<クラース・フォグトールと精霊>
クラースは、まさか自分が王太子の側近候補になるとは思ってもいなかった。
王太子には辺境伯家や宰相をしている伯爵家の者が側近候補についていたが、突然、病気を理由に辞退し、学園も退学していた。
そこで新たに候補に選ばれたわけだが、辺境伯家のデニス・レミネンや、侯爵家のセルジオ・ランベルティと違って、クラースのフォグトール家は子爵。
王太子の側近候補としては身分が低のになぜ自分が、クラース自身も不思議に思っていた。
確かに同じクラスではあるが、それほど親しくしていたわけでもなく、むしろ遠くから眺めていた。王太子自身もクラースの存在を気にしていたとも思えない。
ある日、自分で本当にいいのか、と率直に王太子に聞いてみた。
「うん? クラースは学業の成績も優秀だし、魔法や剣術の実技もできるだろう?」
しかし、自分程度なら、他にもいる。
「そうだな。ああ、あとは、近衛のクロンメリン卿の従弟というのも理由の一つだな」
クラースの母は、アーサー・クロンメリン卿の父の実妹だ。
――アーサー従兄さんか。でも。
「従兄弟でしたら、隣のクラスにもいますよね」
クロンメリン卿の母の弟が伯爵家当主で、その息子が隣のクラスにいるのだ。成績もそこそこ、性格も悪い奴ではない。
「ああ。でも……彼には精霊は見えないんだろう?」
王太子にこっそり耳打ちされて、ドキリとする。
フォグトール家は、元々、クロンメリン侯爵家の分家にあたり、クラースの母が嫁いだのだ。
クロンメリン家の血筋が精霊に好かれるというのは、身内であれば知っている話だ。
多くの人はそんな話は信じないし、否定し、嫌悪する。
実際、クロンメリン家では、アーサーのように精霊に好かれても、姿は見えないし、声も聞こえない者がほとんどだった。
その中で、なぜか姉のハンナとクラースは、精霊の姿が見えていて、ハンナには声も聞こえている。
このことは、本家であるクロンメリン家にだけ伝えられ、極秘事項となっていたはずなのだが、王家にも伝わっていたようだ。
「ハンナをキャサリンの護衛にと、アーサーが勧めてきた理由の一つもそれだよ」
――なるほど。僕も精霊関係で認められたということか。
クラースは、側近候補の位置にいることになんとか納得した。
しかし姉のハンナとは違い、精霊の言葉はわからない自分に、何が出来るんだろう、と小さな不安は拭いきれなかった。
夏休み明け早々、王太子と側近候補たちと共に食堂に向かう。
食堂の入り口で待ち構えていたのは、隣国の王女。王太子からも夏休み中の話を聞いていて、面倒そうな相手だと思っていた。
「あら、アラン様」
「キャサリン」
「お食事はお済みですの?」
後ろから声をかけてきたのは、王太子の婚約者のキャサリン。
――えっ。
クラースはキャサリンの周りを飛んでいる精霊たちの姿に、驚いた。
夏休み前に見たときは、小さな光程度だったのが、目の前にいるのは赤ん坊くらいの大きさの人型の精霊たちなのだ。
――アーサー従兄さんの精霊よりも大きいかも。
そして、夏休み中にキャサリンと同行していた姉のハンナの精霊も、前に見たときよりも大きくなっていたのを思い出す。
――どうしたら、あんなに大きくなるんだ? それに、強そうだ……
「悪いが、我が婚約者との貴重な時間なんでね。失礼する」
精霊に驚いている間に、王太子たちは王女から離れようとしていたので、クラースも追いかけようとした時に、目にしてしまった。
王女の鬼のような形相と、王女の黒く染まった爪が尖り、キャサリンの腕を掴もうとした瞬間。
一人の精霊が王女の指を弾き飛ばし、二人の精霊が顔にキックをお見舞いしている姿を。
――精霊、つえぇぇぇ!
ギャーギャー騒いでいる王女よりも、精霊のことで頭がいっぱいで、しばらく動けなかったクラースであった。
* * * * *
王女に鉄拳制裁をくわえた精霊たち。
友人たちと一緒に食堂に入っていくキャサリンの周りを飛びながら、ブーブー文句を言っている。
「いや~、きもちわるかった~!」
「なに、あのおんな」
「くうきわるすぎだったー」
「さすが、サツキのバレッタ、じょうかのうりょくばつぐーん」
「そうそう、キャサリンのうでに、なにかつけようとしてたよね」
「あのおんなのめからでてたアレ、たちわるすぎ」
「ああ、アレ、のろいのいっしゅよね」
「ひととして、おわってない?」
「あ、だったら、あのままにしたほうが、もっとしかえしになってたかな」
「そうね、ばいがえしー、じゃなくて、じゅうばいがえしー」
「いいえ、ひゃくばいになってかえったんじゃなーい?」
「でも、あのかおは、みごとね。さすがサツキのバレッタ!」
「ひふがただれてたもの」
「ほね、みえてなかった?」
「あはは。サツキがいってたあれね。『いんがおうほう』?」
「わたしたちのキックもわるくなかったとおもうのー」
キャッキャウフフと楽し気な精霊たち。
彼らの会話がわかるハンナがいなくて、よかったかもしれない。