35. 魔界ゼレンセン
「もう行かれるのですね、勇者様」
アルア国王が一人装備を整えているラーラに言った。
ラーラたち勇者一行はアルア王国の王都の城にて一晩体を休めていた。朝になった今、一刻も早く出立しなければならない。
クリスのいる、魔界ゼレンセンに。
「はい。ずいぶんと良くしていただきました。他のみんなにはもうお会いに?」
「いいや。もう既に準備を整えに外へ向かったかと。それに勇者様にお伝えしておかねばならないことがありまして」
なんでしょう、とラーラが首を傾げる。
「我が息子、フィリップを助けていただいたこと。感謝いたします。あれでも我が子、第一王子として統治者としての頭はなく、生まれ持った才といえば役に立たぬ魔獣使いの力のみ。そんな息子を勇者様は見捨てないでくださった」
感謝を申し上げます、と礼をするアルア国王にラーラは真っ直ぐに目を見て言った。
「以前の私ならば、フィリップ殿下を恨んでいたでしょう」
「……勝手な、婚約破棄のことですか」
「ご存知でしたか。昔の私だったら失意のあまり悲しみに暮れ、フィリップ様が邪竜王の前に出たとしても助けはしなかったでしょうね」
ラーラは嘆息する。
「でも、今の私なら。救いたいと思ったのです。フィリップ殿下のことを許したいと、在ってもよいのだと。現にフィリップ殿下は己の持つ力と勇気を振り絞って騎士や民を守ったのですから」
数々の婚約の破棄。そこからラーラの物語がはじまった。
思えば彼がいなければクリスにも会えず、様々な人生を経験などできなかっただろう。
ならば彼もまた存在しても良いのだ。どんなに許されないことをしたとしても、生きていても良いのだと。存在を否定してはいけない。それを、ラーラはクリスから教えてもらった。前回のループで学んだのだ。
「アルア国王。魔獣使いの第一王子がいたって良いではありませんか。フィリップ殿下は今やこの国の救世主。どんな力を持っていたとしても蔑んでいい理由にはなりません」
そして、とラーラはアルア国王に向けて続けて言った。
「私は竜族だって、邪竜王だって存在しても良いと思っています」
「なにを……」
「貴方様が否定されても、女神様がお怒りになられても、私はそう信じます。フィリップ殿下も同じです。どのような存在であっても脅かしていいわけがないのです」
ラーラはアルア国王の手を握るように触れる。
「どんな命でも、存在していていいんです。存在を許すだけでいいんです。どうか、少しでもいいから──考えてみてください」
ふわりと微笑んで、ラーラは聖剣を腰に下げて王城を出ていく。
アルア国王は気高き白銀の勇者の背を、眩しく思った。
「すべての命を、許す……」
朝日と共に、救いの勇者を見送らんと民が見送っている。
彼女は前だけを見つめ、足をしっかりと踏み締め、城下町を歩いていった。
「勇者様! こちらです、みんな揃っていますよ」
女神の傀儡から逃れ仲間を信頼する心優しき光魔法の使い手、シシリー。
「おせーぞ、脳筋勇者」
裏切るのではなく信じることを信条とした、戦斧を携えるステファン。
「お待ちしておりました。どこまでもお供いたします」
竜の宝珠を失いながらも凛とした在り方を貫く皆の盾、アイリス。
「もう大丈夫。みんなも、僕も」
屈折した視界しか持っていなくても仲間であることを選んだ弓使い、エリック。
ずっと旅をしてきた仲間が、門の前で勇者ラーラを待っていた。
「今思えば、この門で最初の待ち合わせをしたんでしたよね」
「そんでもってとんでもねぇこと言い出したんだよな。竜族を竜と呼ぶなって。びっくりしたぜ、オレ」
思いを馳せるラーラに、ステファンが今では笑って言った。
「そうそう。食事当番をどうしようとかも考えて、エリックさんの味音痴のこともわかったりして」
「私の採った花蜜に塩を振ったときには目を疑いましたよ」
シシリーが柔らかに微笑んで、アイリスが思い出して頷く。
「僕たちみんな、ラーラちゃんに救われた」
エリックが目を閉じてから、瞼を開く。
「世界を、彼を救う旅だ。僕たちは最後まで君についていくよ」
温かな黄色の花のような、黄金の月のような瞳がラーラを映している。
ラーラはぎゅ、と拳を握った。
「私だってみんなに救われてきました。居てくれるだけで助けられてきました。そして──いちばん最初に私を救ってくれたのは、クリス様です」
もうだめだと思った。
ちゃんと殺してほしいとまで願った。
そんな自分の手をとってくれて、褒めてくれた。
君はここにいていいと微笑んでくれた。
ともに戦い、ともに星の竜を見送った。
最後のループにすると誓ってくれた。
(その誓いは破られてしまった。彼が一番なりたくなかった邪竜王になってしまった。女神様はなぜそんなことをしたの)
今考えても仕方がない。きっと邪竜王と対峙するとき、女神の介入もあるのだろう。
それがきっと、答え合わせのときだ。
ラーラは仲間の目を一人一人見て、地面に手をかざしクロニカから教えてもらった移動魔法の陣を敷く。
(クロニカさん、ありがとうございます。今までのループでは一度も出会えなかったけれど、此度で会えたのはきっと意味があるはず……星の竜の導きかもしれませんね)
ふ、とラーラは美しく笑った。
「どうか、みんな。世界を、クリス様を救うため力を貸してください」
勇者一行は皆、力強く頷く。
そして──全員で、移動魔法の陣を踏んだ。
移動魔法の中、大魔法使いの術中で勇者一行の耳に届く声があった。
『勇者ラーラ……そして彼女を導く者たち』
皆は桃色の魔力の中に包まれていく。
「なんだこれ、なんだこの声は」
「わかりません。でも敵意はありません……それにこの気配、どこか懐かしい気が」
ステファンが辺りを見渡し、アイリスが気配を探っていると。
『私はエヴァン。星の竜、星とともに生き、星に生きる命を循環させしもの』
「初代竜王、エヴァン様……!」
ラーラは驚き、桃色の魔力にかの竜王を重ねる。
『どうかお気をつけて。女神はいつでも貴方たちを視ています。騙されないで、大いなる戦いにおいても彼女は巧妙な罠を仕掛けていました』
「罠とは、一体」
問いかけるが、魔法の術中の桃色──竜の輪郭をした魔力はただ、こう述べるのみだった。
『私は──この星ではじめて竜と呼ばれた竜。どうか忘れないで、哀しき黒竜への想いを』
想いを忘れない。ラーラはその言葉を胸に刻みつける。
『勇者ラーラ。貴女の聖剣は女神から受け取ったものでしょうが、貴女の魔力、つまり貴女の想いで光を放ちます。既に女神の手から離れているのです。だから』
信じてください。貴女自身を。
そう言い残して星の竜エヴァンの気配は消えていった。
桃色の魔力は虹色へと変化していって、星の竜たちが五人を守りながら彼の地へと送っていく。
魔界ゼレンセンへ。
気づけば目の前には──呪いの土地があった。
美しい街並みは、瓦礫の山に。
魔力光の灯っていた空は黒き魔力に侵食されて。
憩いの場だったエヴァンテール公園は、呪いに侵された竜たちが蔓延っていた。
「こんな……ことに、なっていたなんて」
ラーラは絶句して周りを見渡す。
見覚えがある懐かしい景色だけれども、どこも黒で覆われている。
「ラーラ様。ここがかつてのゼレンセン王国、邪竜王に成り果てた陛下が呪いを振りまく土地になってしまったのです」
そう言ってアイリスはこめかみに汗を流す。そんな彼女にステファンは己の懐から竜の正気を戻す魔法具を手渡した。
「胸につけておけ。いつ意識が侵されるかもしれねぇ。でもオレは、お前を必ず守る」
夕焼けの斧使いは、空色の竜に誓った。
「必ずだ」
「……よろしく、お願いいたします。私が錯乱した際にはどうか」
「する前にどうにかする。だからお前もオレを信じろ」
心強かった。アイリスは左胸につけた魔法具に手を当てて、ふぅと大きく息を吐く。
「ラーラちゃん。僕はもう女神に乗っ取られたりはしない。だから全力で君を守るよ」
「私もです、勇者様。女神の声は聞き入れません。必ず邪竜王、クリス様の元へと辿り着かせます」
エリックとシシリーが早速連携して、シシリーは矢尻に光魔法を、エリックは矢を番えて言った。
ラーラは首肯し、聖剣を構え先陣を切った。
「みんな、行きますよ!」
皆の応える声を背に、ラーラはエヴァンテール公園の入り口へと足を踏み入れた途端──何匹もの呪いの竜に囲まれる。
だが。
「貴方たちも、助けます──!」
ラーラが聖剣に魔力を宿し、一閃すれば竜たちはその場で頽れる。竜たちの胸元に魔法具を投げつければ、光魔法に包み込まれて人の姿へと戻っていった。
「よっしゃ! いけるぞ。でもこのままにしておいたらまた呪われるんじゃねぇのか!?」
「大丈夫です。シャル、来ていますね!」
アイリスの横に移動魔法の陣が現れ、その中から姿を見せたのは。
「──シャル! 生きていたのですね!」
「ラーラ様、お久しゅうございます。どうか意識の戻った竜族の回収は私にお任せあれ、ってね!」
そう言って強化魔法を施した真っ赤なフライパンで背後に迫っていた呪いの竜の横っ面をぶっ飛ばした。
「す、すげぇ」
「あら、ありがとうございます、スタンさんに似た髪色の人族さん」
頼もしいシャルの様子に面食らうステファンだったが、アイリスがシャルに声をかける。
「どうかお願いしますよ! 頼りにしています!」
「ええ、親友の頼みとあらばなんだって、ねっ!」
アイリスはシャルの胸元に魔法具をつけて不敵に笑った。
周りを飛び回る呪いの竜たちの翼が、次々と光魔法の矢で射抜かれていって竜たちが地に落ちてくる。その矢尻は殺す意思が宿っていない、救い出すための攻撃だった。
「よし! シシリーちゃん、次を!」
「はいっ! 皆さんにも付与魔法をかけます!」
シシリーの付与魔法によって身体が軽くなる。
「はあぁッ!!」
次々と圧倒的な力で呪いの竜たちを地に伏せさせるラーラ。
一際大きな竜がラーラの目の前に立ち塞がるが、今度はブンブンと武器を振り回す音が聞こえてきて、巨大な竜の腹に戦斧が破壊音とともにぶつかってきた。
「ハッ! オレも脳筋の戦い方が身についてきちまったぜ!」
「いいんじゃないですか、箔がつきますよ!」
前衛二人、ラーラとステファンが横に並び更なる攻撃を放った。
アイリスが影の手で巨大竜を縛り上げて、ラーラがその胸に魔法具を取り付け、また戦いに身を投じる。
「キリがありませんね」
ラーラはエヴァンテール公園の真ん中で皆と背中を合わせて言う。
「私がまとめて意識を刈り取ります。みんなは守りを固めて!」
威勢の良い返事が皆から返ってきて、ラーラは思いっきり聖剣に自らの魔力を込めた。
(やっぱり私の魔力の通りがいい。この剣は私に応えてくれる。なら、もっとできるはずでしょ──!)
魔力コントロールを完全に身につけたラーラの白銀の魔力が眩いばかりに聖剣から溢れ出て。
一気に、ラーラはその剣を地に突き立てた。
轟音とともに地震が起こり、竜たちがラーラの強力すぎる波動によって意識を保っていられなくなって次々と倒れていった。
「よし、みんな魔法具を! シャル、お願いします!」
呪いの竜たちが意識を取り戻していって、最後の竜族をシャルが助け起こして回収しようとした──そのとき。
『ギャアアアアアァ──ッッ!!』
黒き呪いの咆哮が、王城コーネリアから響き渡り。
瞬く間にシャルの目の前の竜族が呪いの竜へと変貌していく。
「危ないっシャル!」
間一髪でラーラが剣で呪いの竜の頭を殴るようにして襲い掛かられそうになったシャルを助けた。
「ありがとう、ございます……ラーラ様、あれが陛下の呪いの咆哮です。陛下をなんとかしなければ全ての竜族がまた呑み込まれてしまいます」
「……みんな、城へ向かいましょう」
前をラーラが、殿をエリックが務めてエヴァンテール公園を後にし城門へと走っていく。
その間にも恐らく元は竜騎士だったのだろう呪いの竜たちが槍を持って攻撃を仕掛ける──が、すべてラーラたちの守りが槍先を通さない。
このままコーネリア城へと突入しようとしたそのとき。
「……みんな、止まって」
ラーラの目の前には。
最後の騎士が、忠義を守らんと主君のいる城を守っていた。
「うそ……!」
シャルが言葉を失う。
その姿は人の姿をしていたが、歪な片翼が背から飛び出ていて。
城門から決して立ち退かないという意思と、凄まじく呪いのこもった魔力を放っていて。
それでも意識を保っているように、ラーラたち──主君の敵を真っ直ぐに見据えていた。
焔の竜。
赤の騎士団長。
「……スタン」
アイリスが、震える声でその名を呼んだ。
『今度こそ、俺は──陛下をお守りする』
ゼレンセン王国最強の竜騎士スタンが、決意の炎を燃やしてラーラたちに立ち塞がった。
スタンが邪竜王の前の最後の騎士として現れました。
どうぞ続きをお楽しみに。
次回は明日夜8〜9時ごろ投稿予定です。よしなに。




