蘖(ひこばえ) -Christmas Eve-
「じゃあね雪菜ちゃーん!」
「楽しかったよ」
「次は絶対自分で指名入れるからね!」
「はいはーい。今日は来てくれてありがとう。またねー」
店のエントランスホール。満面の営業用スマイルと共にひらひらと手を振って、雪菜はグループ客を見送った。
今日は12月24日、クリスマス・イブ。店は、キャストそれぞれの頑張りやスタッフの宣伝が功を奏したか、予想以上に客の入りが良く、大いに盛り上がっていた。
かくいう雪菜も、予約を着々と消化し、合間に場内指名を挟みながら立ち回って今に至る。忙しさがそのまま売上に直結するこの2日間、初日としては上々で、今夜はどこまで伸ばせるかと、ホールに置かれたアンティークの時計に目をやって考え込んだ。
よくてあとワンセット。ラストスパートに、常連の誰かに連絡してみようか。けれど、家庭を持っていたり相手がいたりすれば、今から店に来るのはきっと難しいだろう。ぽっかり空いてしまった時間をどうしたものかとしばし考えを巡らせて。
「あ」
ふと思いつくが、
「それはないから」
即座に却下して、脳裏に浮かんだ面影をかき消す。『先約がある』と言うからには当然、今頃は誰かと一緒なのだろうから。
「やめやめ」
もやもやが湧きそうな気配を感じて無理矢理に切り替える。これほど店内が盛り上がっているのだ、どんな立ち回りでもそれなりに収穫はあろうと見込み、フロアに戻ろうとしたその時、背後で扉が開かれる音がした。
「いらっしゃいませ」
渡りに船とはこのことだ。すぐさま振り向き愛想よく出迎えるが、直後に言葉を失った。冷えた外気と共に入ってきたその姿に、ただただ驚いて立ち尽くす。
「雪菜ちゃん!」
上気した面に明らかな安堵と笑顔が浮く。相当急いできたのだろうか、はぁはぁと白く上がる息を巻いた田崎眞は、扉を閉めるとすぐさまこちらへ駆け寄ってきた。
「よかった。まだいてくれて」
「は……えっ? なんで」
「なんでって、雪菜ちゃんが誘ってくれたんじゃないか」
「確かにそうだけど、だって、予定があるって」
九分九厘諦めていた反動はことのほか大きく、驚きすぎて思考も口も上手く回らない。ただただ呆然としていると、彼が頬を掻きながら続けた。
「先約っていうのはさ、その……いわゆるボッチ飲み会だったんだよ」
「え」
「今夜の予定が空いてる知り合い皆で集まって、憂さ晴らしをしようって話になってさ。勝手に幹事にされたもんだから抜けられなくて」
「でも、それならなんでスーツ?」
「いかにも職場の忘年会です、って体でも繕わないと、なんていうか……男女問わず、色々体面ってもんがあるだろ?」
案外気を遣ってるんだよと苦笑する。
「予約した二次会会場に送り出して、十分幹事の務めは果たしたろって断って出て来たんだ」
そこまで聞いてやっと事情が飲み込めると、雪菜はことさらに長い息をついた。
「そーいうことね。アタシはてっきり」
ボソリと呟くと、彼が訝しげな視線を向けてきた。
「えっ、なに?」
「別に」
ふいっと顔を背けて追求を避けると、肩の力が抜けて少しだけ頬が緩んだ。途端滑らかに回り始めた思考。そうして再び時計に目をやって。
「それより、あんまり時間ないけど、どーするの?」
さんざん気を揉ませた仕返しとばかりに挑発する。いつもと変わらない軽い受け流しを予想していたのに、当の彼がふと真顔になったものだから思わずたじろぐ。
「雪菜ちゃん」
「な、なによ」
「指名してもいいかな。最後まで」
揺らがぬその視線から、そしてはっきりと届いた声からも、予期せぬ熱が伝わってきてどきりとする。けれどそれも一瞬のこと、すぐに相好を取り戻した。
「いいけど、ちゃんと頼んでよ?」
わざと意地悪く放って続ける。
「今日明日はキャストのオリシャンボトルがオススメなんだ。直筆メッセージカードとフルーツの小、さらに次回来店の時に使えるオトクなクーポンまで付いてるの」
「へー。いかにもクリスマスプレゼントって感じ」
「でしょ? 他にも2日間限定の特別メニューがあるからあとで見て。それから」
「それから?」
食い付きに内心にんまりし、おもむろに近寄ると低く耳打ちした。
「今なら先着一名様のみ、アフターも即時予約できるんだけど」
「是非お願いします!」
間髪入れずの申告に、おそらくは今日イチだろう微笑みを彼に向ける。
「それでは、オーダー承りましたので、中へどうぞお客様♡」
タイムアップ間近に飛び込んだ売り上げの上乗せ。心の中でぐっと拳を握りつつ、雪菜は早速フロアへと向かった。
浮き立つ心と足取りは、ボーナスを期待しているせいだからと言い聞かせて。