杯 -Two Shot-
星降る真冬の深夜、白い息を吐きながら、ひとりヒールを鳴らして家路を歩く。
「どーいうつもりよ」
自宅に帰り着くなり、とうとう口をついて出た憤慨。ぶっすりむくれたまま、雪菜はブーツを脱いでリビングに向かった。着替えもそこそこに、ローテーブルの前にどっかり座り込むと、提げていた紙袋の中から、中身を取り出して天板に置く。
配送票の貼られた小包。店に届けられたというそれは、今日この日のためにと送られた品のうちのひとつだった。
そう、今日は誕生日。
あたしの、雪菜のバースデー。
職場では、集まってくれた多くの客や同僚に囲まれ、盛大で楽しいパーティーが催された。美味しいお酒に豪華なスイーツやフルーツで売上も気分も上々、プレゼントだって抱えきれないほどたくさん貰いはしたけれど。
でも、とひととき思い起こす。
『来週? 週明けすぐからしばらくの間、仕事で遠出する予定だけど』
いつも指名をくれる常連客のひとり、田崎眞は先週そんなふうに言っていた。自分に関することならきっと勢い込んで反応するだろうと思っていたのに、返ってきたのは至極ドライなそれで。普段のやり取りとの温度差に驚き、反動なのか珍しく気落ちまでしてしまって。だから。
「期待なんかしないって決めたのに」
再びの憤慨が口をつくと同時に配送票を睨みつける。
依頼主欄に書かれた明らかな業者名と、小さく添えられた個人名。きっとあのあと思い直して、通販かなにかで手配したのか。『割れ物注意』の真っ赤なシールが貼られていることからして、中身は鬱憤晴らしに有効活用できそうな代物なのだろう。
「いくらなんでも、それは可愛そうだよね」
しょんもり肩を落とした姿を想像すると胸が痛む。ことここに至って情けをかけるなんて、あたしったらなんて心やさしい女神なんだろうと自身を称え、虚しい息をひとつついてから包みを静かに開きはじめた。二重に巻かれた梱包材を剥いて包装紙を取り、化粧箱を開けると。
「なに、これ」
中から現れたのは木箱だった。鼻先に漂ってきた独特の香りは、それだけで内容物の品格を思わせる。さらにその蓋をゆっくり持ち上げると。
「ショットグラス?」
ひとりごち、いぶかしながらも手に取ってみる。小ぶりで真っ白な擦りガラスの表面、柔らかに明かりを反射するさまは、まるで積もったばかりの雪原のようにきらめいて見えた。
「キレイ」
ここに飲み物を注いだなら、どんなふうに見えるのだろう。
琥珀色のウイスキーはもちろん、淡い色合いの日本酒やロゼワイン、鮮やかなカクテル、かわいいゼリーや色とりどりの金平糖でも映えるだろうとひととき想像して悦に入る。
「……っていうかさぁ」
そんな高揚感も束の間。視界の端からどうしても捨て置けず、仕方なくそちらに目を移すと、眉間にくっきりシワを寄せた。
箱の中に並んだふたつのくぼみ。
収まったままの、同じ型のグラスがもうひとつ。
何らかの意図を持たせたものか、それとも単なる商品の仕様なのか。片割れを手にしたまま、判別のつかない事態に思考がぐるぐると巡るが、やがて解き放って後ろに倒れ込んだ。
「はっぴはーすでぃ、でぃあ、ゆきなちゃーん」
クッションに半身を受け止められながら、グラスを高く掲げて小声で歌う。
「はっぴはーすでぃ、とぅーゆー」
最後のフレーズを終えるやがばりと起き上がり、そうして箱の中に残っていたグラスを取り出すと、薄く作られたその口を重ね鳴らす。
『おめでとう、雪菜ちゃん』
ちぃん、と余韻を残す高音の中にその声を聞いた気がして。
「バカ」
恨み言と共に、ほんのりとした寂しさが解け落ちた。