<ゴンフリー大司教>
コントリア王国の王都の空は、どんよりと曇っていた。
教会の執務室の窓のそばに立つゴンフリー大司教の顔は、不満げな表情を浮かべている。
――なぜ、エクスデーロ公爵家の娘は、まだ死なないのか。
孫娘のエミリアに渡した呪具であるブレスレット。
元は、実母が長兄を呪い殺した時にしていた物だった。
ゴンフリー大司教は、ゴンフリー侯爵家の正妻の子供として生まれた。しかし、正妻よりも先に、側室の方が、長男、次男を授かり、彼は三番目の子供として生まれた。
正妻は王家の血筋を引く別の侯爵家から嫁いできたこともあり、プライドだけは高かった。その気質は、大司教にも引き継がれ、王家に対する執着も並大抵のものではなかった。
正妻の子供であったにもかかわらず、教会へと追いやられたのは、亡母が長兄を呪い殺したことがわかったせい。
しかし、彼が着実に教会で地位を確立し、大司教まで上りつめた途端、掌を返したようにすり寄ってきたのは、侯爵家の方だった。
――侯爵家は抑えたも同然。次は、王家を抑え、コントリア王国を我が手に。
そのための一手として、孫娘を王家に嫁がせたかったのだが。
「母上の命がけの憎しみでも、一番上の兄上しか、殺せなかったのだ。所詮、子供の嫉妬が加わった程度では足らないということか」
アレには、歴代の愛人たちの妬み、嫉み、憎しみ、殺意と、あらゆる負の感情を吸わせてきた。その上で、孫であるエミリアに渡したのだ。
「まぁ、アレでダメでも、念のために載せておいた『呪われし御霊』の壺もある」
教会の奥深く、封印されていた地下牢で見つけた壺。そこには古の龍の怨念が閉じ込められていると、歴代の大司教が書き残した文献に書かれていた。
「王太子諸共、消し飛んでしまえば、次の王位継承権は第二王子。婚約者が決まっていない第二王子の方が、まだ勝機はあるか」
ニヤリと歪んだ口元。その顔は聖職者からは程遠いモノだった。
「うっ!」
大司教は左腕の突然の痛みに、腕を押さえる。
そこは、前に若い神官が神罰が下った際に飛び火した火傷の跡がある場所だった。あれから、ずっと消えることなく残っている。
袖を引き上げ、左腕を見ると、火傷の跡が左腕全体に広がっていた。
「ヒッ、な、なぜいきなりこんなっ」
ゴンフリー大司教は、以前、ピエランジェロ司祭が言った言葉を思い出す。
『申しましたでしょう。神罰が下ると』
大司教は、今まで神に会ったことも、声を聞いたこともなかった。
今でもあの場の落雷も、魔道具か何かで起こしたモノだと思っている。
「ま、まさかな」
――神罰。
頭を振って、頭によぎったことを振り払う。
『愚かな』
「だ、誰だっ」
甲高い子供の声が、部屋の中に響いた。
『お前は救いようがないな……このような者が教会のトップだなどと』
「くっ、だ、誰かおるかっ!」
部屋のドアを開けようとしたが、まったく開かない。
「だ、誰かっ」
『呪詛は、返しておくぞ』
その言葉と同時に窓が開かれ、黒い靄が一気に大司教を包み込む。
「ぎゃぁぁぁぁぁぁっ!」
広い部屋の中いっぱいに、黒い靄が溢れる。その中には、いくつもの目の落ちくぼんだ女たちの怨念が渦巻いている。
『……どんだけ、女に恨まれるようなことをしたんだ。大司教のくせに』
呆れたような子供の声。
『くさーい』
『くさすぎー』
『おえー』
『これ、じょうかできないんじゃなーい?』
『きょうかいなのにー?』
黒い靄とともにやってきた精霊たちは、窓の外から様子を覗く。
「あ、あぁぁぁぁ……ああああっ」
靄の中から聞こえてくるのは大司教の呻き声のみ。
『ぜんぜん、きえないねぇ』
『あー、冤罪で地下牢に捕らえられて、そのまま餓死した大司教の怨念が強いからなぁ』
『あー、これはしばらくむりだねー』
『このへや、ふういんしないとだめなんじゃない?』
『でも、いまのひとに、そんなちからはないんじゃない?』
『じごうじとくだよねー』
『ねー』
そう言ってあっさり、その場から去っていく精霊たち。
『……お前たち、後片付けしていきなさいよ……もう』
イグノスの呆れた声だけが、その場に響く。
その声が聞こえた者は、誰もいない。





