27. 赤い記憶が泣いた
アルア王国が邪竜王に唯一滅ぼされていないのには理由がある。
単純に、遠いからである。
地理的に距離があるため邪竜王はそこまで破壊の手を伸ばせないのだろうというのがアルア王国内での考えであったが、その実邪竜王が本気を出せば簡単に滅ぼせる、それがエリックの考えだった。
予想の範疇でしかないが邪竜王はただ目の前のモノを破壊する生き物でしかなく、人族のことを敵とすら認識していない、錯乱する巨大な赤子のような存在だと思えば筋が通る。
他国を蹂躙する順番だって破茶滅茶なのだ。そう考えれば妥当だろう。
そんなことを思いながらエリックは──砂糖を手にして鍋に入れようとしていると。
「あ、ダメですって! それは砂糖だと何度教えればよろしいのですか!」
ラーラがぷく、と頬を膨らませて怒るので「だって酸味を飛ばすなら甘味だろう?」とエリックが若草色の睫毛をぱちりとさせる。
「それはそうですけど、今砂糖を入れるのは順序が逆ですしどう考えてもその量はおかしいですよ!」
「え、でも……」
もうさっき入れちゃったよ、とエリックが微笑んでいるので、ラーラは頭を抱えてしまった。
(これは彼のためのとっておきの料理ですのに!)
なぜラーラたちは料理をしているのか。時は少し、いやしばし遡る。
「腹減った」
ゼレンセンへ向かう途中で村が近くにあるという情報を聞きつけ、ラーラたちはその方向へ足を進めていたのだが、ステファンが本音を漏らしてしまった。
実は王都で食料を調達したはいいのだが、一週間前に竜族の少女が襲ってきた際に魔獣たちがラーラたちの荷物を食い漁ってしまったため残りわずかとなった食べ物を5人で分けていた。
もう、今日でその食料は尽きてしまって朝から何も食べていなかったのである。
「おい脳筋勇者、なんか魔法で食いもんとか料理だせねぇのかよ」
「魔法はそんなに万能じゃないですよ。素となる素材がないと料理はできませんし、素材は動物の肉や魚、虫なんかを調達しなければ」
「虫食べるのかよ……」
「えぇ。極限状態においての虫は貴重な栄養になりますよ」
と、ラーラがなんともなさそうに答えるとステファンはうげぇっという顔をした。
そこへシシリーが会話に参加する。
「虫さん、けっこうおいしいんですよね。私、芋虫に花蜜をかけて食べるのが好きでした。小さいころよく村で食べてたんですよ」
ステファンがさらに顔を歪ませたところでアイリスが口を開いた。
「なるほど、花蜜にはそんな使い道が。虫には虫を……良い知見を得られました」
「お前まで虫食べようなんて言うわけないよなぁ、アイリス!?」
「試す価値はあると思いますよ?」
試すならエリックとかに虫食べさせろ、とステファンが言うのでアイリスがエリックの方を見れば、意外にも彼はステファンと同じような顔をしていた。要するに気持ち悪そう、といったような。
「えぇ、僕、虫さんそのままはちょっと。果物と和えたらいけるんだけど」
「果物と!?」
さすがのシシリーも仰天して声を上げた。ステファンに至っては口をあんぐりと開けている。
ラーラは想像してみた。虫と、パイナップルが同じ皿に入っていて……。
「ダメです。ダメですよエリックさん。果物はそれこそそのまま頂くのが良いです」
「そうかなぁ。味も食感もいいと思うんだけどな」
ラーラはあはは、と苦笑いをする。
(そうでした。エリックさんは味音痴なのでした……食事当番を彼に任せてしまったら大変なことになってしまうって、過去のループで思い知ったではありませんか)
それはもう酷いことになったのだ。あれは食材への冒涜と言ってもいいほどである。
「あ、見えてきましたよ。村です、皆さん!」
シシリーが指をさす方向には、森から開けた場所にこじんまりした村があった。
やっとご飯が食べられる、とラーラも足早になり村に入って村人に宿屋の場所を訊く。
「ああ、あるにはあるが料理には期待しない方がいいぞ」
「どうしてです?」
村人の男性は仕事の休憩中なのだろう、汗を服で拭いながら言った。
「うちの村には飯屋がないからな。穀物ならあるが自分らで採ってきて飯作るなりするんだな」
厨房は貸してやるから、と言い残して去っていく男性の背中に「うそだろぉ」とステファンが嘆く。
「仕方ありません。私たちで近辺を探し食料を調達してきましょう」
「ではラーラ様、私は花蜜や果物を採ってきましょうか」
「お願いします、アイリスさん。探知によると南に行ってすぐのところにありそうですよ」
ありがとうございます、と言ってアイリスが背を向けて、ステファンが俺も、と言い出す前にエリックがアイリスを追いかけた。
「僕も行きます、アイリスさん」
「助かります。果物探しは目が良い方と一緒だと心強いですから」
ステファンがぐぬぬ、と唸っているとシシリーが彼に優しく誘いをかける。
「あの、よければ私と一緒に……」
「俺は一人で肉を調達してくる。お前は脳筋勇者とでもフツーのもん採ってこい」
ぞんざいな言い方をされてしまい、しゅんとするシシリーにラーラは肩を叩いて笑みを浮かべた。
「シシリーさん、私と野菜などを探しにいきませんか? きっと私一人だと採りきれないでしょうし」
「わかりました! 一緒に行きましょう」
こうして勇者一行はそれぞれ食料調達をすることになったのである。
「ねぇアイリスさん。花蜜採取に集中してるところ悪いんだけど」
「なんです?」
エリックが花に向けて影の手を使い蜜を回収しているアイリスに尋ねる。
「あの竜族の女の子、君の竜族研究機関に預けたって言ってたけどその施設って王都のどこにあるのかなって」
「どこと言われますと……少々返答に困ってしまいます」
エリックは目を細める。
「それって、つまり」
「はい、人には言えぬ場所にあります。何しろ竜族ですから一目についてはいけません。危険ですしね、民に迷惑をかけては研究機関の名折れですから」
メガネに触れてからアイリスはもっともらしいことを言う。
「そうだよね。研究機関だからおいそれと人に教えちゃいけないもんね」
「ええ」
パシュ、と矢を引いて果物を幾つも地面に落とすエリックはアイリスに向き直った。
「メガネをかけてる人ってどういう人だと思う?」
「いきなりなんですの?」
「まあまあ。僕の話を聞いてよ」
エリックがほんの少し、柔らかな黄の瞳の色を変化させる。
「メガネはいつの間にか他国から輸入され貴族を中心に流行った装飾品だよね。時を経る毎に改良されて魔力を補う魔法具にまでなり、今じゃいろんな人がかけている」
「私は魔力が少ないですから、補うためにかけていますのよ」
そうなんだ、とエリックは微笑む。
「でも、いろんな人がかけているって言っても様々だと僕は思うんだ。単純に目が悪い人、おしゃれだからかけている人、そして」
エリックが弓を構え、アイリスの目の横あたりをかすめて矢が放たれ。
「嘘を吐くから、かける人」
ポトリ、と背後から果物が落ちる音がした。
「まあ」
アイリスはもう一度、ゆっくりとメガネに触れてエリックを真正面に見て言った。
「それはさぞや、嘘が吐くのが下手な方なのでしょうね」
「なんでそう思うの?」
「だって」
影の手をゆっくりと自らの影に潜ませるように戻して、アイリスは答えた。
「これに頼らないと上手く嘘が吐けないのでしょうから。ね?」
メガネを外して見せて、アイリスがふふ、と笑みを口元に浮かべる。
「……それもそうだね」
エリックもまた人の良さそうな笑みを浮かべて、地面に転がった一つの果物を口の中に放り込んだ。
「ステファンさん、遅いですねぇ」
シシリーが厨房で野菜を水で洗っていると、ラーラは赤い野菜のヘタを取りながら答える。
「あんなにお腹が空いたと言ってましたから、大物を狩ってくるかもしれませんよ」
「それは久しぶりに豪勢な食事になりそうですね! 腕がなります」
そこへただいま戻ったよ、とエリックがカゴいっぱいに果物を持って現れた。
「わあ、たくさん採ってきてくれたんですね!」
「シシリーちゃんも料理が出来上がるまで一つ食べる?」
お腹空いてるでしょ、と言ってシシリーに手渡すエリックにラーラが尋ねる。
「アイリスさんは? 一緒に行かれましたよね」
「ああ、厨房の外で花蜜の処理をしてるよ。彼女、すごく闇魔法のコントロールが上手いよね」
誰かさんと違って、と揶揄うエリックに「私だって日々技術を磨いているんです」とラーラが少し立腹した様子で言った。
「あ、この野菜ってトマトだっけ?」
「はい。ここは王都よりゼレンセン王国に近いですから採れやすいのでしょう。たくさん群生していましたよ」
ラーラは思い出す。竜王クリスに移動魔法で連れられ、畑と花の温室を見せてくれたことを。
(トマト……これは確かメガネを市場に流通させるより前に他国にゼレンセン王国発だと発信してしまった野菜だとクリス様が仰っていましたよね)
これも千里眼で視た並行世界の食べ物で、この星に定着するように改良したものなのだろう。今ではトマトはごく普通に畑や森で採れたりするのだが、この不可思議なことが多く起こっているループではどのような扱いをされているのだろうか。
ちら、とエリックの様子を見やれば。
「僕、トマト好きなんだよね。砂糖漬けにするとうまいんだ」
「……左様ですか」
シシリーと共に苦笑するラーラの元に、厨房の扉を叩く大きな音が響いた。
「開けてくれ、でかいのが狩れたから手が塞がっちまって!」
「はいはい今開けるよ」
エリックが扉を開けてやると、それはもう見事な獲物を担いだステファンがいて、厨房の中へとずんずん進んでいき仕込み場へとその獲物を下ろした。
「わあっ! これ、ステファンさんが狩ってきたんですね! すごいです」
「今日の食事は楽しめそうですね」
「ふん」
相変わらず自分とシシリーさんには手厳しい態度ですね、とラーラは思ったが水に流し、野菜の入ったカゴを持って洗い場に持っていこうとした──そのときだった。
「……てめえ、それ」
「はい? あ、トマトですか? いっぱい森で採れたんですよ。ステファンさんのお肉と合わせてトマト煮込みにしたらきっと──」
「いらねぇッ!!」
途端、ステファンが目の色を変えて大声を上げだした。
「へ? 好みじゃなかったです?」
ラーラは耳に響いた大声をものともせずに考え込む。
(ステファンさんって嫌いなものありましたっけ……あ、そういえば)
その昔のループで、女だという秘密を露見させないために勇者一行と共に食事をせず一人でとっていたから知らないのだと思い至る。
「大丈夫ですよ、トマトは酸味が苦手って方もいますが甘みを加えてあげれば」
「そういうんじゃねぇ! 早くそいつを捨てちまえって言ったんだ!」
「食べ物を粗末にしてはいけません!」
ラーラがついに声を上げはじめると、ステファンは喚き立てるように言った。
「それは竜の食いもんだ!」
「ステファンさん。竜族です」
「うるせぇっ! あの薄汚ねぇ奴らの作った食いもんなんざ視界にも入れたくねぇって言ってんだよ!!」
「ステファンさん!」
ラーラが詰め寄ろうとして、シシリーが彼の尋常でない剣幕に狼狽え、エリックは冷静にどうこの場を収めようかと考えを巡らせているところで。
「こんなものっ、──!!」
ステファンがトマトを掴み厨房から外へ捨てるように投げた。
「皆様、花蜜の抽出が終わりまし……」
ちょうど──厨房に帰ってきたアイリスの胸元に投げられたトマトが当たり。
べっとりと、赤色がついてしまって地面に無惨な姿となったトマトが落ちる。
「……あ、アイリス」
ステファンが、小さく名を呼ぶ。
空気が凍るとはこういうことなのか、とラーラは思った。
「……」
アイリスはゆっくりと己の官吏のようなきっちりとした白の服を、汚れた執政官としての服を見下ろす。
「──ッッ!!」
ステファンは顔をぐしゃぐしゃに歪め、アイリスを押し退けて厨房から走り去ってしまった。
「アイリスさん! お怪我は」
「いえ、ラーラ様。なんともありませんよ」
にこりと笑顔を見せるアイリスは怒っておらず、ただ少し寂しそうにしていた。きっと厨房の中での会話を聞いていたのだろう。
「勇者さん、アイリスさんの服って綺麗にできるかい?」
「大丈夫です、お任せを。シシリーさんは散らばった野菜を集めてくれますか?」
も、もちろんです! とシシリーが気を取り直してくれる。
「ステファンくん、トマトに何か嫌な思い出でもあったのかな」
「わかりません……竜族のことも、食べ物を粗末にしたことも彼はわかってやったのでしょうか」
ラーラがアイリスの服を水魔法で綺麗にしていると、アイリスがぽつりと溢した。
「竜族への差別や嫌な思い出というのは、なかなか払拭できないものですよ」
そういうものなのです、と言うアイリスの蒼の瞳は、メガネの奥に隠れていたが少し揺れていて。
(やっぱり、君は嘘を吐くのが下手だね)
エリックは心の中で呟いた。
「……くそ」
あのときのアイリスの表情。
何度斧を振っても、消えない。消えてくれない。
「くそ、くそくそっ!」
自分がやったのだ。彼女の顔を曇らせたのは。
消えない。何度振っても、消えない。
「……はぁ、はぁ」
消えない、消えない、潰れた赤い色。
消えない、消えない、母親の悲痛な泣き声。
「オレは……竜なんか認めない……女なんて、みんな……」
絶対に、裏切るものなのだ。
いつも読んでくださり誠にありがとうございます。
ステファンの過去に何があったのでしょうか。
次回は明日夜9〜10時ごろ投稿予定です。
評価、ブクマ、感想などお待ちしています。




