同 -creme caramel-
「……菜ちゃん。あの、雪菜ちゃん?」
「えっ、ふぁい!」
おかしな返事がうっかり滑り出てしまい、慌てて口元を押さえる。一瞬ここが店であり、接客中であったことを忘れていた。直後咳払いして執り成すが、すぐそばから訝しげな視線を向けられる。
「あのさ」
「なんでもないから」
追求されるより前に短く返す。そうして客たる彼が手にしていた空のグラスが目に入り、すぐさま取り上げると、ごまかしがてら新しい酒を作り始めた。
「けど」
それでも懲りずに追いすがってきた彼――今や店の常連株、そして自分の指名率上位五指に入るまでになった彼、田崎眞が、少々遠慮がちに続ける。
「雪菜ちゃんさぁ、なんかいつもと違わない?」
「別に。さっきも言ったけどなんでもないしなんともないからご心配なく」
にべもなく早口でまくし立て、話は終わりだと言わんばかりのオーラを醸し出す。なるべくなら深入りを避けたい、正直に言えばそんな話になりそうだったから。
「そうは見えないけどな」
それなのに、珍しくしつこく絡まれて内心イラッとする。つられて、グラスの中で回すマドラーの音が少し大きくなった。
「話しかけても、さっきみたいに上の空だし、それに」
「それに、なによ」
聞き返すとそこで彼が言いよどむ。
「なんなの。はっきり言いなさいよ、怒らないから」
強い口調で放っておきながらでは説得力もないが、どうやらそれで決心がついたらしい。ソファから身を起こした彼が膝の上で手を組む。
「水割りが」
ちらと出来上がった次の一杯に目をやって。
「いつもより、心持ち薄い気がするんだよね」
その発言にハッとする。すぐさまグラスを確かめ、確かに微妙に異なる水色と量に愕然とした。どうやら加減を間違えていたらしい。客の好みを間違えるなど、プロとしてあるまじきことだ。
「なにかあったの? 俺でよかったら聞くけど」
「別に。田崎に心配されるようなことなんか何もないわよ」
そっけなく返しながら、これ以上触れないで、放っておいて欲しいと願う。
だって、ぼんやりの原因は――目の前の彼なのだから。
そうしてひととき思い起こす。夢に見たその姿、腕の力、そして。
『もう、無理だ』
耳元で囁きかけられた気がして、途端身体が熱を帯びる。ライトの下で華やかに映る化粧の下、顔がどんどん熱くなっていくのがわかった。
目覚めてからというものずっとこんな調子だったから、だからなおさら本人には追求されたくなかった、今日は店に来ないでほしいとまで願っていたのに。
「雪菜ちゃん?」
自分を呼ぶその声に引き戻される。グラスを持ったままだったことに気づいて慌てていると、彼がかすかに眉を寄せてからおもむろに立ち上がった。
「ど、どうしたの」
あらぬ接客態度に、さすがの彼も呆れたのだろうかと背筋が凍る。けれど返ってきたのは予想外の反応だった。
「出よう」
「え」
「アフター、よろしく」
有無を言わせぬ口調で放ち、それから近くのスタッフを捕まえて手続きする。手慣れた様に呆然としていると、にこりと笑みが向けられた。
「気分転換に、ちょっと買い物に付き合って」
外で待ってるからと言い残し、早速通路を渡っていく彼。
徐々に遠ざかっていくその背中に、雪菜は逆らいようのない引力のようなものを感じて、小さく慄く手をギュッと握り込めた。
*******
「買い物って……こんな時間にどこに行こうってのよ」
23時を回った大通り沿い。店を出て駅の方向に歩道を歩きながら彼に何度となく問うが、返ってくるのは「まあまあ」「どこだろうね」と曖昧な返事だけだった。
そういえば、前にもこんなことがあったなと思い出す。中秋のとある夜。確かあの時も突然連れ出されて、それから『満月』を見たのだった。買い物とは称していたが、もしやまたあの店にでも行こうとしているのか。あそこには共同名義のボトルもあるし、もしかしたら、あの時気づけなかった真意の欠片を今度は捕まえられるかもしれない。そんなほのかな期待がにわかに湧き出したため、慌てて頭を振ってそれを押し込めた。
「あ」
ふと彼が立ち止まった。考え事のせいか、いつの間にか後ろについていたため、その背に危うくぶつかりそうになる。
「ちょっと! 危ないじゃない」
「ごめんごめん。それよりさ」
ここ、と目を向けたのは、通りに面したなんの変哲もない一軒のコンビニ。こちらの返事などお構いなしに中に入って行く彼を追って、自分も足を踏み入れた。
真夜中にも関わらず、商品が煌々と照らされた店内に目が少しくらむ。カゴを取った彼はまず雑誌コーナーに近づき、迷わず一冊の雑誌を手にとってめくり始めた。仕方なく隣に立ってペースを合わせていると、ふと誌面に目がいった。
「これ、なんか田崎のと似てない?」
男性誌の企画ページ、そのコーディネート例のひとつが、今日の出で立ちにそっくりだ。覗うと、待ってましたとばかりに彼が笑った。
「一応着るものにはそれなりに気を遣ってるんだよ。いつ女性と連れ立つかわからないからね」
「なにそれ。エリート研究員のモテ自慢のつもり?」
「まさか。俺のたゆまぬ努力は、全部雪菜ちゃんとのデートを勝ち取るためだからね」
「デートじゃない。ど・う・は・ん」
「はいはい。ともあれ準備はできてるから、いつでもオッケーしてくれて構わないんだけど」
「さぁて、飲み物でも買おうかなー」
ちらちら送られてくる視線をスルーして、奥の冷蔵ケースに向かっていく。ついてきた足音にほくそ笑みつつ、並んだ商品を何気なく眺めた。
「あ、これ買っていい?」
いうなり手を伸ばし、取り出したミネラルウォーターのペットボトル。
そこで気づいた。
「まさかとは思うけど、買い物ってこれのこと?」
確認に、彼は目元だけで笑い、次の棚へと移っていく。
「雪菜ちゃんはどれが好き?」
明日の朝食でも買おうと言うのか、意見を求められてサンドイッチのラインナップを見つめる。
「好き嫌いはないけど、あたしの定番はこれかなー」
指差すと即座にカゴに入れられる。
「ちょっと、それでいいの?」
「いいのいいの。ちなみに、デザートはどれがオススメ?」
「えっと……コレが推しかな」
勢い込んで指す。
「プリン派なんだ」
「そ。これはコンビニ限定のだし、寄った時には必ず買うんだ。ちなみにあたしは、とろとろやわらかふんわり系じゃない方が好き」
「マジで! それ、俺も同じ」
言いながらこちらもすかさずカゴに入れた。他にも何度か同じようなやり取りをしながら、最後にエコバッグも追加して会計をし店を出る。ここで食べ物を仕入れてどうしようというのか。意図を掴めぬままに店の外に出ると、袋の中から缶コーヒーを一本取り出した彼が、残った中身ごとエコバッグをこちらに差し出してきた。
「なにこれ」
「風邪じゃない?」
「え」
「なんかずっとふわふわしてたし、手のひらとか赤いみたいだから、もしかして熱があるんじゃないかと思ってさ。今日はここでお開きってことで、このまま帰って休みなよ」
言って渡してくる。突然向けられた親切心に戸惑って、思わず反論の声を上げた。
「だって、アフターって言ってたのに」
「買い物に付き合ってもらったんだから、十分立派なアフターでしょ」
ね、と有無を言わせぬ口調で言いおいて。
「じゃあね。お大事に」
俺こっちだからと身を翻すと、多くを語らぬまま彼は交差点を渡って去っていった。徐々に遠ざかり小さくなっていくその後ろ姿をしばし呆然と見つめ、それから受け渡された手の中の重さにはっとする。
「あたしの好きなものばっかりだ」
いつの間にか会話を誘導され、嗜好を聞き出されていた。彼の本当の買い物は、抜き取られた一本のコーヒー缶のみ。
「なによそれ」
ひとりごちた途端、なんとも形容し難い感情に胸が満たされる。もやもやしたような、かきむしりたいような、けれどもそっと包んで取って置きたいような。
「風邪よ」
そうだ。
「きっと風邪なんだから、あたしは」
せっかくの早上がりをお膳立てしてもらったんだから、さっさと帰って寝て治そう。
半ば強引に引っぱり出した結論と行動計画を自身に押し付けると、雪菜は袋を確かに手にして駅へと歩き出した。
プリンの好みが同じ、その事実だけはしっかりと記憶に刻みつつ。