第842話 ジーン、送還される
ネドリさんにジーンのことについて聞いてみると、白狼族の村ではネドリさんの一族と双璧をなす一族の一人だそうだ。
その一族の中でも数少ない男子で、厳しく育てられるかと思いきや、周囲を身内の女性たちに囲まれてあんな喋り方になるわ、甘やかされて増長気味になるわ。その上、『フェンリルの養い子』となってからは、白狼族の村でもかなり優遇されてきていたらしい。
そもそも『フェンリルの養い子』とはなんぞや、なんだけど、単純に先代フェンリルに気に入られた子供のことを言うらしい。気に入られたからといって、特別な力を与えられているとかいうのではないそうだ。
そんな彼らとなんで一緒に戻って来たのかと思ったら、一緒ではなく、先代フェンリルが追いかけてきたのだという。村の近くに来るまで気付かなかった、とビャクヤたちは申し訳なさそうな顔をしている。
そこはさすが同じ聖獣というべきか。
そんな先代フェンリルに同行してきた10歳くらいのジーンの根性は凄いとは思うが、それはそれ、である。
ハノエさんたちに世話をされて、なんとか戻ってきたジーン。泣いた後のせいで、目は真っ赤だ。
彼の痛々しい感じに可哀想に思っていると、ハノエさんたちは困ったような表情を浮かべている。何があったのか、その場で聞くべきか迷っていると。
『あのこはダメね』
『ああ、あれは、ダメだ』
風の精霊たちが冷ややかな声で言っているのが聞こえてきた。
ちらりと目を向けると、光の精霊や土の精霊たちまで首を振っている。
『ハノエたちのせわを、かんしゃもしない』
『めしつかいかなにかとでも、おもってる』
『はくろうぞくがいちばんだと、おもってる』
『あれは、だめだ』
ジーンのそばでは、先代フェンリルが彼の顔を舐めている。それには素直に笑みを浮かべている様子は普通に可愛い子のようだけど。
参ったなぁ、と思っていると、厳しい顔をしたエイデンがジーンの前に立った。
ビクッと身体を震わすジーン。
「お前は帰れ」
冷ややかなエイデンの声。
「い、いやよっ! フェンリル様と一緒にいるっ!」
「お前はダメだ。この村には馴染めない」
「な、馴染まなくたっていいわっ。フェンリル様がいればいいのよっ」
先代フェンリルに抱きつくジーンだけど、当の先代フェンリルのほうが困った様子。しかし、ジーンがそういう考えでは、村に置いておくわけにもいかない。
幼い子を放ってはおけないけど、このままでは、後々、面倒ごとを連れてきそうな気もする。
「……おい、フェンリル」
『う、あ、はい……』
「これは、こんなことを言ってるが」
『ジ、ジーン。お前の気持ちは嬉しいがな……』
「やだやだやだ」
泣き止んでいたジーンが、また泣き出した。
いつまでも、ここで揉められるのも困る。せっかくガズゥたちの帰還で楽しいクリスマスになるはずだったのに、なんとも微妙な空気になってしまっている。
「はぁ……」
思い切りため息をつくと、先代フェンリルとエイデンがびくりと身体を震わせた。
――そんなに、怖い?
ジロリとエイデンの背中を睨みつつ、先代フェンリルに目を向ける。
「さっきはビャクヤたちがいいなら、と言ったけど、この子を無事に送り届けてきたら、という条件を追加するわ」
「なっ」
『なんだと』
「なんか、この子がいると色々、面倒なことが起こりそうだし」
『せ、聖女なら、もっと、こう優しく』
「あ、文句あるなら、出て行ってください……ん~、今から結界の条件に追加すれば追い出せるかな。先代フェンリルと、それに連なる者は誰も入れなっ……」
『ちょっと待ったぁぁぁぁ!』
私が言い切る前に、先代フェンリルが叫ぶ。
『わかった、わかった! ジーン、帰るぞっ』
「戻るの?」
先代フェンリルの言葉に、嬉しそうに応えるジーン。
『ああ、戻る、戻る(さっさと置いて、戻ってこないと)』
焦った先代フェンリルは、ジーンの襟首をつかむと、凄いスピードで走り去っていった。
「……よっぽどだね」
「あの勢いじゃ、すぐにでも戻ってきそうだがな」
「変なのを連れてこなければいいんじゃない? ビャクヤなら……いや、シロタエなら、抑え込みそうな気がするんだけど」
ペシリと頭を押さえつけるイメージが頭に浮かんで、ニヤリと思わず笑ってしまった私である。
* * * * *
背中にジーンを乗せて物凄いスピードで駆け抜ける先代フェンリル。その脇を、のんびりした表情で飛びかう風の精霊たち。
『ちゃんとおいてこいよ』
『そうだぞ』
『もし、へんなのつれてきたら』
『さつきがゆるさないからな』
『ついでに、はくろうぞくのむらも』
『どうなるか』
『よーく、よくかんがえろ』
キャラキャラと笑う精霊たちの言葉を忌々しく思いながら、必死に走る。
――怒らせてはいけないのは聖女様なのは、いつの世でも変わらないのだな。
心のなかで冷や汗をかきながら、ひたすらに駆け抜ける先代フェンリルであった。