Episode.2
花陽が目を覚ますと、視界に純白の天井が広がった。ゆっくりと体を起こすと、自分が制服ではなく真っ白な半袖のワンピースを着ていることと前方にベージュ色の髪の女性が座っていることが分かった。なんだか視界が普段よりも狭く顔をぺたぺた触ると、左目が包帯で覆われていることも分かった。あぁ、これは夢なのか、なんなのか…とぼんやりしていると、振り向いた女性が立ち上がり、花陽の隣に座った。
「おや、お目覚めかい。気分は?何か変な症状はあるかい?」
「…す、少し…ぼんやり、するくらいです…これは、夢…なんですか…?」
「紛うことなき現実さ。にしても、ただの人間が禁忌魔術《蛇の刻印》を獲得したのに…よく生き残れたものだよ。」
左肩に流した三つ編みを揺らしながら、黒い眼鏡の奥の黄色い瞳は笑みを浮かべた。禁忌魔術、《蛇の刻印》…?花陽は訳が分からず頭の中がクエスチョンマークで埋まってきた頃、部屋の扉が勢いよく開いた。
「魔力調整の薬、3種類持ってきたぞ〜!…っと、適合者がお目覚めしてたか。」
「保健室では静かにしてくれないかい…まぁそれは兎も角、薬の件はご苦労様。」
「あ…あの時…助けてくれた…」
覚えてくれて光栄だ、と白衣の男性は笑みを浮かべる。ベッドのサイドテーブルに小さな袋を3つ置くと、男性は扉の近くに置いてあった焦茶のカウンターチェアに座った。何から話そうかねえ、と女性に聞くと、女性は小さく唸った。
「んんー…まぁ、まずはこの世界の事からじゃないかい?彼女の身に起きた事件を話す前に、予備知識を教えないと。」
「それもそうか。そんじゃ、ちょっと話が長くなるかもしれないが…まず、ここは魔導師結界と言われる、君がいた人間界とは隔離された世界となっている。」
「隔離…えっと…人間界?とは別の世界…ってこと、ですか…?」
花陽がそう問うと、男性は頷いた。その後、男性は淡々と話し始めた。
「魔導師結界…その名の通り、魔法を扱える人が住む所だ。ここでは善良な魔法使いのことを魔導師、悪行を生業とする魔法使いを魔術師と呼んでいる。そんな将来有望な魔導師を育てている学び場がここ、【魔法教会附属魔導師育成学校】…略して【魔導師学校】さ。」
「魔導師、学校…」
オウム返しのように花陽が呟いていると、誰かと電話をしていたと見える三つ編みの女性が男性に声をかけた。
「校長、今なら応接可能とのことだ。校長から話を聞いてみても良いんじゃないかい?」
「あぁ、それもそうだな。んじゃ、お嬢さん。立てるかい?」
「あ、はい…なんとか…」
男性に微笑みかけられながら左手を差し出され、花陽は厚意に甘えて右手を置いて起こしてもらった。「いってらっしゃい」と女性が笑顔で手を振ると、それに答えるように花陽は頭を下げ、保健室を後にした。
保健室から校長がいる部屋までは少し距離があり、その間歩きながら花陽は辺りを見回した。白を基調とした廊下の大きな窓は所々ステンドグラスになっており、それぞれ四季を表したかのような美しい色彩を放っている。汚れ1つない綺麗すぎるほどの廊下を歩き、遂に部屋の前に辿り着いたと思ったその時。突如サイレン音が鳴り響き、無機質な女性の音声が廊下に響いた。
『侵入者発見。侵入者発見。聖堂前通路にて外部者発見。教員及び生徒は直ちに聖堂前通路に集まってください。繰り返します———』
「な、何…!?」
「む…警報システムのバグだろうな…ってことは…」
花陽が怯えているのを横目に男性がボソボソと呟いていると、後ろから何かの足音が聞こえてきた。同時に、音が大きくなるに連れて謎の寒気を感じた。
「な、何か寒気が…も、もしかして…また、あの時のお姉さんみたいな…!?」
「いや、それはありえない。とりあえず、君は俺の後ろに隠れて。いいかい、絶対前には出るんじゃないよ。」
花陽は首を傾げなから言われた通りに隠れると、男性は自身の純白の白衣から1本のオレンジ色の液体が入っている試験管を取り出した。先程よりも寒気が強くなった瞬間、男性の前に人影が浮いている姿が見えた。男性が床に落とした試験管がガラス窓のようなオレンジ色の壁を出現させた瞬間、キィンッと金属音が響いた。花陽はおずおずと前を見ると、そこには黒い大鎌を壁に刺し貫こうとしているツインテールの少女がいた。青いジト目の少女は、機嫌が悪そうな声を出した。
「…宮歐先生。侵入者を庇うのはどうかと思うんですけど。侵入者は徹底的、迅速に追い出さないといけないので、早くこの結界閉じてくださいません?」
「そんな怖いこと言うなよ湖白。この子は侵入者じゃないから、君も武器を下ろしなさい。」
「どこにそんな証拠が…」
「先生の言っていることは本当だそうだ。鏑木ちゃん、武器を下ろしても大丈夫。」
そう落ち着いた声を出しながら、少女の後ろから銀髪の青年が歩いてきた。水色のメッシュが特徴的な青年は花陽に笑みを向けながら手を振っており、花陽も後ろから顔を出しながら振り返した。ツインテールの少女は結界と呼ばれた壁から鎌を抜くと、青年の方を向いた。
「…先輩。どなたかから連絡でも来たんですか?」
「あぁ。御子神さんからついさっき連絡が来てな。局所的に警備システムのバグが起きてしまったらしく、さっきのもバグらしい。」
「そういうこと、でしたか。すみません、宮歐先生、お客様のあなたも。私が突っ走ってしまったがばかりに…」
紫色の光と共に大鎌を消しながら、少女は申し訳なさそうな顔をした。宮歐、と呼ばれる男性と花陽は「大丈夫だよ」と許すと、少女と青年は聖堂と逆の方向へ去っていった。
「…ビックリ、しました…」
「湖白は1番侵入者の撃退に関して手厳しいからねぇ。1人突っ走ってしまうのも無理はない。」
「それと…あなた、宮歐先生、って…言うんですね…初めて、知りました…」
「あぁ、そういえば自己紹介してなかったっけ…挨拶が遅れてごめん。俺は宮歐律樹、魔導師学校の1年生担当教師だ。以後お見知り置きを。」
「よろしく、お願いします…私は、桜羽花陽、っていいます…!」
「花陽ね、オッケー。よろしくな。」
軽く自己紹介を終えると、2人は聖堂へと足を進めて行った。
聖堂の大きなこげ茶の両開き扉を開けると、開けた先では深緑色のサイドテールと黒いスーツ姿の女性が立っていた。ショッキングピンクの目を細めると、女性は明るい声を出した。
「お待ちしてました、宮歐先生、お客様。先程はこちらの不手際でご迷惑をおかけしてしまい、申し訳ありませんでした…」
「いやいや、構わないよ。御子神さんもお疲れ様。」
「ありがとうございます。校長とのお話が終わるまでには復旧する予定ですので、以降は大丈夫だと思います!」
「助かるよ。もう校長はいるのかい?」
御子神さん、と呼ばれた女性は頷き、聖堂の奥へと案内した。
聖堂の奥は、扉側から火・水・地・空・風…俗に言う五大元素をテーマにした巨大なステンドグラスが貼られており、そのあまりの美しさに花陽は目を輝かせた。山が描かれたステンドグラスの前には美しい金色の長髪の男性が立っており、気が付いたのか花陽達の方を振り向いた。
「ようこそ、魔導師学校へ。私が魔導師学校校長、青天目です。」
「ど、どうも…」
微笑みながら手を差し出す青天目校長に、花陽は緊張しながらも軽く頭を下げながら握手を交わした。御子神は校長に警備システムのメンテナンスに行く、と伝えると聖堂の奥の部屋に入って行った。御子神を目で追っていた花陽は、ふと疑問をこぼした。
「…御子神さん、がここの警備システムを…管理してるんですか…?」
「そう。菖蒲さんは警備システムの管理と私の護衛を兼ねているんだ。また機会があったらお話ししてみるといいよ。あの子、喋ること好きだから。」
「は、はい…!」
「さて、本題に入ろう。結論から言うと、残念なことに君はもう、元の人間界では生きれない。」
銀色の目が真剣な目つきになった途端に青天目校長が発したのは、花陽にとって信じられない言葉だった。どうして、と目で訴えると、青天目校長は優しい声色で理由を話し始めた。
「君は、不幸なことにこの世界…魔導師結界では、《禁忌魔術》と呼ばれる誰もが恐れる恐怖の力を手にしてしまった。君の目に宿る、その力…《蛇の刻印》は、ヒト・モノ問わず全てを壊し、無に帰す魔法。例えれば、上から巨大なハンマーを振り下ろしたかのように、と言えば分かりやすいかな。」
「…あ…あの時、も…」
花陽は、ふとあの惨状を思い出した。四肢が潰されたかのように壊れ、写真立ても割られたかのように壊れた。自分が甘美な誘いに頷いてしまったから引き起こされたあの惨状を思い出し、花陽は目に涙を溜めた。その様子を見て、青天目校長は花陽の頭を優しく撫でながら悲しげな目を向けた。
「辛いことを思い出させてしまったね。私の配慮不足だ…」
「い…いえ、大丈夫、です。続けて…ください…」
「…そうかい、分かった。そんな力を持つ《蛇の刻印》を持つのは、君の住む人間界で生きるにはあまりにも過酷すぎる。ご両親を殺めてしまった前科、そして、また不慮の事故という形で誰かを殺めてしまうかもしれないという可能性は大きい。まだ制御が未完全な《蛇の刻印》を、外に出すというのは私達もあまり勧めたくない。」
「それと…これはここの現状の話なんだけど、近年結界内で魔獣と呼ばれる適性生物が大量発生している。その原因究明、及び魔獣の撃退を現在の魔導師は目標としているんだ。結界内で過ごすと考える場合は、このことを覚えてくれると嬉しいな。」
青天目校長の話す《蛇の刻印》は制御が未完全なこと、そして律樹の話す結界内では魔獣が大量発生中ということ…と頭の中で整理すると、花陽は「うーん…」と唸った。学校生活は友達がいないため楽しくないし、しかも家族は死んでしまった…ここで過ごす、というのは花陽としても名案。だが結界内に残るとするならば、何か明確な目的が欲しい…しばらく悩むと、花陽は「あ。」と何か思い付いたかのように声を出した。
「あ、あの…ここに残る、っていうのは…ここで過ごしながら考えても…いいでしょうか…?その、お試し期間、みたいな感じで…」
「ふーん、理由を聞いてもいいかい?」
律樹がそう問うと、花陽は頷いた。
「その…ここで過ごす、っていうのは…私も、いいな、と思うんです…でも、何か目標を作りたいんです…この魔法で強くなる、とか…魔獣を全部倒す、とか…大きすぎても、無謀でもいいんです…ここの魔法使いについて、知ってから…ここにいるための理由を作りたいんです…!」
そう、今は魔導師のことや魔獣のことしか教えられていない。あの時の女性のような魔法使いのことも知ってから、元の人間界ではなく魔導師結界内で過ごす理由を作りたい。花陽の考えを聞いて、律樹は満足そうな顔をした。
「ほーう、理由探し、ね…いいじゃないか。お試し期間…うん、悪くない。校長。俺からもしばらく花陽をここに置いてもいいでしょか?」
「構わないよ。理由が見つかったら、また話してくれると嬉しいな。」
「…はい…!」
青天目校長は笑みを浮かびながら、快く承諾した。花陽と律樹は同時に頭を下げ、聖堂を後にした。
聖堂を出て少し歩くと、1つの広い部屋に辿り着いた。律樹が扉を開くと、中から1人飛び出て来た。花陽の目の前で立ち止まると、白に近い銀髪をお団子ツインテールにまとめた可愛らしい少女が明るい笑みを浮かべた。
「りっきー先生おっかえり〜…と、君は?」
「わ、私…今日人間界からここに来た人、です…!」
「ここに留まるかを決めるために、しばらくここで過ごすことになったんだ。」
教室の中から、もう1人少女と同じ銀髪の少女がひょっこりと顔を出した。少女は手を振っていたため、花陽も小さく手を振り返した。最初の出会いは完璧だな、と律樹が笑みを浮かべると、入口に立った。
「じゃあ…改めて。ようこそ、魔導師学校へ!」