にか手元には聖剣があった。
これで討てと、言うのか。
「……私は救う勇者、救うんです、貴方を殺すために勇者になったんじゃない!」
『今の俺にとってその剣で貫かれることは、救いなんだよ』
「そんなの救いじゃない!!」
子どもの癇癪のように叫ぶラーラの手を取って、剣を握らせる。
『お願いだ、ラーラ。もう少しだけ、あとはもうこれだけだから──がんばってほしいんだ』
なぜか自分の聖剣の剣先はクリスの心臓に向かっていて。
クリスがそれでいいんだと、ずっと微笑んでいて。
二つの月はただ見守っていて。
「いや、いやぁあああああ──ッッ!!」
聖剣は、夢を切り裂いた。
「はぁ、はぁ……はぁ」
脂汗でびっしょりになっていて、飛び起きた。
(ここはどこ。私は一体何をしていたんだっけ)
と、震える両手を見ていると声がした。
『アルア王国の王城さ。君、うなされていたよ。大丈夫? 流石の僕も心配で駆けつけてきちゃった』
「貴方は……」
星の竜、レナードだった。
レナードはいつぞやの幼い少年の姿で、恐らく此度も端末とやらでの会話になるのだろう。
『明日はついにゼレンセンへ出立だね。ついに来たって感じ。星の竜たちも準備を進めているよ、激しい戦いによって星の魔力が乱れるだろうからね』
「レナード様」
ラーラは息を落ち着かせてから、静かに言った。
「あの夢を見せたのは、貴方ですね」
レナードは最初そのままの笑顔でいたが、すぐに無表情になった。
『なんでわかるのかなぁ。ボク、親切心でやったんだよ? そんな顔しないで』
「意地悪ですね。前からずっと思ってましたが、レナード様は本当に意地悪です」
それに、とラーラは続ける。
「私のためにあの夢を見せてくれたんでしょう」
『わかってるなら意地悪なんて言わないでよ。優しいだろ、ボク』
「そういうところが意地悪なんですよ」
城の一室の寝台の上にいるラーラに言い聞かせるように、レナードは寝台のそばに椅子を出現させてそこに座った。
『いいかい、ラーラ・ヴァリアナ。もうあの竜はクリス・ゼレンセンじゃない。邪竜王なんだ。決して意識を取り戻させようなんて考えちゃだめ』
「なぜです、私は彼を救うのだと誓ってこの旅をはじめたんですよ!」
少し髪の伸びたラーラは食ってかかる。
『邪竜になった時点で、もう彼にとっての救いは一つしかない』
「……っ!」
『あの竜の命を断つことだ』
レナードの碧眼がじっとラーラを見つめていた。
それしか道はないと言うように。
『さっきの夢だって全部がボクのつくった夢じゃない。彼の意思だって入っているんだ』
「そんなの信じません!」
『信じなくてもいい。キミがしなければボクがするまでさ』
「なっ……!」
レナードは笑って答えた。
『ボク、できるよ。まだ星の竜になりたてだからこうして現実に顕現できるし』
「……それは嘘ですね」
『どうして?』
「だってわざわざ私にあんな夢を見せる必要がないじゃないですか。貴方は自分でできないから、私にどうしてもクリス様を殺させようとしている。違いますか」
ふん、とそっぽを向いてしまうレナード。
『ボク嘘吐くの下手になったかな』
「私が鋭いだけです」
『ちぇ』
ついには口を尖らせてしまったレナードに、ラーラは問いかけた。
「レナード様。本当に……本当に、その道しかないのでしょうか」
『……』
「救いの道は、本当の救いの道はないのでしょうか」
レナードは何も言わずに椅子から飛び降りて──椅子は空気中に溶けて消えてしまった──ラーラに背を向ける。
『女神はキミを視ている』
「知っています」
『女神が声をかけてきたそのときが、キミにとっての好機になる。キミの思う救いの道ってのを信じるなら、そこにあるのかもしれないよ』
がんばってね、世界で一番エライ勇者サマ。
そう言い残して、レナードは金の粒子となって消えていった。
それが出立の前日の夜のことだった。
門をくぐり、城へと進もうとしたラーラとエリック、そしてシシリー。
そんな中ラーラは昨晩の会話を思い出してしまった。
(レナード様は何を伝えたかったのでしょう。最後にクリス様との夢を見せるため? 違う。覚悟を決めさせるため? それはある。だけど)
ラーラは走る。初代竜王の言葉も思い出しながら。
(私の本当の想いはこの剣とともにある。だからクリス様と相対したとき、そのとき答えがわかるんだと思う)
ラーラがそう思ったそのとき、上から魔獣たちがどっと飛んでラーラたちを襲い出した。
「二人とも後退して!」
「これじゃ城に入れませんよ、勇者様!」
次々と襲いかかる魔獣を斬って、ラーラは歯を食いしばった。
「突破口を見つけましょう! シシリーさん、私とエリックさんに付与魔法を!」
「はい!」
エリックは魔法で生み出した矢を番えて言う。
「ここでは不利だ。上から飛んでくる魔獣の対処と城から湧いてくる魔獣の相手はとてもじゃないけど同時にはできない」
「どこか有利になる場所があればいいのです……がっ!」
シシリーが光魔法を宿した杖で魔獣の頭を殴る。旅のはじめの頃は杖についていくのが精一杯だったのにも関わらず今では立派に武闘派魔法使いだ。
「有利になる場所……」
ラーラは、ハッと思い出す。
彼と歩いた城下町での会話を。
『この城下町は、五つの丘の町とも呼ばれていて高低差が激しいんだ。人族には厳しい道かもしれないが俺たち竜族にとっては軽い運動くらいだがな』
『だからゼレンセン王国の都は外から見ると高い城塞のように見えるのですね』
『五つの丘に沿って壁が建設されているからな』
これだ。ラーラは戦い続けるエリックたちに聞こえるように魔獣を倒しながら声を張り上げる。
「この街は五つの丘に囲まれています! そこから魔獣が無尽蔵に湧いてきているはず、そして丘の坂の下には魔獣が溜まる!」
「ってことは、つまり──!」
「この国の中心、丘から繋がり一番低い場所にある公園──エヴァンテール公園です!」
そうか、という表情を浮かべるエリック。
「そこを拠点にして戦えば一網打尽ってことだね!」
「私の光魔法とエリック様の弓の腕があれば丘にだって攻撃は届きます!」
ラーラは魔法剣で数十もの魔獣を蹴散らして、クロニカの移動魔法陣を地面に敷く。
「私は城に行きます! 魔獣たちの対処が終われば──」
「ああ、僕たちも向かうよ。仲間だからね」
ラーラの言葉にエリックが頷く。
「私たちが戻ってくるまでに邪竜王を倒しちゃだめですからね、勇者様!」
「ええ! シシリーさん、どうかお気をつけて!」
エリックとシシリーは頷き、魔獣を誘導する光を放った矢を公園へと放ち、大声で叫んだ。
「魔獣よ! 僕たちはこっちだ!」
二人は陣を踏み、エヴァンテール公園へと魔法で移動する。
作戦通り魔獣たちは二人を追うように走り、飛んでいった。
残ったのはラーラ一人のみ。
「……クリス様。今行きます」
目の前にあるのは、ゼレンセンの王城。
黒く塗りつぶされたような城壁に、朽ち果てようとしている城。
コーネリア城が、ラーラの帰還を待っていた。
視線を上にすれば、城の天辺に鎮座するように──邪竜王が、咆哮して呪いを吐き出していた。
(これが最後の、戦い)
邪竜王は咆哮をやめ、ギラリと輝く金色の瞳を敵であるラーラに向ける。
そして、一際大きな呪いの叫びを上げた。
クリスは敵意をもって。
ラーラは聖剣を握って。
二人は、対峙した。
最後の戦いがはじまります。
どうか物語が終わるそのときまで、見届けてください。
次回更新は明日夜9〜10時あたりです。少し遅くなるか早くなるかといったところですが、よろしくお願いいたします。




