30. 焔よ、空を導きたまえ
なぜ私が陛下の直属の部下を目指そうと思ったのか、貴方は知りもしないでしょう。
だって一度も言っていないのですもの。
言うものですか。他ならぬ貴方に。
あんな言葉をかけてくれた貴方に、言えるものですか。
私には誇りというものがあります。その誇りという本の最初の一ページを書いてくれたのは、貴方ですからね。
ほら、言えないでしょう?
貴方が道標の焔だったなんて。
貴方が守りたいものを私も守りたいだなんて、不純な目的。
でも、その目的は本物になったのですよ。
だから生きていてください。お願いです。どうか、星の竜よ、古の竜よ、あの大馬鹿者を──。
「お守りください」
彼女は、皆寝静まった焚き火の揺めきを見つめながら、祈っていた。
「アイリス」
名を呼ばれた彼女はステファンに顔を向けた。
「なんです? 今何をしているのかおわかりで?」
「いやそりゃぁ、わかるけど、その、今度村に寄ったら……」
ステファンは最後の一匹を両断しようとして──。
一本の矢がステファンの近くを掠めて、その一振りは空振りに終わった。
「っぶねぇ! どこ弓引いてんだエリック!」
「ご、ごめんよ」
最後の魔獣の一匹が走り出し、逃げ出そうとしたところで、ラーラが一歩踏み出す。
「はっ!」
見事に魔法剣が魔獣の首を斬り落とし、これでここの群れは掃討できた。
「流石です、勇者様。魔力コントロールも格段に上がってますよ、修行の成果が出てます!」
「コントロールの上手い貴女に言われると嬉しいですね。でもまだ少し調整が必要だと思うのですが……ここをどう思います、シシリーさん?」
と、ラーラは剣に帯びた魔力を見せて助言を求める。
シシリーはぐぬぬ、と唸った。
「そうですね。もっとグイーンっていうか、シュシュシュって感じにすればいいと思います」
「貴女ってよく意外とざっくばらんとしてるって言われません?」
「そう言われれば言われるような……」
でもシュシュシュって感じは私も光魔法を使うときにやってますよ、とシシリーが言うのでラーラも「なるほど」と考え込みだす。
「ちょっとラーラちゃんまでシシリーちゃんの天然不思議言葉に呑み込まれないで……あいたた」
「エリックさん? どうされたんです?」
ごしごしと目の辺りをこすっているエリックにラーラが心配を露わにした。
「いや、ちょっと目が霞むだけ」
「先ほどの攻撃も普段通りの弓捌きではありませんでしたよ。貴方の弓は的確に急所を射抜くというのに」
一歩オレが踏み込んでたらお前の矢の餌食になってたんだぞ、とステファンが少し遠くで喚いている。
「……なんか最近、目がおかしいんだよ。みんなの迷惑になっちゃいけないんだけど、どうすればいいのかな」
「薬師に診てもらえれば一番なのですけど……一応私、ちょっとした心得があるので診せていただいても?」
そう言ってラーラは背の高いエリックのために背伸びをして、それに気づいたエリックが身を屈めて目の様子を診てもらう。
(過去のループで薬屋の受付の仕事をやっていたことがあるので、少しならわかります。目の霞みに効くのはあの薬草ですがここら辺に生えてるでしょうか)
ラーラがエリックの目を覗き込むと。
「……ラーラちゃん、ちょっと顔近いよ」
「こうでもしないとちゃんと診れないんです。我慢してください」
「そういう意味じゃなくて……」
ほんの少し気まずそうに頬を赤くしているエリックを見て、シシリーはくすりと笑っている。
「……両目が少し、いつもより色……いや、光っている?」
「光ってるの? 僕の目」
「はい。金色のように……」
思わずじっと見てしまうラーラ。
(似ている……クリス様の瞳と。もう久しく見ていない、彼の優しい金色……)
あの、とエリックが声をかけた。
「ラーラ……ちゃん? 流石の僕も、少し恥ずかしいというか……」
「あ、わ、すみませんじっと見たりして!」
「嫌ってわけじゃないんだけどね」
小声でモゴモゴと言うエリックの言葉は誰にも聞こえていない──ように思えたが、シシリーにははっきり聞こえてしまっていたようだ。
「エリックさん、エリックさん!」
「なに、シシリーちゃん」
「がんば、ですっ!」
「……そんなんじゃないから! 彼女は妹みたいなもので!」
ワタワタしているエリックと含み笑いをしているシシリーを見て、首を傾げるラーラは近づいてくるアイリスの気配に気づいた。
「どうされました、アイリ……どなたです、彼女?」
アイリスが闇魔法の影の手で吊り上げているのは一人の深い青色の帽子を被った少女で。
「薬師のようでしたので、近くから連れてきました」
「連れてきましたではなく! それは誘拐というものです! 元いたところに帰してあげてください!」
うぅ、と少女がうめき声を漏らす。
ラーラが下ろしてあげてくださいと言うのでアイリスはゆっくりと少女を地面に下ろした。
いたた、と鈴の音のような可愛らしい声が少女から聞こえてくる。
「なによもう、薬草を採っていたら急に闇魔法が……闇魔法?」
すっくと立ち上がって少女はアイリスに詰め寄った。
「アナタ闇魔法使い!? ちょっとこの魔法試してみてよ!!」
「急になんですの? 本を取り出して……」
「私が創った魔法! これあげるからさ!」
ラーラは少女が懐から取り出した一冊の本のタイトルを見て、どこかで見たような覚えがあるのに気づく。
はっ、と思い出した。
「もしかして『魔法の思考』シリーズを書いているクロニカさん、ですか!?」
興奮した様子でラーラが少女に近づく。
「まあ、そうだけど? 勇者ラーラくん?」
深い青のローブと帽子に、アイリスがかけているようなメガネ。そしてこれまた黒に近い青色の長い髪を結って地面すれすれまで垂らしている。
ふふん、とクロニカは腕を組んだ。
「す、すごいです! クロニカさんに会えるなんて! しかも私の名もご存知で……」
「ラーラちゃん、この人のこと知ってるの?」
エリックが尋ねると、ラーラは力説するように拳を握った。
「はいっもちろんです! 魔法の歴史において一歩、いえ十歩も先をゆく魔法創造の第一人者! クロニカさんの代表作『魔法の思考』の第一文はあまりに有名なんですよ」
そう言ってラーラはキラキラとした目でエリックに教える。
「『アタシは旅や冒険者が嫌いだ、それなのに今アタシはこうして自らの冒険譚を語ろうとしている』この書き出し、堪らないんです! グッと引き込まれますよね!」
「そんなに褒めるなよ。新作出したからさ、いる? サインもいるかな?」
「新作!? クロニカさんのサイン!?」
「頭痛を抑える魔法とか書いてあるよ」
はたとラーラは思い出す。
(そうだ、過去のループで私の念願の頭痛用の魔法を創っているっていうのはクロニカさんだったんだ! こんなところで出会えるなんて女神様の導きかもしれない)
なにやら興奮した様子のラーラを珍しげに見るステファンは、エリックの横に立って小突いた。
「さっき良い雰囲気だったのによ、ふいにしちまったな」
「そういうんじゃないってば……」
エリックがどう見ても肩を落としていると、サインを書き終えラーラに新作の本を渡したクロニカが近づいてきた。
「お、珍しいね。千里眼の幼生体だ」
「千里眼の幼生体、というと?」
千里眼と聞いてアイリスが反応し尋ねる。
ああ、とクロニカがエリックの金色の瞳を指差して言った。
「完全な千里眼じゃない赤ん坊みたいなものさ。エリックくんと言ったね? キミ、もしかして今目が霞んだり、他の景色が突然見えたりして苦労してないかい?」
「その通り……だよ。見たことない視界が見えるのは昔からだけどね」
千里眼と聞いて一番に思いつくのはクリスのことだ。ラーラは気になってクロニカに訊く。
「どうして他の視界が視えたりするんです?」
「こう言った方がわかりやすいか。親である完全な千里眼に引っ張られて赤ん坊の千里眼も親の視界が視えちゃうんだ。ちゃんとした千里眼に育つには数百年かかるから人族の中で生まれることはほとんど無いんだけど、キミひょっとして竜族だったりしない?」
へ、とエリックや他四人も驚く。
「僕、普通の人族だけど、ほんとに千里眼なの?」
「間違いないな。完全な千里眼の持ち主の能力が膨らんできて、キミの幼生体の千里眼にも影響が出てるんだ。こればかりはしょうがないね」
クロニカは指をくるりと回して、エリックの手のひらに何かの薬が入った瓶を出現させた。
「これで千里眼の接続が少しは治るだろう」
「あ、ありがとう……君、すごいね」
「ふふん、大魔法使いで大薬師のクロニカ様だよ? なんでもお見通しさ」
例えば、とクロニカはラーラに向けて指をさした。
「勇者くん、肥大化した魔力コントロールの修行をしているみたいだが制御しようとするんじゃなくて魔力に浸るんだ。身を委ねる感じでね」
「浸る……感じ、ですか」
ふむふむ、とラーラは助言を噛み締める。
クロニカはアイリスに向き直ってこう言った。
「キミの闇魔法、とっても良いけど魔力が少ないからすごく大変そうだね」
「……ええ、まあ。ですが効率が良くなるように努力はしています」
「そうだろうね。ま、この本に書かれてること実践したらもっと良くなると思うよ。それに」
アイリスと同じメガネに──いや、多すぎる魔力を逆に抑えるための機能がついている──触れて、アイリスが隠す縦に割れた瞳を見透かすように小声で伝える。
「この先の神殿では、嘘は隠し通せないかもよ」
「……」
耳のいいエリックには無論聞こえていたが──何も言わずに静観する。
けれど気になる単語が出てきたので尋ねてみた。
「今、神殿って言ったかい、クロニカさん?」
「ああ言ったよ。アタシ神殿から近くにある村に帰るところだったんだ。調査だったんだけど空振りさ、なんにもなかった」
ラーラがその言葉に顔を上げた。
(女神の聖剣が納められている神殿……過去のループでいつも各地にあって定められていなかった。でもクロニカさんの証言があれば今回のループでの神殿の場所がわかる!)
クロニカに寄りラーラが質問する。
「神殿は! その方向はどちらでしたか!」
「んーと、あっち? 多分あっちだったと思う」
アタシ魔法に関しては物覚えいいんだけどちと方向音痴でね、と言うクロニカに「大丈夫です! 探知には自信がありますし方向さえわかれば!」とラーラが嬉しそうにした。
「エリックさんは目薬使いましたか? 皆さん行きますよ!」
「脳筋勇者のやつ、神殿と聞いて目の色変わったな。神殿に負けてるぞエリック」
「だからそういうんじゃないんだってば……」
ステファンがまた小突いてきてエリックは溜息を吐いた。
クロニカと別れ、山の中を進んでいくと目の前に滝が現れた。
ラーラたちの頭上よりはるか高いところから水が降ってきており、どうにもこの先に神殿があるとは到底思えない。
「どうしましょう。飛行魔法で滝の向こうに行きましょうか?」
シシリーがうーんと考え込むが、ラーラは滝の近くまで進んでその場で手を祈るように組んだ。
「女神様。勇者ラーラが参りました。どうかお導きを」
しばらく祈っていたが何の音沙汰もない。
アイリスがラーラの肩に触れて言った。
「ここではないのかもしれませんよ。クロニカ様自身も方向音痴だと──」
瞬間、轟音が鳴り響いた。
「な、なんだぁ!?」
驚愕するステファンの視線の先には、滝がドドド、という音と共に左右に分かれ──それはもう美しい、白亜の神殿が出現した。
「これが……」
「女神の、神殿」
エリックとシシリーがぼうっと見上げる。
「さあ、行きますよ。邪竜王を止めるための聖剣を取りにいきましょう」
五人はラーラの飛行魔法を使って神殿に乗り込んだのだった。
「なぁ、ここって女神様の神殿だよな? どうしてこんなに……」
「魔獣がたくさんいるんだろうねぇ」
ステファンが戦斧を振り、調子の戻ったエリックが弓ではなく短剣を使って援護する。
狭い神殿内では弓はあまり役に立たないためだ。
(確かにおかしい。昔のループでも女神様の神殿には魔獣が蔓延っていた)
でも、とシシリーが首を傾げて言った。
「聖剣に相応しい勇者かどうか女神様に試されてるんじゃないですか?」
「ではなぜ魔獣がいるのでしょう……魔獣は竜族が従えていると人族の間で言われているではありませんか」
アイリスは少し目を伏せる。ラーラはそんなアイリスの様子を心配そうに見ながら進んでいくと、外へと向かう階段があるのを見つけた。
皆で上っていくと、滝上へと着いた。どうやら神殿内の魔獣を片付けているうちに上へ上へと進んでいたらしい。
「ラーラちゃん、あれって!」
エリックが声を上げた。
視線の先の台座の上に、美しい銀の剣──女神の聖剣が、横にして収められていた。
(女神の聖剣。懐かしい、シンプルだけど私の魔力が一番馴染みやすい、私の力を一番発揮できる剣)
ラーラは聖剣に近づき、ゆっくりとその剣の柄と剣先を持ち上げる。
すると。
『勇者ラーラ』
突然、女性のような幼い少女のような声が響いた。
「も、もしかして女神様の声ってやつか!?」
「この声……!」
ステファンは周りを見渡し、シシリーは訝しげに眉をひそめる。
『汝、勇者ラーラ。邪竜王を斃さんとする者』
「……はい。女神様、貴女様の聖剣をお借りします」
『汝、聖剣にて試練を任ずる』
「試練?」
ラーラが顔を上げる。
(今までこんなふうに女神様がお声をかけてくださったことなんてはじめて。それに試練って──)
その声は、一言一句違わずにこう言った。
『仲間と謀るはじめの者を斃せ』
ひゅ、とラーラは呼吸が荒くなる。
「仲間と、謀る? はじめの者、って」
私たちの中に裏切り者がいるということ?
ラーラは混乱する。
ステファンはもう裏切ることはしない。これは確信していることだ。
エリックは? 彼に関してはそんなことあり得ない。過去のループでわかりきったことだ。
アイリスは。ずっと着いてきてくれている、前回のループからお世話になっている彼女に限ってそんなことは。
シシリーは、彼女は仲間を信じてくれている。
(でも、もしかすると。いやそんなこと、思いたくもない)
もう皆は信頼できる仲間だ。裏切り者だなんて疑りたくない。
どうして、どうして女神様はそんなことを。
「うっ……! い、た……」
エリックが両目を抑えてその場で頽れる。
そんなまさか。逡巡しているとまたあの声が響いてくる。
『汝、斃さぬのであれば光に托す』
ゆっくりと、杖の持つ腕が上がり。
ラーラの目の前で、あの光景が繰り返されようとしている。
「あ、あ……」
シシリーが杖腕を向けている。
誰に。
エリックが目を抑えながら叫ぶ。
「そんな、彼女は違う! 女神様、彼女は……!」
杖は──アイリスに向いていて。
「い……や、いや、いやっ! アイリスさんを……攻撃、したく、ないっ……!」
ガクガクと身体を震わせ、涙をボロボロ落としてシシリーは──全力でアイリスに向けた杖腕を上へと咄嗟に動かした。
そして、強烈な光魔法の光弾が空に舞った。
シシリーが杖を手放す。
「いや、です。ずっと私にお告げをしてきた声は……女神様、だったんですね」
そうして声が──女神の声が、癇癪を起こすように空中に光を幾つも発生させた。
『汝、私の声を聞かぬなら──』
光魔法が、眩い光を放って全員の目を眩ます。
何が起こったのかわからない。
ラーラは己の目に魔法をかけて周りを見る。
光の矢が、空中から放たれた。
間に合わない。
「あ、──?」
音もなく、それは左胸を貫く。
心臓の宝珠を破壊され、結い上げた空色が解ける。
時間が遅く感じられ、一番側にいたステファンの目の前に鮮血が舞う。
私の焔の道標。
生きていてください。お願いです。どうか星の竜よ、古の竜よ、あの大馬鹿者を──。
「スタンを、お守りくださ……」
そしてラーラ様を。
もう、だめみたいだから、誰か。ラーラ様を──。
アイリスが、心臓から血を流しながら、倒れた。
アイリス編、はじまりました。
どうぞ次回もお楽しみに。
明日の更新も夜8〜9時ごろの予定です。
評価、ブクマ、感想お待ちしています。




