26. おまじないの魔法
どうしてうまくいかないの。
さっきからおかしい! わるい子たちがみんな倒されちゃってうごかない! 糸がぜんぶ切れちゃう!
あれ、どうしてわるい子なんだっけ。わかんない。
どうしてどうして。
ぬいぐるみが、ないからだ。
わたしの一番お気に入りの、ぬいぐるみ!
あのおねーさん、ゆるさない。
ゆるさない!
「アイリスッ!」
「お任せあれっ!」
苛烈を極める戦闘に頼もしい掛け声が響いて、闇魔法の足止めと戦斧の魔獣との戦いが続いていた。
アイリスはステファンが虹色の糸ごと魔獣を仕留めるのを見て、周りの魔獣もすべて縛り上げた。
「ありがとうアイリスさんっ!」
エリックもアイリスのおかげで戦いやすいようだ。
先ほどよりも動きが統率されていない魔獣たちが暴れるので、こうして拘束してくれるとエリックもまたその腕を発揮できる。
勇者ラーラも、自分の魔力コントロールに振り回されながらも皆の連携に助けられていた。
「はあぁぁっ!」
ラーラが操り糸ごと剣で斬り倒し、周りを見やる。
「皆さん! 居場所はわかりました、あとは手筈通りに!」
「仕方ねぇな脳筋勇者!」
「あら、勇者と呼ばれるんですね? それに私のこともアイリスと」
「うるせぇ! 無駄話は戦いが終わってからだ!」
エリックがラーラの背後から魔力を漂わせる矢を三本同時に引き、枝分かれした矢が複数の敵の額を貫通する。
「勇者さんの魔力光のおかげで狙いやすいよ」
「でもエリックさんは暗闇でも当てられるでしょう?」
なぜそれを、と問う前にラーラは一目散に魔獣に向かっていき、ステファンとアイリスも大元の敵を取り囲むようにして魔獣を打破していく。
『なんで、なんでなんでぇ! こないで!』
魔獣のような声だが少女の声のようにも聞こえる敵が喚く。
「これで、終いよぉッ!」
ステファンが魔獣を操っていた敵を粉砕しようと戦斧を振り上げたとき──アイリスが彼の腕をそっと影の手で縛った。
「なにすんっ……」
「勇者様が。見ていてください」
ステファンが視線をやると、ラーラが敵の手から伸びる虹色の糸をすべて斬り再起不能にして──少女に優しく、かつ凄むように詰め寄っていた。
「やはり竜族が指揮していたんだ……」
エリックが口の中で呟いた。
敵は全身の肌が黒い鱗のようなものに覆われていて、頭から伸びる角が竜族だと示している。
「シシリーさんを元に戻す方法を教えてください」
『やだ、やだっ! 教えてもなんもなんないし!』
「あるはずです、魔獣化を止める方法が!」
エリックとゆっくり伴ってやってきたのは、魔獣化で苦しみ続けるシシリーで。
敵の竜族はシシリーの姿を見た途端暴れ出したのでラーラが首根っこを掴む。
『そいつ、やだ! きらい! だいきらいだからしんじゃえ!』
「なぜ嫌いなのです!」
『だってだって……なんだっけ? わかんないけどきらいなの!』
尚も暴れる竜族をアイリスが縛り上げた。
ラーラは心の中で思う。
(前回のループでこの子も『シシリー』がクリス様と私を光魔法で貫いたことを見ていたはず。だからシシリーさんを狙った)
邪竜王の呪いに侵され思考を錯乱させていても、恐怖や嫌悪という感情は残っているのだ。
ならまだ、やり直せるはず。
「ラーラ様……どうなさるので?」
アイリス、同じ竜族である彼女が問う。
やってみなければ、シシリーは救われない──そして、この子も。
ラーラは覚悟を決めて、息も絶え絶えなシシリーに頼んだ。
「シシリーさん、お力を借りたいのです。貴女を、彼女を助けるために」
「何言ってんだ! 竜だぞ!」
「竜族です!」
「だぁもう! シシリーをこんなにして人族を襲いまくってる敵なんだ!」
「それでも」
ラーラはステファンを見上げた。真っ直ぐの瞳で。
「私は救う勇者なんです」
「……っ」
エリックはその様子を無言で見て、シシリーを自らの胸に預けさせてラーラに近づく。
「何か方法があるんだろう、勇者さん」
「はい。シシリーさん、光魔法を。そして手をお借りしますね」
こくり、と頷くシシリーにラーラは優しく語りかける。
「魔力同調をします。痛くないですし貴女の身体に負担をかけるものではありません。どうかゆっくりと、息を吸って、吐いて……」
ラーラは黒い鱗だらけになってきたシシリーの手に自らの手を合わせて、もがく竜族の額にも手をかざす。
光魔法を、循環させるのだ。
『──ッ! や、やだっこれやだ! たすけて、たすけてぇっ……』
アイリスによって縛り上げられている彼女は喚いて助けを求める。
竜族にとって光魔法は毒にも等しい。苦しいだろう、痛いかもしれない。
けれど。
「思い出して、お願い……貴女の本当の名前、本当の姿」
魔力同調によって、呪いのみが剥がれていく。
光魔法は竜族の魔力を貫く。けれどこうして包み込むように同調していけば『剥がす』ことができる。邪竜王が外から魔に堕としたのであれば取り除くことだってできるはずなのだ。
(私には光魔法が使えない。だけど彼女なら……!)
シシリーが光魔法の魔力光によって照らされながらラーラに言う。
「しん……じて、ます……から」
「ええ、私もシシリーさんを」
脳裏に前回のループがよぎる。
けれども。
「私を信じてくれたシシリーさんを、信じます」
ふ、とシシリーが微笑んだ。
エリックたちが見守る中、光魔法が優しくラーラたちを包んでいって。
「思い出して。貴女の一番大切だったことは何か。私は知ってます、貴女がどれだけ──」
クリス様のことを、想っていてくれたか。
『あ、ア、ぁあ、ああ──っ……』
敵の竜族の顔が引き攣り、全身が震えていって。
ふと。力が抜ける。
「あ……おねえ、さん?」
「そう、私よ。ラーラ、ラーラ・ヴァリアナ……覚えてる?」
「おねえさん……お姉さん、お姉さんっ! わたし、わたし……!」
敵の竜族──少女は、真っ黒の髪から薄桃色の髪を取り戻し、健康的な肌が現れて眦に涙を浮かべた。
その変貌を見て、エリックとステファンは。
「竜族が、人族みたいに……」
「角はあるけどなんかフツーの、女の子っちゅーか」
アイリスは目を伏せて言った。
「……邪竜の呪いを受けた竜族は、もう元には戻らない。そう思っていました。でもこんな元へ戻る方法があったなんて」
「……」
その発言をエリックは注意深く聞いていて。
魔力光がおさまり、次第にシシリーの魔獣化を表していた黒の鱗も消えていく。
「おお、シシリーが治ってくぞ!」
やった、と素直に喜ぶステファンを見て、ラーラはふふっと笑んだ。
(やはり貴方はそういう人でしたよね)
ラーラがもう元の姿──あのエヴァンテール公園で出会った少女の姿に戻った彼女の手に、一番大事にしていたものを渡す。
「ありがとう。この子を思い出してくれて」
「……エヴァン様の、ぬいぐるみ……わたし、全部忘れてた。どうして大事だったのか、どうして大好きだったのか、ぜんぶ……っ!」
ぽろぽろと大粒の涙を流す少女は、初代竜王エヴァンのぬいぐるみをぎゅっと握って大声で泣き始めた。
「りゅうお、さまぁ……竜王様ぁ……っ!!」
少女の涙はかの王を憂う。優しくて、いつも笑いかけてくれたあの黒い王様を。
慣れない縫い針で桃色竜の破けたところを縫って、手を傷だらけにした不器用な王様を。
(クリス様。私、彼女たちを信じました。これでよかったんですよね)
魔獣化がすっかり治ったシシリーをラーラが立ち上がらせる。人の姿に戻れなくなるまで間一髪のところだった。
「よか、った……です。私の力、役に立ったんですね」
「シシリーさん、ありがとうございます。私との魔力同調を受け入れてくれて」
「勇者様ならなんとかしてくれると思ってましたから。それに」
シシリーが周りの仲間たちを見る。
「皆さんも……私の意図に気づいてくれてありがとうございました」
「オレが一番魔獣を倒したんだぞ、数えてたか?」
「私のおかげだということをお忘れなく、ステファン様」
そ、そうだけど、と口籠るステファンを小突くエリック。
「僕のことも忘れないでね」
「お前もなかなかやったみたいだな」
「うん、まあまあ皆んなの役には立てたんじゃないかな」
ステファンが陽気にエリックの背中を叩いていると、そこでアイリスが声を上げた。
「こちらの竜族の少女は私の所有する研究機関に預けましょう、これまでに竜族が正気を取り戻した事例はありませんでしたから研究しがいがあるというもの」
「そういえば竜……あ、いや、竜族を研究してるって言ってたね」
エリックが言い直すと、その言葉にアイリスがにこりと笑って「ええ」と頷いた。
「え! お姉さんと一緒じゃないの? 竜王様は……」
「大丈夫。さあ、行きましょう」
ここから王都まで近いですし、と言ってアイリスは少女を抱き上げて勇者一行に背を向ける。
「お姉さん、約束。ぜったいに……あの怖い声にだまされないでね」
「へ? う、うん、私は勇者だから大丈夫よ」
「ぜったいだからね……ばいばい、お姉さん」
少女がラーラに手を振る。
(貴女の元に、優しい竜王様を必ず正気に戻して……一緒に迎えに行くわ)
いつまでも、いつまでもラーラはアイリスと少女の姿が見えなくなるまで手を振っていた。
「ねぇ、さっきの怖い声ってなんのことかしら」
アイリスが尋ねると、薄桃色の髪を揺らして俯いた少女が言った。
「わたし、頭の中がぐちゃぐちゃになって、目の前が真っ暗になってから……どうして王国にいないのかわかんなくて。でもね、女の人の声が聞こえてきて、そうしたらもうここにいたと……思う」
「女の人?」
うん、と少女は桃色竜のぬいぐるみを守るように抱きしめる。
「いまいましー竜は、ゆーしゃのけーけんちになっちゃえ、って。意味がわかんなかったけど……すごく怖かった」
「……そう」
アイリスは神妙な顔で考え込む。
(女の人の声……勇者……一体誰が)
そこへ、一人の人影が現れた。
「だ、だあれ?」
「大丈夫、私の大切な友人ですのよ。貴女を安全な場所へ連れていってくれます……シャル、お願いね」
シャル──かつてラーラの侍女をしていたシャルロットは少女の身体をアイリスから優しく受け取り、移動魔法の陣の中に入る。
「ラーラ様をよろしくね。アイリス」
「ええ……必ずや」
必ずや、竜王様を助けに共に向かいます。
アイリスは彼女たちの姿と魔力光が消えたのを確認し、陣の痕跡を無くしてラーラたちの元へと踵を返した。
焚き火を再びラーラの魔法で作って、シシリーとステファンは暖まりながら寝ている。今日は色々とあったから疲れ果てているだろう。
ラーラはそう思いながら、二人に毛布をかけてやった。
「勇者さん、勇者さん」
まだ寝ていなかったエリックが、はい、とコップを渡してくる。
「これ。君も飲んで暖まりなよ」
「ありがとうございます、エリックさん」
ラーラが受け取ったコップの中には王都を出る前に調達したのだろう、庶民の間で飲まれている一般的な茶があった。
「勇者さん、すごかったなぁ。あんなに強い魔力こめて剣を振れるなんて」
「……剣の師匠の教えがよかったんですよ」
「ぜひとも会いたいね。本当に、君がいなかったらシシリーちゃんは、あの竜族の少女は死んでいたかもしれない」
「そう、ですね」
自分があのとき思い出していなかったらと思うと。
(クリス様とのおまじないが旅で役に立つなんて……ありがとうございます、クリス様)
あのころは、ただただ幸せだった。その幸せをちゃんと得難いものだと認識していなかった。今更になってから後悔するのは、ループする度に思うこと。
ラーラはコップの中を、過去を省みるように覗き込む。
茶色い波紋の中には、星々の煌めきが映っていた。
「綺麗……」
「うん。綺麗だった」
「綺麗だった?」
ラーラがそう尋ねると、エリックはラーラを──いや正確には短く切られた耳元までの髪を見て言った。
「君の長い髪、綺麗だった。ずっと昔から……長い髪を視ていたような気がするんだ。不思議だよね」
それって、もしかして。
(エリックさんは……ループを知覚している?)
いやそんなわけがない。エリックは人族だ、観測できるわけがない。
覚えているはずがない。共に冒険者として駆けた二度目のループや、何度も顔を合わせた別のループのことなど。
ラーラは誤魔化すように笑った。
「不思議ですね。そんなはずないじゃないですか」
「うん、そんなはずない。そんなはず、ないんだよ」
エリックは空を見上げる。その温かな彼の黄色の瞳にも星々が映っていて、それをぼうっと見ているとラーラはある違和感のことを思い出した。
「戦っているとき、貴方の瞳が光っているように見えました。はじめの魔獣退治のときは気のせいかと思ったんですけど、さっきは夜だったから尚更よく見えて」
「……そっか。見えてたんだ」
ずず、と熱い茶をすするエリック。
「僕の目、たまにおかしいんだ。見たことのない景色が視えたり、知らない人の顔が視えたり。まるで誰かの視界を覗き見してるみたいに」
「へ……」
「でもそんなに悪いもんでもないんだ。普通のときでも遠くまで見えるから弓使いとしては重宝してるんだよね」
おかげで魔弓の射手とか呼ばれたりしてるんだ、と笑うエリックの瞳は、横にいるラーラの姿を映していた。
「君のおかげだ。ゼレンセンへの旅も、思ったより悪くなさそうだ」
「皆さんとても良い方ですから。私は恵まれています」
「僕も恵まれてるよ。こんなに頼もしい勇者さんがいるんだから。あ、魔力コントロールはイマイチだけどね」
くすり、と二人で笑う。
なんだかこうしていると遠い昔に経験したループを思い出してしまって──。
(……すべてのループを視て応援してくれていて、褒めてくれたクリス様のための旅。がんばらなくちゃ)
飲み終わったのだろうコップを魔法で片付けて、エリックが言った。
「じゃあおやすみ。ゆっくり身体を休めてね」
「はい、エリックさ……」
ふわり、と頭を撫でられた。
「よく寝れるためのおまじないさ」
いつも兄妹にしてるから、とエリックはそのまま身体を横たえて、眠ってしまった。
(おまじない……)
それは前回のループのクリスとの尊い思い出で。
それは昔からのエリックとの忘れていた習慣で。
(……おまじ、ない……)
なつかしくて、胸が掻き乱されて。
眦から涙が溢れそうになったけれど、ぎゅっと目を瞑って。
ラーラはアイリスが帰ってくるまで、ずっと膝に顔を埋め火の番をしていた。
シャルはずっとラーラとアイリスの旅を後方支援したり、匿っている竜族の世話をしています。
いつも読んでくださりありがとうございます。
次回は明日夜9〜10時ごろ投稿予定です。よしなに。




