第643話 稲荷さん無双(2)
唖然となって止まってしまっていた私たちを向かえにきたのは、稲荷さん。
「やぁやぁやぁ、どうですか、この建物!」
にこやかに現われて自慢気に言われると、ちょっとだけカチンッと来るのは何故だろう。
それに格好がラフな格好から、黒系の渋い着物に変わってる! まるで、温泉宿の旦那さんみたいだ。
「これって、稲荷さん」
「いやぁ、ちょっと頑張っちゃいました」
「……ちょっとどころじゃないですよね」
「まぁまぁ、どうぞ中に入って下さい」
そう言われて、稲荷さんが開いた引き戸の中へ、皆でぞろぞろと入っていく。
「いらっしゃいませ~!」
「ませ~!」
「うわっ!?」
稲荷さんに似て細目で髪をお団子にした、白っぽい着物姿の女性たちが、玄関先でずらーっと並んで出迎えた。いわゆる仲居さんだろうか。まさに、老舗温泉旅館の雰囲気だ。
「皆、同じ顔……?」
私の後ろにいたヘンリックさんの呟きが聞こえた。
外国人から見たら皆同じ顔に見える、というレベルではない。私にも全員同じ顔に見えるのだ。
そもそも、ここにどうやって連れてきたのだ?
「ああ、この者たちは私の眷属ですから、ご心配なく。それよりも、どうぞ温泉を見てくださいな。おい、お客様をご案内しろ」
「はい~」
「まずはお履き物をここでお脱ぎください~」
ちょっと独特なニュアンスの甲高い声に違和感を感じつつも、スリッパに履き替える。
どうぞ、どうぞ、とにこやかな女性たちに案内されて艶々の黒光りする長い廊下を歩いていく。濃い木の香りに包まれて、気が付いたら『男湯』『女湯』の暖簾の前に立っていた。
「中もどうぞ、ご覧ください~」
『女湯』の暖簾をひらりと開けてくれたので、素直に中をのぞいてみる。
「うわ~」
木製のロッカーに着替えを入れられる籐製の籠。大きな鏡に、同じく籐製の椅子。温泉で見かける脱衣所の光景に、思わず声が出た。
「なんだ、あの鏡は!」
「歪みがない!」
鏡にはりついているヘンリックさんとエトムントさん。その様子に自慢気な稲荷さん。
そういえば、こっちにある鏡を見た記憶がない。この世界のガラスの質を考えると、ヘンリックさんたちが驚くのも無理はないかもしれない。
ヘンリックさんたちは『男湯』のほうを確認しに出て行ったので、私たちは浴場のほうへと向かう。
「おお~」
「ほ~」
「これはまた……ずいぶん、稲荷さん、気張ったわね」
ここはどこ、と言いたいくらいに、見事な風呂場。周囲の木々もそうだし、白濁したお湯、岩風呂も趣がある。
「ねぇ? 凄いでしょう?」
いつのまにか後ろにやってきていたレィティアさんが、自慢気に声をかけてきた。レィティアさんはエルフの普段着る服だったので、なぜかホッとする。
「凄いですねぇ(稲荷さんのヤル気が)」
「うふふ、あの人ったら、わざわざ転移用の部屋まで作ってくれて」
「は?」
「おかげで、今日から毎日温泉に入れるなんて」
ルンルンと嬉しそうなレィティアさんだけど、私は彼女の言った『転移用の部屋』のほうが気になった。
「稲荷さんっ!」
急いで『女湯』の暖簾をくぐり、ヘンリックさんたちと一緒に、男湯のほうを見に行っていた稲荷さんを呼ぶ。
「はいはい、なんですか」
「なんですか、じゃないですよ。『転移用の部屋』ってなんです!」
「あはは。もうレィティアがバラしちゃったんですか」
「いやいや、バラしちゃったじゃないです! そんな便利な物あるなら、私も欲しいです!」
思わず叫んでしまった私は悪くないと思う。
温泉場のイメージは、こんな感じです。
https://pin.it/6GwViYdiY





