21. 婚約の儀、そして
彩りに満ちた魔力光と、星の竜の流星が見える。
「────」
インゴルドはなにもできない。
息をすることすら呼吸器に頼り。
600年近くもの間、どれだけこの呼吸器を取り外したいと思ったことか。
しかし彼の罪は重く。誰よりも罪深い。
国のため。竜族の存続のため。彼の大義名分は潰えた。それは罪の意識があったことから自白するに至り、こうして苦しみを罰として受け入れていた。
今夜だけは独房の小窓が開けられることを許され、金の流星が彼の瞳に映る。
「────」
けれども、今日だけは。
兄弟の契りが通じ合って。
インゴルドは在ることを赦されたのだ。
「わあ……なんて綺麗なのでしょう」
ラーラはコーネリア城からエヴァンテール公園までの道すがら、ワイバーン車に乗って窓から美しい祭りの景色を楽しんでいた。
色とりどりの魔力光が灯されていて、目が嬉しいと言っている。
「これが星竜祭。星の竜になった者、これからなる者を祝い、星へ感謝を伝える日だ」
「命を与える星へ、感謝を……」
なんて美しいのだろうとラーラは思った。
「インゴルドについてだが。これから彼の竜王殺しの罪を撤回し、彼に今後の希望を訊こうと思う」
「訊く、と言いますと」
「今後彼は生きたいか、死にたいかを」
クリスは両手を組む。
「もう十分、インゴルドは罪を償った。俺はそう思う。彼は想像を絶する苦しみと罰を受けた。俺は彼を、赦したいと思っている」
「竜王様が……そうお思いでしたら、そうすべきだと思います」
俯く彼女に同乗しているクリスが尋ねる。
「……俺でいいのか、ラーラ」
「へ? 竜王様?」
「婚約するのが俺で、これから夫婦となる者が俺で、本当にいいのか?」
金色の瞳がラーラを見つめ、揺れている。
(この方は……本当に)
数えきれないほどのループを経験して、もう死にたいと、ちゃんと殺してほしいと心から願ったあの婚約破棄の場で。
クリスは迎えに来てくれた。生きていてほしいと言われた。がんばらなくてもいいと伝えられた。
褒められた。今までの途方のないがんばりを。
自分が辛いときにラーラのがんばりを視て励まされたから。ラーラの存在が救いになっていたから。ラーラがいたから、生きてこれたから。
クリスは笑顔でいれた。ラーラのおかげで。
(竜王様……いえ)
意を決して、ラーラはこう言った。
「私は貴方に救われました。貴方の命の輝きを一番近くで見たい、守りたい、そう思ったのです……クリス様」
クリスの目が驚愕で丸くなる。
「今、ラーラ……俺の名を」
「……やっぱりお嫌ですか? 戻します!」
「いやっ! 戻さないでくれ、その呼び名で頼む、もう一回! もう一回、呼んでくれないか」
期待の眼差しで言われてしまい、ラーラは気恥ずかしくなりながら呼ぶ。
「クリス、様」
「……あと1000回ほど」
「多すぎます! もうっ」
ラーラは頬を赤らめて、わざと窓向こうを見ながら言った。
「これから何度も呼ぶことになるんですから、今日はこれで我慢なさってください……」
それって、とクリスが感極まって興奮する──前に。
『コラ──ッ!! 陛下、星竜祭の日に城下町をめちゃめちゃにされるおつもりですか!』
「わわっスタン!?」
ワイバーン車内に騎士団長スタンの大声が響いてきて思わず耳を塞いだ。
念話のため物理的に塞いでも意味がないのだが。
「スタンさん、大丈夫ですよ。クリス様はちゃんと魔力をコントロールされてますし私もいますから」
『そうですか? それならいい──今なんて仰いました、ラーラ様?』
「ですからスタンさんと」
ふふ、と笑みを浮かべるラーラ。
「スタン! 俺に先駆けて『さん』付けだと!? 今すぐ謝るか懲戒免職されるか選べ!」
『そうですよスタン! 貴方私を差し置いてラーラ様に親しみ深く呼ばれるだなんて卑怯ですわ!』
と、別の声がワイバーン車へと聞こえてきた。
この凛とした声は一人しかいない。
「えぇと、アイリス、さん! アイリスさんのこともちゃんと親しみを感じておりますから!」
『まあっ! ラーラ様が私のことを……シャルに自慢しなくては! 聞きましたスタン、私もこれで同じ土俵に立ちましたわよ!』
俺の方が先に呼ばれた、いえ親しみを感じていると言われたのは私の方です。
やんやと年甲斐もなく念話で騒ぐ二人に、ついに竜王クリスが叫んだ。
「うるさいぞ! 俺とラーラの貴重な時間を盗み聞きしてたなんて不敬にもほどがある!」
『そんなこと言いましても、間者が紛れ込んでいるかもしれないのに影に潜まずしてどうお守りするというのです』
とアイリスがしらばっくれるように答えて。
『陛下がいつラーラ様に言うか、いつ言うかって心配してたんですよ? さ、お早く』
とスタンが剽軽な声で答えて。
「お早くってなんだ! 俺たちは正式な婚約前で!」
『でも本当は言いたいんだろ?』
「おい敬語が抜けてるぞスタン」
『ああっと、聞き間違いですよ聞き間違い』
聞き間違いなら仕方ない、と頰を膨らませてご立腹なクリスの様子を見て、くすくすとラーラは笑い出す。
「本当に慕われていますね、クリス様」
「……ああ。俺にはもったいないくらい優秀で、信頼できる部下だ」
胸を張ってクリスが言ったところで、ワイバーン車が止まる。
『これから星竜祭のお言葉とラーラ様のお披露目、そして婚約の儀がありますが、よろしいですね?』
アイリスが確認するように尋ねた。
竜王クリスは、ニパッと笑う。
「ああ、任せておけ」
そうだ、とクリスがラーラの手をそっと握る。
「ラーラ、君はいつも防御魔法を展開しているだろう。毎夜俺とずっと魔力同調をしていたから心配には及ばない。今夜のためにも──君の加護は俺と共にある。だから」
「わかりました」
ふ、と防御魔法を解く。
「……ありがとう」
信じてくれて。
その先に続く言葉は、魔力同調を続けていた心臓から伝わってくる。
「ラーラはまだここに居るように、俺が呼ぶから待っていてくれ」
「はい。お待ちしてます」
二人の手が離れ、ワイバーン車の扉が開き。
竜王が国民の前に姿を晒す。
エヴァンテール公園は祭と言えないほど静まり返っていて、国民たちがじっと黒竜である竜王を見つめているのが窓から窺えた。
(クリス様……)
竜王の影から筆頭執政官であるアイリスが現れ、ワイバーン車を操っていた騎士団長スタンが傍らに立つ。
二人のマントはそれぞれ片翼の形をしていて、二人で両翼となり竜王を支えるという覚悟を示していた。
「……」
一歩、クリスが進む。
この国の主要人物がエヴァンテール公園の中心の壇上へと歩いていき、竜王クリスが国民の前へ立った。
「この国、ゼレンセン王国からまた一頭、星の竜が生まれた」
黒き竜王を見上げる国民たち。
「星の祝福と共にある者は、この祭でさらに星へと導かれるだろう。俺はその橋渡し役となり、この国の礎となる」
ラーラが車内から見守る中で、一人の女の子が家族と思しき竜族と列に並んでいるのが見えた。
「俺は災厄と呼ばれても、何と呼ばれようが構わない。古き竜王の名に誓って我が国の平和と安寧を約束しよう」
女の子は、初代竜王のぬいぐるみをぎゅっと抱き抱えていて。
「竜王様ー! がんばってー!」
と、静寂の中。子竜の応援の声が響いた。
竜王は──クリスは、ふ、と笑みを浮かべる。
国民たちからちらほらと、拍手をする者が現れて。
エヴァンテール公園は、祝福に満ち溢れていった。
(よかった)
ラーラがほっと一息吐くのもつかの間。
「ゼレンセン王国の誇り高き竜族よ、我が国に一人の人族を招待した。俺の婚約者となる人族である」
人族、と聞いてざわりと民がざわついて。
(ラーラ。大丈夫だ。俺が守る、来てくれるか)
クリスの優しい声が頭の中で聞こえてくる。
ぎゅ、とドレスを掴む。
ラーラはもう、何も怖くない。この先にクリスがいるのだから。
「ラーラ・ヴァリアナ。俺の婚約者を紹介しよう」
竜騎士たちがこちらを見つめ集まっている民から道を開け。
ラーラは一歩ずつ、エヴァンテール公園の壇上へと足を進めていった。
(不安。恐怖。恨み。絶望。そんな視線ばかりだけど)
空から──祝福するように、金の流星が飛んできて。
ラーラの足元を魔力光で照らした。
(これは……レナード様)
星の竜となった彼が人族であるラーラを祝福してくれている。それを見た竜族の民は、次第に視線を柔らかくしていく。
「ラーラ」
優しく、クリスが手を取ってくれて壇上に上がる。
ラーラは一人一人の竜族の顔を見て。
あの女の子の目がまんまるくなっているのを視認して、ふ、と微笑み。
皆の前で、深々と礼をした。
『祝福を。ラーラ・ヴァリアナ』
天から聞き覚えのある星の竜の声が響いてくる。
「ありがとうございます。レナード様」
ラーラが慈しむように目を細めて、クリスはラーラへと身体を向けて彼女にしか聞こえない声量で言った。
「ラーラ。これから婚約の儀を始める。ゼレンセン王国での由緒正しい、竜の宝珠の交換だ」
ふわり、とクリスの周りに魔力が漂い、心臓のある胸が強く輝きだす。
「君は人族だ。だから俺からの最大の贈り物をしたい」
クリスがその場で片膝をついて、輝く左胸から竜が一番大切にしているものが浮かび上がる。
クリスの瞳の色と同じ、命の輝きをした金色の宝珠。
それをクリスは魔法で──指輪へと創りあげた。
(クリス様の創造魔法……彼にとっての誓いのかたち)
ゆっくりと、クリスがラーラの手に──左の薬指に、指輪をはめる。
(あたたかい──)
『おまじない』よりも優しく、しかし彼の強い想いが伝わってきて、安心する。
生きてほしい、君は生きているだけでエライ、君は俺の光なんだ。
存在を肯定される歓びを感じる。
ラーラの全身を彼の魔力が包み込んで、ラーラは。
「クリス様。私、今とっても、幸せです」
心からの笑顔を取り戻した。
竜族の魔力光が、命の祝福が灯っていき、空へと昇る。
(きれい。でも一番きれいなのは、クリス様の瞳)
嬉しそうに跪きながらラーラを見上げるクリスは、誓いを立てるようにラーラの左手に口づけを落として。
「約束しよう。このループを最後とし、一生君と添い遂げよう」
世界で一番幸せな笑みを浮かべたクリスが立ち上がる。
──刹那。
クリスがラーラを背に守るように、盾となった。
「──へ?」
理解が及ばなかった。
音のない世界で、クリスの胸に。
穴があいていた。
「……あ、」
ゆっくりとクリスが倒れていく中で、ラーラの口から血溜まりが吐かれる。
(なに、これ)
自分の左胸にも、ぽっかりと穴があいていた。
穴の先には──杖を構えた一人の人族がいて。
その名は。
「シシリー、様……?」
アルア王国第一王子の婚約者となった、この世界で唯一光魔法を扱える平民。
シシリーが、ぼうっと立ち尽くしてこちらを見ていた。
「やりました……女神様、私やりました。お告げの通り光魔法で悪の化身をやっつけました、やりました……あは、あはは!」
民の悲鳴の上がる祭の公園。
騎士団長が瞬時に、突如として現れたシシリーを捕らえ。
筆頭執政官が即座に竜王とその婚約者の治癒を試みる。
「俺は……大丈夫だ、ラーラは、ラーラは無事、か──」
金の瞳が見開かれる。
竜王の婚約者は血溜まりの中に仰向けに倒れ、命の灯火が潰えようとしていた。
「クリス、さま」
どくん。
「どうか、お逃げ、くださ」
魔力が渦巻く。
「どう、か」
竜王は胸に穴があいたままよろよろと近づいて。
「だめだ。だめだ、いけないラーラ、いったらだめだ、死んだらだめだ!!」
は、と自らの言葉を思い出す。
「俺が……防御魔法を解かせたから」
竜王の婚約者は最後の力を振り絞って、弱々しく微笑む。
加護があっても彼女には届かなかった。光魔法は竜の魔力を貫く。
血が止まらない。絹のような髪に赤が染みていく。
「まただ。またラーラを死なせてしまった。また喪ってしまった」
竜王は、真っ黒な涙を溢し。
両手が彼女の血で汚れようとも抱き起こして。
身体から黒炎のような揺らめきが起こる。
「やくそく、したのに」
空色の竜族が治癒の魔法をかけながら、竜王に叫ぶ。
けれどもその声は届かない。
「おれが、ころした」
ああ、ああ──約束を果たせなかった。
星に誓約した契りが、ぷつりと千切れた。
『あああアアアア──────!!!!』
災厄の黒竜は、慟哭し黒き涙を溢れさせて、全身から黒炎を撒き散らした。
意識が途切れ、もう何も見えなくなって。
姿が大きく、大きくなっていって──愛しき婚約者に影を落とす。
「く……りす……さ、ま」
金色が薬指にはまった左手を、彼に伸ばす。
消えゆくラーラの瞳の光は、最期まで。ただ穢れた魔力を吐き散らすだけの、暴力の化身となってしまった彼を見つめていた。
世界の敵となった、邪竜王を。
ラーラ・ヴァリアナは伯爵令嬢であり、この国『アルア王国』の第一王子の婚約者である。
そして、人知れず何度も人生をやり直していた。
「──へ?」
目の前には煌びやかな王室のシンボルである薔薇と剣をあしらった扉がある。
ざわざわと、聞き覚えのありすぎる貴族たちの声が聞こえてきて。
(私は──私は)
死んで、ループをしたのだ。
「クリス様ッ!!」
周りの貴族たちを掻き分けて、彼の姿を探す。
どこ。どこにいるの。貴方は、貴方はどこにいるの!
(晩餐会の扉の前でクリス様は私を見つけてくださった。だから今度は私が見つける番)
でもどこを探しても見つからない。あの優しい黒が見つからない。
どうして、どうして、どうして──彼がいない!
ラーラはもう一度あの扉の前に戻ってきて、ぎゅっと目を閉じる。
魔力探知をして、彼の声を思い出して、そうしたらあの声が、自分を褒めてくれたあの声が聞こえてくるはず。
『よくがんばったな。もうこれからはがんばらなくていいんだ、ラーラ』
聞こえてくるはず──!
「おお、ここにいたか、ラーラ嬢。探していたのだ」
ラーラが恐る恐る振り向くと、そこには──アルア王国の国王と王妃がいた。
「いや、もうラーラ嬢とは呼べぬな。許してほしい」
「な、にを──」
アルア国王と王妃、そして周りの貴族たちが一斉にラーラに向けて跪く。
「どうか邪竜王の討伐を。勇者ラーラ様」
知らないループが、はじまった。
第一章 終
序章と言うべき第一章が終わりました。
真の勇者ラーラの物語がはじまります。皆様どうか、最後までお付き合いくださればと思います。
明日の更新はお休みです。
月曜日、よろしくお願いいたします。




