19. 追いついて、たどり着いて
黒泥が私に巻き付いている。
『……ラーラ……お前は……相応しく……な……』
うそ。またこの悪夢。
最近は見ていなかったというのに……。
『婚約を破棄……する』
くるしい。くるしい。フィリップ殿下の声が響く中で私はもがく。
『シシリー嬢への嫌がらせをしていた上に我が息子フィリップを殺そうとしていたのか。失望したぞ』
……へ?
アルア国王様? その言葉は、はじめのループでの……?
『国家転覆を企てたそうじゃないか。これから洗いざらい吐いてもらう。ご令嬢には辛い尋問かもしれないがって、もう令嬢でもなんでもない奴隷だったな!』
纏わりついていた黒泥が私の身体に刺すような痛みをもたらす。
(い……や、いや、だれか……たす、け……)
そこへ、温かななにかが天から降り注いでくる。
(竜王……様……?)
聞いたことのない声が、聞こえてきた。
『クリス、また千里眼で並行世界を? 竜王たるお父様の治世を学びなさいと言ったでしょうに』
『母様! 俺、はじめて魔法で創ってみたのです!』
幼い竜王様の声? ではもう一人は……。
『りんご、というの?』
『はい! 昨日味見したから大丈夫です! お母様もぜひ……』
だめ……竜王様、そのリンゴは……!
『ク……リス……邪竜になってはいけない……今助け……』
天から邪竜になりかけている黒の竜王様が降ってきて、それを助けようと一匹の大きな竜が跡を追う。
魔力暴走で生まれた黒き巨大な竜巻が、助けようとしている竜を呑み込み。
そして──。
『俺が、ころした』
竜王様の、現在の声。
『母様も父様も殺した。皆も黒竜である俺が死ねばよかったと思ってるはずなのに。死ぬのは俺だけでよかったのに』
まって、そんなこと言わないで。貴方のせいでは。
『俺なんか……』
貴方はいつも私に言ってくれましたよね。私の命の輝きが綺麗だって。
私も貴方の命の輝きが綺麗だって、光のようだって思ってるんです。
『……ラーラ?』
貴方がいてくれるそれだけで、私は救われているんです。
『ラーラが、また新しいループでがんばっている……俺も……がんばらなきゃ……』
竜王、様……!
天から光が差し込んで、邪竜になりかけていた黒竜と泥に塗れて永遠の穴に落ちそうになっていた私を包み込む。
そうして、悪夢が──。
「う……」
ラーラは瞼をゆっくりと開けて、目を覚ます。
身体を起き上がらせると、妙にすっきりとしていて温かな魔力で満ち溢れているのが全身から感じ取れた。
(もしかして竜王様が、おまじないを……)
心臓のある胸に手を当て、彼の魔力と自分の魔力が混ざり合った感覚を感じる。
窓を見れば、真っ青で晴れやかな昼空があって、きっと外に出れば気持ち良さそうだと思った。
「あ、ラーラ様! 目が覚めたんですね」
「シャル……私、どうして……」
侍女のシャルが寝室に入ってきてラーラの顔の様子を見る。
「うん、血色も良くてお元気そうですね。アイリスとスタンさんが倒れたラーラ様を抱き上げてきたときはとてもびっくりしたんですよ」
「アイリス様とスタン様が……あっ!」
そうだった。私は騎士団本部でお話を聞いていて、倒れたんだった。
ラーラはそう思って寝台から身を乗り出したところで、サイドテーブルに何かが置いてあることに気づく。
「お手紙?」
簡単な封をされ、竜の紋章が描かれた手紙を開く。
『ラーラへ。この手紙を読んでいる頃には君は元気になっていると願う。いつもより強めに魔力同調をしたから身体に変調がないか心配だ。それに、スタンとアイリスから話は聞いた、二人に処罰を与えたりしないから安心してくれ。明日は星竜祭、そこで君を正式な婚約者として発表し儀式を執り行いたいと思う……君がこんな俺と夫婦になりたいと思ってくれたらだが。でも身体が辛かったら出なくても大丈夫だから、ゆっくり休んでくれ』
「『宝珠に誓って、クリス』……シャル、これは竜王様からの」
「はい。昨晩うなされていたラーラ様のために面会されて、手紙を置いていかれたんです」
そうだったのですか、とラーラは嘆息する。
待て。昨晩とシャルは言ったか。
「シャル! 私が倒れてから何日経ちましたか!」
「えぇっと、二日くらいです。そして今日は待ちに待った星竜祭ですよ」
「星竜祭……どうしよう、間に合わないかもしれない!」
ラーラが寝室から応接室へ走って、テーブルの上に積まれた報告書の山を前にする。
「ラーラ様、間に合わないかもしれないってどういうことです?」
「竜王様のお命が危ないかもしれないのです! どうにかして犯人を捕まえないと……」
「は、犯人ってあの報告書のですか? どうして報告書の事件と陛下の身の危険に繋がるんです?」
今まで調べていく内に気になっていた、書面を書き上げた人物の筆跡から魔力探知を行いながらシャルに答える。
「ずっと引っかかっていたんです。アイリス様から伝えられた、紛失された報告書の内容の共通点。それは全て竜王様に関することでした」
「陛下に関すること……たまたまでは?」
「いいえ、星竜祭に近づくにつれその内容はどんどん差し迫ったものになっていました。そう、お祭り当日の──竜王様をお守りする警備に関することに」
まさか、とシャルが息を呑む。
「警備体制、何名の竜騎士が配置されるか……そして紛失したにも関わらず戻ってきた報告書が一枚だけあるのです」
ラーラは真新しい報告書を一枚、手に取った。
「竜王様の警備隊に、誰が任命されたか」
「……そんな。もしかして犯人が警備隊の中に犯人が!」
「その可能性が大いにあります。アイリス様に連絡しなければ。それに」
シャルに向かってラーラが言う。
「星竜祭の儀式に出るに相応しい格好を。手伝ってくれますね、シャル?」
その強き眼差しに、シャルは大きく頷いた。
「まっかせてください! 実は私、早着替えのお仕事も得意なんです!」
日が天辺から少し動き始めたとき。
シャルを伴って城門前に現れたラーラに、騎士団の点呼を行っていた騎士団長スタンが気づき近づく。
「ラーラ様! お気づきになられたんですね。それにその格好……はじめて我が国に到着されたときの」
「はい。なんだか久しぶりに腕を通した気分です」
青と白、銀を基調としたドレスはラーラにとても似合っている。
(これが私の、勝負服)
ぎゅ、と拳を握ってスタンにだけ聞こえるように魔法で囁く。
『スタン様。星竜祭でお忙しい中でしょうが教えていただきたいことがあるのです』
『これは念話……わかりました、少しなら時間があります』
これから竜騎士たちを警備の配置につかせるところなので、とスタンが言う。
『その警備の配置なのですが、竜王様をお守りする直属の竜騎士に選ばれたものは?』
『呼びましょうか』
『お願いします』
スタンが号令をかけ、十名の竜騎士が駆け寄ってくる──が。
「おい、一人足りないぞ。すぐに配置させると言ったはずだが」
「それが……ケヴィンのやつがラーラ様がいらっしゃったとき忘れ物をしたって」
「どこへ行った!」
「えぇっと、ケヴィンはどこの寮だったっけ?」
一人の竜騎士が隣に訊く。
「確か第三騎士団寮だったような」
ラーラはふとクリスが先日騎士団の訓練の見学を見せてくれたときを思い出した。
『それよりスタン、俺が壊した城下町の第三騎士団寮の近くには怪我をした竜騎士や民はいなかったのか?』
『一人もおりませんよ。報告書は確かに執政官へ渡したはずですが』
第三騎士団寮は一度、竜王クリスの魔力暴走に巻き込まれている。
(まさか。そんなわけ)
いやそんなことを考えている場合ではない。急いでその竜騎士の元へ向かわなければ。
「シャル、行きますよ!」
「あっラーラ様! 私が……」
「教えていただきありがとうございます。スタン様はどうかいつも通りに」
そして念話でラーラがスタンに真実を話す。
『犯人がわかりました。私は追いますのでスタン様は竜王様の警備の強化を。ご安心ください、彼女にも伝えてあります』
『……承知しました。何かあればご連絡を、すぐ飛んで参ります』
文字通り竜の翼で、とスタンが言う。
『感謝を。では』
シャルと共に走り去るラーラの背中を見ながら、スタンが呟く。
「どうか、古き竜のご加護がありますように」
そしてスタンは焔の竜として──吠えた。
「我ら騎士団は今夜行われる竜王様とラーラ様の儀式を万全にお守りする! 抜かるなよ!」
竜騎士たちはいつになく迫力のある騎士団長に応えるように、槍を高く上げて覚悟を示した。
(このドレスだと走りづらい! こんなときは──)
並走するシャルが手をかざす。
「ラーラ様、強化魔法を!」
「ありがとう! でもなぜ強化魔法だとわかったのです」
すかさずシャルが自身の足にも強化魔法をかけて言った。
「私、強化魔法が得意なんです! その色の魔力光ならすぐわかります、強化魔法だけっていうのがダメなとこなんですけど!」
城下町へ繋がる門を抜けて騎士団寮へと向かう。
「ラーラ様、第三騎士団寮への道はおわかりですか!」
「コーネリア城と城下町の地図なら頭に叩き込んでいます、こちらが近道です!」
強化魔法を施された足で家々の壁を蹴って登っていくラーラの姿は洗練されたもので。
「……流石は、ラーラ様!」
シャルは侍女のスカートの中からずっと隠し持っていたフライパンを取り出してラーラの後を追う。
日はすでに傾きつつあった。
城からほど近いその建物は高くそびえ立っていて、全員出払っており人の気配がない。
「ここが……第三騎士団寮。シャル、それは?」
「私の最強の武器です、お守りしますよ」
頼もしいです、とラーラが言って魔力探知をする。
「……いました。二階の奥!」
シャルが先頭に二人は騎士団寮へ突入し、廊下を走って人影のある部屋へとたどり着く。
そしてシャルが強化魔法をガチガチにかけたフライパンで扉の鍵を壊し、扉は無惨にも地面に伏した。
「手を挙げなさい! そこで何をしてるの」
シャルは赤い魔力光を放つフライパンを勇ましく構える。
びくり、とその人影は驚いた様子で立ち上がり、ラーラたちに向き直った。
「わ、忘れ物をしただけなんです、僕は何も……」
ケヴィンと呼ばれていた青年は怯えている様子で、両手をあげてラーラたちの気迫に鼻水を垂らしていた。
「ラーラ様、本当にこいつが犯人なんですの?」
「……ケヴィン様。貴方が内務省への報告書を提出する報告課から報告書を持ち出していたのですね」
ラーラが静かに尋ねると、ケヴィンは違う、と声を荒げた。
「無駄です。報告書に付着していた魔力をこの国全体で探知し浮かび上がった人物はただ一人、貴方なのですから」
「そ、んな馬鹿げたこと……できるはずが」
「私ならできます。これでも元勇者ですから」
ケヴィンはがくりと項垂れる。
──そして。
「……ジャマは、させないッ!!」
突如としてケヴィンがラーラへ襲いかかる。しかしシャルがラーラの前に守るように躍り出て──ケヴィンの手足に、影から伸びた無数の手が彼を拘束した。
「アイリス! 来てくれたのね、そのまま、よっ!」
轟、というフライパンが出してはいけない音が部屋に響きケヴィンの顔を打った。
「ぶっはぁ──ッ!」
ケヴィンが倒れ伏す。その影から無数の手が一人分の影へと集まっていき、中から現れたのは。
「──アイリス様!」
「遅くなり申し訳ありません。咄嗟に拘束しましたが正解だったようですね」
ふ、とアイリスが笑いメガネを正す。その姿は急いで来た割に息も上がっておらず、凛とした佇まいだった。
「アイリス様の闇魔法は卓越したコントロールに長けていますからね。信じておりました」
さて、とラーラがケヴィンに向き直る。
「ケヴィン様。伺いたいことがあります」
「……くそ」
「貴方は報告書をわざと紛失し、一枚の報告書のみ改竄して提出した。違いますか?」
悔しそうにケヴィンは頷く。
ラーラはもう一つだけ、尋ねた。
「貴方はどちらの竜族の氏族に属していますか?」
「ラーラ様? それは今関係ないのでは……」
と、アイリスが不思議そうな表情をしつつ、影の手でケヴィンを縛り上げる。
「ぐあっ……!」
「ケヴィン様。貴方はこの事件を起こした方に指示されただけ。そうですね?」
「……っ!!」
ケヴィンに一歩ずつ近づくラーラ。
「もう一度訊きます。貴方の氏族はどちらですか?」
ラーラから浴びせられる膨大な魔力の迫力にケヴィンはガチガチと歯を震わせて、恐怖に負けこう言い放った。
「エ族、ですっ!! 殺さないで、殺さないでくださいっ!!」
「ラーラ様? 氏族なんて訊いてどうされるんです?」
シャルはとんとわかりません、と言うがアイリスは「まさか」と呟く。
「殺しませんよ。安心してください。ましてや──」
突如として飛んできた魔法──ケヴィンの脳天を狙ったものをラーラが撃ち落とす。
「殺させやしません」
夕日が落ち始め、星竜祭が彩りはじめる。
魔力光の灯った様々な色の蝋燭が竜族の手の中にあり、ふわふわと幾つもの小さな魔力光が空へと浮かび上がった。
エヴァンテール公園の中心にはフードを被った背の低い竜族がずっと立ち尽くしていて、祈るように手を組んでいた。
「今年こそは、選ばれるんだ」
星の竜に。
評価、感想、ブクマ、いつもありがとうございます。
事件は収束していきます。
次回は明日夜9時に投稿予定です、よしなに。




