18. 謀殺の真実
ラーラは『元氏族の長インゴルドの現在について』と記された報告書に釘付けになる。
「577年前、竜王クリス様によって重症を負ったインゴルドは現在、延命装置によって生かされてはいるが四肢を動かすことができず、声を発することも困難。今後何か行動を起こそうと画策しても今年の星竜祭への危険性は認められない……」
報告書を持つ手が震える。
「なお、インゴルドは常時竜騎士に監視・監禁されており面会も許されて、いない」
ラーラのこめかみから気味の悪い汗が流れてきて、ごくりと生唾を呑む。
足がガタガタと振動し立っていられなくなり、その場で頽れる。
「ラーラ様? 何か物音が……ラーラ様!?」
異常に気づいたシャルがラーラに駆け寄って背中をさする。
(いや……いや……思い出したくない。こわい、もういや……)
ラーラ様、とシャルが声を掛け続けるが聞こえていない。
ひゅ、ひゅ、と呼吸ができなくなる。
(監禁……監視、四肢を縛られて、何度も魔力神経を傷つけられて、尋問されて……痛いって言っても、叫んでもやめてくれなくて……)
はじまりのループのとき。
ラーラは第一王子の婚約者、そして伯爵令嬢の座から引きずり下ろされ国家転覆の罪まで疑われた。
知らないと泣き叫んでも拷問は激しくなるばかり。奴隷の身となり国民に石を投げられ、独房では指先一つ動かすことすら許されない。
痛くて、痛くて。尊厳も命も軽んじられて。
最期は誰にも知らされず一人、首を──。
「ラーラ様ッ!!」
「……し、……しゃ、る?」
「聞こえますか、ラーラ様! ひどい汗です、水を飲んで!」
はぁ、はぁ、と大きく息をして周りを見渡す。
ここはアルア王国のあの独房じゃない。違うんだ。
(竜王様のおわす、ゼレンセン王国……)
だんだんと息が整ってきて、シャルの渡してくれた水を飲めるまで回復する。
「あり……がとう、ございます、シャル。貴方のおかげです」
「いえ、それよりラーラ様、一体どうされたんですか?」
「……知らねばならないことが、あるのです」
他ならぬ竜王様のために。自分のことは二の次だ。
ふらふらとしながらシャルに立ち上がるのを介助してもらう。
「ありがとう。今アイリス様はどちらにいらっしゃるかわかりますか?」
「アイリスですか? 星竜祭が間近ですから内務省にはとどまっていないかもです。会議とかで動き回ってるかと」
探してきますよ、とシャルが言うが止める。
(魔力探知すればすぐ……いえ待って、魔力が乱れている今の私では暴走しかねない。私の魔力はこの星で一番多いのだから……)
ふと、アイリスに言われたことを思い出す。
「──ベルです! シャル、ベルは今どこに!」
「あのベルですか? ラーラ様の寝台の横に……」
それだけ聞いてラーラは報告書を持って走り、寝室に置いてあったベルを──魔法の陣で刻まれたベルで、これを鳴らせばアイリスを呼び出せると説明された──鳴らした。
リィ────ン……とコーネリア城に魔法のベルの音が響き渡った。
すると。
「──ラーラ様、いかがなさいましたか!」
空色の髪に深い蒼をした、心配そうなアイリスが魔力光と共に寝室に現れた。
「アイリス様。お聞きしたいことがあります」
ラーラはアイリスに件の報告書を手渡す。アイリスはその題を見て、眉をひそめた。
「これは……」
「竜王様は一体何をされたのです? インゴルドとは誰ですか?」
「……」
ラーラはアイリスに詰め寄る。
「教えてください、私には知る権利があります」
「申し訳ありません、ラーラ様。このことは陛下から知らせぬようにと言いつけられていたのですが、報告書に混ざっていたのですね」
私の失態です、と言うアイリスはメガネを外して目頭を押さえた。
「そうですね。ラーラ様には知る権利がある……これからお伝えすることは全て事実です」
陛下からの処罰は受ける覚悟で申し上げます、とアイリスが神妙な面持ちで語る。
「陛下は子竜であられた頃、当時の王妃──お母上を氏族の長であったインゴルドによって殺害されました」
「──ッ!」
目を背けてはいけない。耳を塞いではいけない。ラーラはアイリスを見据えて「続けてください」と言った。
「その事実を知った陛下は彼、インゴルドを襲い瀕死の重症を負わせました」
「竜王、様……」
「この事件についてはスタンの方がよく知っております。当時その場におりましたから」
スタンを呼び出しましょう、とアイリスが魔力探知で彼を探そうとしたがラーラは止めさせる。
「私が行きます」
「ですが、ラーラ様……どうやら憔悴されているご様子です」
「いいえ、私の足で向かわねばなりません。竜王様のこと……ですから」
「……承知しました」
行きましょう、とラーラはアイリスを伴って城の騎士団本部へと足を進めた。
「インゴルドの起こした事件、ですか」
スタンは騎士団本部の奥にある、己の執務室でラーラに向かって話し始める。
はじめこそスタンは騎士団にやってきた二人を見て何事かと驚いていたが、報告書の紛失調査と竜王クリスの過去について尋ねられ渋々といった様子で口を開いた。
「あれは元々、幼かった陛下を狙った暗殺計画だったのです」
「竜王様を、暗殺……」
はい、と瞳を閉じてから語り始めるスタン。
「インゴルドは陛下のお食事に毒を盛った。だがそこで彼にとって思ってもなかった過失が起きました。陛下のお母上が毒を塗られた果実を口にしてしまったのです」
スタンの拳が強く握られる。
「その果実は、陛下がはじめて千里眼で並行世界を視て生み出した赤い果実『リンゴ』と呼ばれるものでした」
「では、陛下は……」
ラーラは思わず口を押さえる。
「ええ。ご自分を責められた。自分が殺したのだと思い魔力暴走を起こされました。その暴走を止めるためにインゴルドは自白し、そして──」
スタンは瞼をゆっくりと開く。
「陛下は、邪竜化しつつある身体のまま、インゴルドの首に噛みつき、心臓を穿ったのです」
「……ッ!」
衝撃の事件にラーラは目を伏せた。
「そしてインゴルドという方は一命を取り留め、囚われたと」
「はい。その通りです──私はそのとき陛下のお付きの騎士でした。何も、何もできませんでした」
「スタン……」
アイリスがスタンの名を呼ぶ。
「貴方は他の者たちを守ったと聞きましたよ」
「いいや、守れていない。守れていないんだ、アイリス」
アイリスはまさか、と驚愕の表情を露わにする。
「もしかして……」
「アイリス様? どうされたのですか」
ラーラが訊くと、スタンが代わりに答えた。
竜王クリスが一度邪竜になりかけた日の秘められた真実を。
「当時の竜王、陛下のお父上をお止めすることができなかった。お父上はその場で邪竜に変貌していく陛下をお守りしようと、邪竜化を止めようと竜の真の姿になり、そして……膨大な魔力暴走の余波で、亡くなられたんだ」
スタンは頭を抱える。まるで自分の非であると言うかのように。
「俺は……見ているだけで、何もできなかったのです。俺は陛下の兄貴分でも、名誉あるお付きの騎士でもなんでもない、ただの腰抜けでした」
「スタン様……」
言葉を失うラーラにアイリスが静かに呟く。
「前竜王様の死もまたインゴルドの仕業と聞いておりましたが、まさか……陛下が」
「……」
ラーラは衝撃を受けつつ、今朝に連れられた園芸用の畑でのクリスの言葉を思い出す。
『赤い血で塗れていてもか?』
あのときのクリスの眼差しは、親を殺してしまった後悔と絶望が込められていたのだ。
エヴァンテール公園にいた子竜の男の子の言葉も記憶から浮かび上がる。
『くそっ俺たちじゃ倒せないのか! このままじゃ首に喰いつかれちまう!』
災厄の黒竜。いずれ邪竜と化す運命の竜。人族から蔑まれる同じ竜族からも嫌悪され、暗殺を計画された上に母親の命を奪われて、父親を自らの力の影響で失ってしまった。
『こんな気持ちの良い朝に言うのもなんだが、謀殺防止のためだ!』
自分で食事を用意するのも、作物も自分で育てるのも。
思えばラーラが食する前にクリスは自ら毒見するように同じものを口にしていた。
あのように明るく振る舞っていたクリスが、全て過去の悲劇を二度と繰り返させないため胸に秘していたのだったら。
(竜王様……そんなことが)
ぎゅっとラーラは両手を胸にやり──はたと、とあることに気づく。
報告書の紛失事件とこの暗殺未遂事件、もしかすると。
「アイリス様、スタン様。至急調べていただきたいこと、が──」
ふらり、と目の前が揺れる。
(あれ……どうしたので、しょう)
アイリスの焦っている声がぐわんと聞こえる。
スタンが立ち上がってこちらに駆け寄る姿がぼやける。
(わたし……)
そういえば、まともに寝たのは何日前だったか。
魔力を乱れさせてしまったのはつい先ほどで。
ラーラはそのまま、意識を失ってしまって──アイリスとスタンに抱えられ床に頭から倒れるところを阻止されたのだった。
クリスの抱える過去が明らかになりました。
皆様どうぞ、この二つの事件の真相が明かされるまでお付き合い願います。
次回の更新も明日夜9時ごろの予定です。




