<ヘンリック>
今、ヘンリックの目の前には、小さなガラスのグラスが置かれている。その中には、黄色味がかった液体が入っている。グラスを鼻先に持ってきてクンと匂いを嗅ぐ。
「……うむ。ちょいと甘いか」
「これほど甘い匂いのするワインは、初めてです」
ハンネスの妹、タイーシャが心配そうな目でヘンリックを見つめている。
場所は、ドワーフたちの穴倉の家の並びに作った、ワイン用の倉庫。大きく掘った割に、そこにあるのは小さな樽が2個だけだ。
ヘンリックは、五月が植えた『しゃいんますかっと』という名前の葡萄を見たとき、粒の大きさに驚き、一粒口にしてその爽やかな甘さに、固まった。
こいつは生食の方がいい葡萄なんじゃないか、と一瞬頭をよぎったが、ワイン造りを任せるつもりだったタイーシャの目の輝きに、大丈夫、イケる、と考えをすぐに切り替えた。
収穫した葡萄の量は、あまり多くはなかった。実際、食べるよりも、ほぼワインのために加工用にしてしまった。それについては悔いはない。
タイーシャたちに任せて2週間。出来上がったワインが目の前にある。
少しだけワインを口に含んだヘンリックの目が、大きく見開いた。
――なんだ、この甘さは!
サラリとした飲み口なのに、とんでもなく甘い。
タイーシャも口に含んでみて、あまりの甘さに、ヘンリック同様、目を見開く。生で食べた時も甘いと感じたが、それ以上だった。
「しかし、まだ若いな。もう少し発酵させた方がいい」
「ですね」
「飲めなくはない。むしろ、旨いんだが……」
――ドワーフには、全然物足りない。
ドワーフにしてみたら、葡萄ジュースのようなものだ。これでは、いくら飲んでも、飲んだ気にならないだろう。
タイーシャは少しだけ残ったのを、息子のドレイクに渡し、味を確認させる。
彼女にはドレイクの他にもう一人息子がいる。名前はエルモといい、ガラス職人のヨハンのところに弟子入りしている。
ヘンリックは、空になった小さなグラスを残念そうに見ながら、そういえば、と思い出す。
「ヨハンにワイン用の瓶を頼んでおいたが、タイーシャの所に届いているか」
「いいえ、まだ……そういえば、先程、オババさんからの依頼がどうとかおっしゃって、アビーさん(エルフ・モリーナの世話係)のところに行かれましたけど」
「そうか。ポーション用の瓶でも頼まれたかな」
「かもしれませんね」
三人はワインの余韻を味わいながら、倉庫から出ていった。
* * * * *
『ふむふむふむ。においはいいね』
『あじは、あまくち』
『もうすこし、しゅせい(酒精)つよめがいいんじゃない?』
『はっこう、すすめちゃう?』
『やっちゃう? やっちゃう?』
樽の中では、土と水の精霊が、勝手に味見をしながら、飛び回っている。
『さつきは、あまいのがすきだから、このみかもね』
『いつものんでるのは、くだもののえのかいてある「かんちゅーはい」だしね』
『「うめしゅ」もすきだぞ?』
『さつきのつくったのは、うまいしな!』
前を歩くヘンリックの肩に乗ってる精霊たちも、あーだこーだと言いあっている。
その声が聞こえるドレイクは、内心ホッとした。
少なくとも、精霊たちの怒りを買わない程度には、いいワインが出来ているだろうと。
――ところで『かんちゅーはい』って、なんだろう。
それが気になるドレイクであった。





