第642話 稲荷さん無双(1)
エイデンからの許可が出ると、稲荷さんはニカッと笑ったかと思ったら、ヒュンッと姿を消してしまった。すっかり、人外であるのを隠しもしない。
チラリと後ろにいたヘンリックさんたちを見ると、全員固まってる。
「はぁ……」
思わずため息が出る。
どこで何をやるつもりなのか、気にはなったものの、それは稲荷さんなので予想はつかない。
「サ、サツキ様。あの方は、魔法使いですか?」
ヘンリックさんの戸惑う声に、ハッとする。
「あ、あー」
「確か、大地殿の父上であると聞いておりましたが……そういえば、ギャジー翁の家の部屋を改造されたのもあの方だったか……!」
思い返していくうちに興奮していくヘンリックさん。
「こりゃぁ、面白いもんが見られるかもしれませんな!」
ヘンリックさんの言葉に、うんうんと頷いているエトムントさんの目も期待でキラキラしている。
興奮している彼らを宥めながら、まずは持ってきたベンチを設置することにした。
背もたれのないベンチを2台、それぞれ男女の脱衣所に置き、女性用の脱衣所のほうには『置き畳』を敷いて、い草の座布団を置いてみた。さすがに10枚の座布団は多いので、半分だけ。残りは後で男性用のほうに持っていこう。
「草のいい匂いがするねぇ」
「でしょ」
「これ、横になったら気持ちいいんだけど!」
ネシアさんとオババ、3人でキャイキャイと騒いでいると、脱衣所のドアがいきなり開いた。
「サツキ様、いらっしゃいます?」
誰かと思ったら、なんと稲荷さんの奥さんのレイティアさん。
「え! 何で!?」
「ウフフフ、主人が温泉が出来たからと、呼んでくださったんですの」
「出来たって……もう!?」
「はい、だから皆さんをお声掛けしに参りましたの」
――稲荷さん、どんだけ温泉入りたかったの!?
声には出さなかったけど、そう思ったのは私だけではないはずだ。
私たちは慌ててレイティアさんの後を追いかける。建物を出ると、エイデンやヘンリックさんたちも出てきて合流すると、建物の左側に入っていく彼女の後を追いかけようとして足が止まる。
「へ?」
「なんじゃこりゃぁ」
ここは周辺が荒地だったはずなのに、なぜか木々が生い茂っているのだ。そして、建物の脇に綺麗な石畳が敷かれている。すでに、ここから和風な雰囲気が始まっている。
先を軽やかに走っていくレイティアさん。私たちもゆっくりではあるが、周囲を見回しながらついていく。
『やぁ、やぁ、サツキ。どうだい、このもりは』
『へ、なにをえらそうにいってるんだ。つちのちからじゃないだろ』
『そういう、ひのだって』
『あんたたちじゃなくて、いなりさまのおちからでしょ』
私の周りを精霊たちがわちゃわちゃ飛び回っている。小さい姿が可愛いけれど、ちょっとうるさい。
「稲荷殿はただの魔法使いではないとは思っておりましたが……ここまでとは」
後ろから、ヘンリックさんの呆れた声が聞こえてくる。
――だって、神様の一人だしぃ。
苦笑いを浮かべながら石畳を歩いていく。エイデンがかなり不機嫌そうなのが伝わってくるけれど、ここはあえてスルーだ。
ヘンリックさんたちが作ってくれた温泉の敷地が終わった所。そのちょうど隣に、見事な和風で高級そうな温泉宿が建っていた。
「マジか……」
立派な門構えと、黒光りする重厚な木工建築。周囲は緑に覆われて、ここまでくると、完全に別世界。本当にどこかの日本の温泉地を切り取って、ここに持ってきたんじゃないかっていう感じ。
――稲荷さん、何してるんですか。
門の前で、全員が固まってしまったのは言うまでもない。





