第802話 最後の糸、切れる
ピエランジェロ司祭に「ニック」と呼ばれた男の人は、驚いたような顔でこちらに目を向ける。
「お前さんは、確かフォンダンさんのところで雇われていなかったかい?」
「……司祭様、フォンダン商会は少し前に潰れましたよ。使用人たちが路頭に迷うのは可哀想なんで、うちで雇っているんです」
揉み手男(名乗らないのだもの、いいよね?)が、ニヤニヤしながらピエランジェロ司祭に答える。
「……そうなのかい?」
ニックへ心配そうな顔で問いかける司祭に、ニックは顔を青ざめながらコクリと頷く。
――絶対、なんかあったよね!
私でも、そう思ってしまうくらい、ニックの様子はおかしく感じる。
「さぁさぁ、それよりも商品を」
「グルターレ商会からしか買わないって言ってるよね」
いい加減、私も我慢の限界。
揉み手男が続けようとしたところで、ドンドンさんの隣に出る。
「は? え、こちらは」
キョトンとした顔をした揉み手男。
「名乗りもしない相手に、話す必要ないよね? ていうか、いらないって言ってるのに、しつこい」
「貴様」
「さっさと帰って。あ、そうだ。三台目の馬車に乗ってる子は置いてって」
私の言葉にカッと怒りの表情を浮かべる揉み手男。
「チャーリー、てめぇっ! しゃべりやがったのかっ」
揉み手男は怒鳴るけど、チャーリー含め私たちは結界の内側にいる。
それに怒鳴られる前に、ピエランジェロ司祭が、腕を引いて自分の隣へと移動させていた。
「おいっ、こいつの弟を連れてこいっ。チャーリー、弟がどうなるかわかってんだろうな」
「うっ……」
「大丈夫、大丈夫」
「何が大丈夫なんだっ。クソッ、せっかくここまで来たっていうのにっ」
私が軽く言うと、ギロリと睨みつけてくる揉み手男だけど、全然、怖くない。
「……あんたたちは、やっちゃいけないことを、やっちゃったんだもの。自業自得よねぇ」
そう言っている間に、揉み手男の護衛だった男にチャーリーの弟がずるずると引きずられてきた。かなり顔色が悪い。身体が麻痺しているせいか、色んな体液で汚れまくっている。
――ひどすぎる!
ピッキーンッと、私の最後の糸も切れた模様。
「……悪い奴らは、縛り上げちゃって」
『はーい!』
ドンッ
「うえっ!?」
土の精霊たちが、嬉しそうに返事をしたかと思ったら、男たちの足元から巨大な蔓が生えてきた。
そして、ぎゅるぎゅるぎゅるっと勢いよく男たちを巻き上げていく。馬車の中にいたはずのミエパリーノ商会の男たちも蔓に引きずりだされ、巻き上げられている。
高さはどこまでいったのだろう。うちのユグドラシルくらいの高さがありそうだ。
その間、男たちの叫び声が上のほうで微かに聞こえてくるけど、そんなことは気にしてられない。私たちは倒れているチャーリーの弟を助け出し、結界の中へと連れこんだ。
「エヴィス! エヴィス!」
チャーリーはボロボロ泣きながら、弟の名前を呼んでいる。
ギャジー翁が厳しい顔でエヴィスの首についている『隷属の首輪』を外している。私はその間に、タブレットの『収納』から、前に作って保存していたブルーベリーのジャムの瓶を取り出した。
「これ、飲める?」
エヴィスにスプーンですくったジャムを見せる。
視線は動き、ごくりと喉がなった音がした。これなら大丈夫かもしれない。
私は、ほんの少しだけスプーンの先にジャムをとって、エヴィスの舌にのせると、エヴィスはコクリと飲み込んだ。2回、3回とジャムを飲み込んでいくうちに、エヴィスの身体の麻痺が取れたらしく、5回目くらいには自力で身体を起こせるまでになった。
……さすが異世界クオリティ。
「よかった……」
「ありがとうございます! ありがとうございます!」
チャーリーは号泣しながら、土下座をしまくっていた。
「いいよ、いいよ。弟さんが救えてよかった」
――あとは妹さんも助けないと。
上空で叫び続けている男たちを睨みつける私なのであった。