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34. 僕は君を愛さない


 人を殺したことがあるか。

 答えは肯定だ。


 僕は森にひっそりと住む村の出身で、八人いる兄弟の中の長男だった。

 弓は父さん譲りで──いや、父さんを超える腕前で、大きくなったらこれで幼い兄弟たちを養おうと思った。

 冒険者の父さんが突然、死んだことを聞かされるまでは。

 悲しむ暇はなかった。僕は弓矢を持って飛び出し、冒険者となって路銀を稼ぎ、家庭を守るために奔走した。

 危険な任務だってこなした。弓使いには困難な難所もがむしゃらに短剣で乗り越えた。それなりに剣でも戦えたから冒険者の仲間に入れてもらおうとがんばった。

 けれど、僕はそのとき十歳だったから、みんな相手にしてくれなかった。


「お金、今月はこれだけ。どうにか稼がなきゃ」


 どんなに止められても、一人、それも弓使いには無茶な任務をこなしては次第に功績を上げていった。

 それでもお金が足りなくて途方に暮れていた。

 そんなときだった。声をかけられたのは。


 ──きみ、弓の扱いがすごいんだってね。良い値をだすから腕前を見せてほしいんだ。


 僕はその申し出に飛びついた。

 依頼主は人の良さそうな貴族だった。でも呼びつけられて、連れられた場所は所謂違法賭博と呼ばれる場所で。


「僕、冒険者だから。正式な依頼じゃないと受けられないです」


 ──いいから。これくらい出せば、きみの弓の腕を見せてくれるのかな。


 お金の入った袋はぎっしりとしていて、僕はその重みに目を輝かせた。


「ほんとに? 僕がんばります」


 ──素直で良い子だ。さぞかし両親に愛されて育ってきたんだね。


 僕は褒められたんだ。そして死んでしまった父親のことも認められた気がして、鼻を高くして奥の大きな広間に進んでいった。


 そこに、二人の男女が剣を持って向かい合っていた。


「なにをしているんですか」


 ──あれはね、試練だ。お互いがどこまで愛し合っているかで勝負が決まる、私が与える崇高な試練なんだよ。


 愛し合う? 試練? どういうことかわからなかった。

 でも次にその貴族が言った言葉で、少しずつ理解した。


 ──二人とも、覚悟はできたかな。きみたちが本当に愛し合っているのなら、片方だけ生かす決断ができる。愛する人を奴隷の身分から解放することができて、自由の身になれるんだ。輝かしい未来を片割れにもたらすことができる。だから。


 貴族は壇上から男女を見下ろし、傍らに僕を侍らせて言った。


 ──さあ、(あい)しあってくれ。


 僕は呆然と見ていた。痩せ細った男女が慣れない手つきで剣を構えて、傷つけあうところを。

 涙を流しながら、愛してるから、と叫んで腕に短剣を突き立てる女。

 笑いながら、愛してるから、と抱擁して女の腹に剣を刺す男。

 二人は本当に愛し合っていたんだと思う。けれどどうにかして生き残りたい、この場に呼ばれたということはどちらかしか生きられないとわかった上で殺し合いの試練を受けさせられていた。

 周りを見れば。

 貴族たちが、嗤ってその男女を観劇していた。

 僕はそれを見て身の毛がよだつ思いをした。


「やめさせてください。こんなのあんまりだ」


 ──彼らの愛を信じてあげないのかい? それは可哀想だ。きっとどちらかが生き残ってくれるよ。愛を証明するための試練なのだから。


 僕は雇われの身だ。なにもできないことは頭ではわかっていた。けれどこんな、好きな人同士で血を流し合うなんてことを見させられるなんて思ってもなかった。

 女が短剣で男の目を潰し、そして動かなくなった彼の胸に剣先を振り下ろした。


「ひどい。こんなの愛し合う試練なんかじゃない。なにかしてあげられることはないんですか」


 ──そうだね。一つだけある。このまま女が生き残れば、もう女は男を愛せなくなるね。殺してしまうのだから。愛し合うことができない。なら。


 貴族の手が、僕の小さな肩に触れた。


 ──きみの手で、愛し合わせてみせてくれ。


 女が雄叫びをあげて、血まみれになった顔で主催の貴族に向かって叫んだ。


 わたし、やりました。愛してるから、彼を殺しました。これで自由になれるんでしょう?


 ──さあ、弓を構えて。


 貴族はささやく。

 僕は矢を番える。


 生き残った女はちゃんと愛し合えていない。本当に愛し合っているのなら、違う道を探すべきだった。


 ──そう。きみの弓の腕を見せてほしい。彼らが本当に愛し合っているのかどうか、きみの手で見せてほしい。


 矢尻の震えがだんだん止まっていって。

 僕は思う。

 愛し合っているのならば──。


 ヒュン、と。

 一本の矢が、女の額に吸い込まれるように突き刺さった。



 二人で、死ねばよかったんだ。



 女が血溜まりに倒れて。

 ワア、と観劇していた貴族たちが湧いた。

 万雷の拍手を送る者もいた。

 これこそ本当の愛だ。すばらしい、あの方は魅せてくださった。

 

 ──いいや、魅せてくれたのはわたしじゃあない。この子だ。


 僕をこの場に誘った貴族が、僕を前に出したら。

 みんな、拍手してくれた。

 あんなに小さい子どもが。なんてすばらしい腕前なんだ。

 なんてすばらしい舞台をつくってくれたんだ。


 ──彼はエリック。西の森の卓越した弓使いだ。どうか彼を、よろしく頼む。


 貴族は僕に大金の入った袋を渡した。

 息絶えた男女の骸を見てから、貴族に尋ねる。


「これでよかったんですよね?」


 ──ああ。きみはあの二人の愛の試練を完成させたんだ。女神様も微笑んでいらっしゃるだろう。


 貴族はその後も僕に指名で依頼をしてくれて、安定した収入を得ることができた。



 その頃からだった。僕が魔弓の射手と呼ばれるようになったのは。



 でもなぜだか僕の心は晴れなくて、食事が喉を通らなかった。


「あれでよかったんだ。よかったはずだったんだ」


 月をぼうっと見上げて。

 そのときだった。

 僕の瞳に不思議な視界が現れたのは。


 はじめに見えたのは、このアルア王国ではない国を上から見下ろしている景色。

 まるで飛んでいるかのような視界だった。

 次は見たことのない液体を作っている光景が視えた。赤色だったり、茶色だったりした。何かの役にたつかもしれないと思ってその作り方を覚えた。

 今度は女の子が視えた。かわいそうに、意地悪をされて着の身着のまま城を追い出されていた。

 何度かその女の子が追い出されていくのが視えて、でもひたすらがんばっているのがわかって、僕は応援したくなった。

 がんばれ、がんばれ。

 人の心臓を、魔獣の頭を射抜く度に、彼女のがんばる姿を思い浮かべた。


 僕の目を通した誰かが、彼女を大切にしていた。落ち込む彼女を笑顔にさせていた。

 次第に彼女から目が離せなくなって、もっと視たいと思った──けれど、僕の不思議な目はちゃんと視せてくれなくて。断片的にしか彼女の顔を視ることができなかった。


 彼女は悪を許さず、人族と竜族をも救っていた。

 もしかして、愛するってことは。


 成長した僕はあの貴族の所有する違法賭博の場に足を運んで、答えを出した。


「僕、わかりました。愛するってことはこういうことなんです」


 ──さあ、魅せてくれ。きみの愛を。


 僕は弓を引いて、貴族の心臓を穿った。




 人を(あい)したことはあるか。

 答えは肯定だ。












 矢を番えている。

 誰が? それは僕だ。

 誰に? それは彼女だ。

 僕の意思で? それは違う。

 ──いや、違わないかもしれない。


(僕、今──乗っ取られている)


 目の前に邪竜王と勇者ラーラがいるから、僕を乗っ取っている可能性は一人、いや一柱しかない。

 女神エレノアだ。

 歯を食いしばり仕込んだ毒を飲み込もうとするが顎が動かない。動くのは弓を引く腕のみ。


(対策されている。見透かされているんだ)


 思考のみが動いて、どんどん勝手に腕が後ろに弦を引いていく。

 不思議な感覚だった。やけに頭の中は冴えているのに身体を動かせない。

 矢先は彼女、ラーラを向いている。この腕を引ききってしまえば必ず彼女の背面、心臓を穿つことは間違いないだろう。


(僕が、彼女を殺す)


 殺すことは、愛することだ。


(僕が、彼女を(あい)する)


 愛すことは、殺すことだ。


 思考までも女神に呑み込まれていく。

 さあ腕を引いて。手を離すんだ。そう囁かれている気がする。


 ──それは貴方の意思。だから彼女を殺す。それは貴方の望みのはず。

 ──だって、彼女を(あい)することを望んでいたことじゃないの。


(僕の、望み)


 ふるえる。震える。動かせないはずなのに腕が震えている。

 そんなはずない。僕の望みはそんな願いのはずがない。


 ──否定しても無駄。

 ──(エレノア)はこの星唯一の神。大いなる戦いで唯一生き残り勝利した女神。だから人一人の思考は簡単にわかる。

 ──千里眼で繋がっている私たちに逃げ場はない。全て視ている。

 ──貴方の望みを。


(ちがう、ちがうちがう!)


 だって彼女は僕のことを肯定してくれた。大切な仲間だって言ってくれた。

 そんな彼女が今、僕の手で死んでしまう。

 死ぬ。

 仲間に背を向けて無防備な姿を晒している彼女が、仲間の裏切りで死ぬ。

 僕に手を差し伸べてくれた彼女が死ぬ。

 僕が手を差し伸べた彼女が死ぬ。

 何度もループして何度も出会った彼女が死ぬ。

 自分を見守る月のようだと言ってくれた彼女が死ぬ。


 確かに僕は。恐らく邪竜王、『クリス』という千里眼に引っ張られて彼女を見守ってきた。

 でもそれは断片的で、目が離せないほど応援したかった彼女が『ラーラ』だとは思いもしなかった。

 ループを打ち明けてくれたときにようやく気づいたんだ。君だったんだって。

 だから、死なせたくない。


 ──本当に?

 ──(エレノア)、知ってるわ。

 ──貴方、命を奪う行為を愛することだと思っているのでしょう?


 そうだ。

 僕は(あい)してきた。ずっとずっと、人も魔獣も竜族も。

 ああ、そっか。

 僕は彼女を(あい)したいんだ。

 僕の望みってそういうことだったんだ。


 ──そう。だから。

 ──その手を離しなさい。

 ──そうしたら彼女を(あい)せる。


 固く引き絞られた弦が鳴る。

 指から血が滲む。

 手が離せない。どうして、どうして。



 君は、僕を(あい)してくれないから。



 弓使いの命たる目を潰してって言ったのに、君はそうしなかった。

 僕の命をあげるって言ったのに、君はもらってくれなかった。

 僕を(あい)してって言ったのに、君は(あい)してくれなかった。

 君を(あい)するより前に(あい)してくれって言ったのに、そうしてくれなかった。

 仲間だって、言ったんだ。


 ──どうして。

 ──なぜ(エレノア)から逃れることができるの。

 ──抵抗しないで、そのままだと貴方は一生望みを叶えられない。


 別にいい。


 ──どうして。

 ──そんなに辛い思いをしているのに、そんなに身を裂かれるような思いをしているのに。

 ──彼女を想っているのに。

 ──どうして。


 涙が勝手に溢れ出る。

 腕をゆっくりと下ろしていく。

 耳に聴覚が戻っていく。雨がざあざあと降る音が聞こえてくる。


 だって、僕は。

 

「僕は君を(ころ)せないから」




 僕の瞳は、金色から元に戻っていった。










 そのとき三対の千里眼は繋がっていた。

 エリックと、女神と、邪竜王と。

 彼が──エリックが自らの意思で繋がりを断ち切ったため、その均衡が崩れた。

 邪竜王は己、いやラーラの命を脅かす女神の存在を感じ取る。


『……ッ! ギャアア、グギャアアアアアァ!!』


 ラーラに向けて首を垂れて大人しくしていたかと思われていた邪竜王が突然暴れ出した。


「クリス様! どうされたんですか! 今私が……」

「だめですラーラ様、離れて!!」


 ラーラたちに向かって今までの比ではないブレスを吐くその寸前で、アイリスがラーラを魔力障壁の内側へと引っ張った。

 間一髪でラーラは黒炎から免れる。


「アイリスさん! あと少しだったのに!」

「いけません、もうこれ以上は。それにもう陛下は」


 意識を完全に失われています。


「……うそ」


 ラーラは絶え間なく浴びせられる黒炎のブレスの先にいる邪竜王クリスを見る。

 その瞳はもはやラーラを見てすらいなくて、ただの敵として認識していた。

 ブレスが止み、邪竜王は咆哮する。


『ギャアア、グアアアアアァッ!!』


 光魔法が凝縮された雨をあれだけ浴びていても、先ほどのように落ち着きを取り戻していない。

 もう、間に合わない。間に合わなかった。

 邪竜王は最後に残った意識の中、女神の矢からラーラを守ろうとして──呑み込まれたのだ。


「いや……クリス様、だめです」


 どさり、と背後でエリックが倒れる音がする。

 同時に邪竜王が動きを止めて──女神の存在が感じられなくなったためだろう──その場で翼を羽ばたかせる。

 もうラーラを見向きもせずに、邪竜王は雨の中飛び去っていってしまった。

 魔界ゼレンセンの方角へ。


「……は、はぁ……」


 ラーラは常時展開し続けていた特級の魔力障壁を消し、肩で息をする。

 こんなにも体力と魔力を消費したのは、はじめてだった。けれどもその疲労よりもクリスの意識を取り戻すことができなかった──救うことができなかったことの失意の衝撃が重たかった。


「う……」

「エリック、おいエリック! 大丈夫か、立てるか?」


 ステファンが意識を取り戻したエリックを立たせようとして肩を担いだ。

 エリックは真っ青になっている唇で、何かを口走る。


「……僕のせいだ」

「違うだろ、お前のせいじゃない!」

「そうですよ、貴方のせいではありません!」


 ステファンとシシリーがエリックに言い、アイリスも心配そうに見る。

 だがエリックはラーラの項垂れる背中を一瞬見て、俯いた。


「僕は……さっき。身体を乗っ取られたんだ」

「陛下にですか?」

「いや。女神にだ」


 アイリスが息を呑む。


「僕は取り返しのつかないことをしようとしたんだ。僕は、僕は……ラーラちゃんを、殺そうとしたんだ」

「……なぜですか? エリックさん」

「わからない。女神は自分の目的を話さなかった。けれど」

「……」


 ラーラは何も言わない。エリックもすぐに続きを話せない。

 弓を地面に落とし、矢がばらばらになった己の武器を見やるエリック。


「僕は、確実に君を殺そうとした。だから邪竜王は女神を──僕を攻撃しようとして、」

「違います!」


 ラーラは声を張り上げてエリックに詰め寄った。


「私の勇気が足りなかったんです。きっと自分にはできると思っていた。私ならクリス様の意識を戻せるって、邪竜の姿から元に戻せるって信じていた。だけど……最後の最後で、怖くなったんです」


 冷たい雨のせいか、己の愚かさを感じているせいかラーラの肩は震えていた。


「きっと……私は……また死ぬのが怖くなって」

「違う。ラーラちゃん」

「違う違うって、エリックさんになにがわかるんですか!」


 泣き叫ぶようにラーラは言った。

 けれどもエリックはわかっていた。あれはラーラの勇気がなかったから邪竜王を救えなかったのではない。


「僕のせいなんだよ……ラーラちゃん」


 本当に、ごめん。

 ずぶ濡れのエリックが謝る。皆は何も言わない。何も言えなかった。

 ラーラの眦から雨粒が涙のように落ちる。


「君は本当に彼を救おうとしていた。僕が女神と同調して、心から君を殺そうとしたから……だから、僕を」

「その先は言わせません」


 ラーラは拳をきつく握り。

 雨に負けないように目を開いて。

 投げ捨てた聖剣を地から拾い上げ、今度こそ強く握って。

 勇者ラーラは、心からの望みを誓った。


「私は救う勇者。クリス様を救う勇者です」


 だから、貴方のことは。


「殺しません。生きて、私の旅についてきてもらいたい。私には仲間である貴方が必要なのです」

「……」


 エリックの唇が戦慄く。


「ほんとうに、僕を殺さないんだね」

「はい。殺しません」

「この先また君を殺そうとしても」

「絶対にさせません」

「君が思ってるより僕は高尚な人間じゃない。どこかおかしくて、手だって汚れていて、もしかしたら誰かに依頼されて君を殺す算段を立てているかもしれない」

「それでも」


 ラーラは言った。強く、エリックと自分を信じて言った。


「貴方を殺しません。貴方が必要なのです、エリックさん」


 魔法具によってもたらされた光魔法の雨が効力を失っていって、元の空へと戻っていく。


「私は、みんなを。クリス様を救います」


 その瞳はまさしく勇なる者の光を宿していた。


(ああ──きれい、だなぁ)


 エリックは微笑んで。




 ラーラを(あい)そうとするのを、やめた。



エリック編、お読みいただきありがとうございました。


評価、ブクマ、感想お待ちしております。励みになります。

次回は明日夜8〜9時投稿予定です。よろしくお願いします。

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― 新着の感想 ―
[良い点] エリックの暗い過去、歪んだ愛の示し方がとても悲しかったです。それでも女神のささやきに負けなかった姿は切なくて、同時に救われる気持ちがしました。 [一言] 辛すぎる過去から始まったエリック編…
[良い点] 読ませて頂きました! エリックの過去が壮絶で、愛することが殺すことになっちゃってるのが衝撃的でした。そんな中でも女神の意思に打ち勝つ姿は激熱でした。 これからも心強い味方として戦ってくれる…
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