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長い、そしてメンヘラ
「お話を聞きたいんだけど」
二人を床に正座させ、聖は見下ろしながら言った。寝室のドアを開けた瞬間、飯田は驚いたのかベッドから転がり落ちておでこを負傷していたが、それよりもっと気になることがたくさんあった。
「まず、とりあえず、飯田君はなんで女の子の服を着ているの?」
飯田の今の姿は中途半端だった。首から上はいつもの姿だけれど、白いブラウスとピンクの膝丈シフォンスカートを身に着けていた。ベッドの下に鬘が落ちているので、おそらく最初は完璧コーディネートだったと思う。飯田は黙ったままだったが、その隣から元気よく回答があった。
「飯田君は、女の子の恰好で女の子と寝るのが好きな変態だからです!」
聖の一番の予想外は、彼女だった。にこにこと笑いながら、褒めてほしいと言わんばかりに聖を見上げている。
「それで、陽菜子ちゃんは女の子の恰好の飯田君と寝たんだよね?」
飯田の浮気相手は斎藤陽菜子だった。
飼い犬に噛まれるとはこういうことなのかと思った。しかも二匹。
「二人の接点が思い浮かばないんだけど、元々知り合いだったの?」
「……買い物してたら、声をかけてきて…それで」
どちらが話してくれるかと待っていたら、飯田が漸く口をきいた。飯田が言うには、書店で買い物をしているときに、陽菜子から声を掛けられて仲良くなったらしい。服の趣味も合うし、彼の性癖を打ち明けたら理解してくれたので、今日、こんな状態らしい。
聖は、お人好しにも少しだけ気の毒に思った。飯田の特殊な趣味のことを打ち明けられたことは無かったけれど、だからこそ、理解してくれる人がいたらそっちが良くなるよな、と二人が不幸な偶然で出会ってしまったと納得しようとした。陽菜子も飯田との出会いの話を頷いて聴いていたので、そのあとに話があるとは思わなかった。
「そう!だから、大変だったんですよ。お姉様ったら、今までの彼氏とタイプを変えてくるから、私今回は結構苦労したんです。」
「今回は、ってどういうこと?私の彼氏だって分かっていて接点を持ったの?」
飯田は口を開けたまま陽菜子を凝視している。聖は瞬きを何度もして、極めて冷静に訊ねた。
「お姉様のことですもの、わかっていましたよ。山下君も富岡君も、竹之内さんもポートランドさんも前畑さんも、もっと簡単でした。」
「わざわざ私の恋人を盗るのが趣味なの?」
「盗るなんてまさか、違いますよ。お姉様に相応しいかどうか、試験しているだけです。皆失格でしたけど。もう全然だめ。」
山下君と富岡君というのは、聖と同じ大学の恋人だった。後者三人は社会人になってから付き合った人だ。聖は外部の大学に進学したので、高校の付属大学に行った陽菜子とは別々だった。大学生の頃は陽菜子に一切会わなかった。むしろ存在を忘れていたくらいだ。偶然、同じ会社に陽菜子が入社しただけだと思いたかった。
「今までの方たちは、こう、男性を前面に出したタイプだったじゃないですか。タイプが違うので、思ったより試験に時間がかかってしまいました。でもやっぱり今回も不合格ですね。最下位です。私のお姉様には、常に最高で完璧なものに囲まれて過ごしていただきたいですから」
陽菜子がずっと聖のことを「先輩」ではなく、女子校の頃のように「お姉様」と呼んでいるのが怖かった。
「お姉様のことは、私が一番わかってます。初めて買ったマニュキュアの色も、筆記体のfの書き方が独特なことも、最近隠れてロシア語の勉強を始めたことも。好意ある男性の前では左脚を上にして組むのも、デートの時はいつもより3センチ低いパンプスを履いてあげていることも、耳が弱点なことも、みーんな、知ってます。これからも私に、お姉様のご周囲を清めさせてくださいませ」
陽菜子は頬を染めてうっとりと笑った。聖は思わず後退り、鳥肌が立った腕を擦ってから呆然としたままの飯田を見た。
「飯田君、私にもなんだかよくわからないけど、とりあえず私たちはお別れしましょう。あと、その趣味のことはあまり深刻に考えなくてもいいと思う。人にはきっと、いろいろある。」
飯田は聖を見上げて、蒼白な顔で頷いた。そして、意を決して陽菜子を見た。目が合うと、陽菜子は嬉しそうに笑った。
「陽菜子ちゃん、私はどうしてもあなたのしたことを受け入れられない。」
彼女は笑顔だった表情をみるみる崩して、涙を浮かべながら「どうして」といった。
「悪いけど、私のことを知ろうとしないでほしいし、私はもう「お姉様」じゃないの。」
できたら、会社でも会いたくないけど。言い捨てて、そのまま帰ることにした。陽菜子は涙をぼろぼろと零して、聞き取れないくらい小声でなにか言っていた。飯田は帰ろうとする私を「この恐怖を置いていくな」という目で見てきたが、無視した。
玄関でベージュのパンプスを見て、なんで陽菜子だと気が付かなかったんだろうと思った。そうやって、ほんの少しだけ油断してしまった。
飯田の「やめろ!」と言う声が聞こえたと同時に、頭が後ろに引っ張られた。何が起こったのか分からなかったけれど、振り返ると陽菜子が満面の笑みで、右手に鋏を持っていた。
彼女の左手を見て、聖は髪を切られたのだと理解した。
「ねえ、お姉様。長い髪になってから、お姉様は王子様ではなくなってしまったのでしょう?もうお姉様じゃないなんて、悲しいこと言わないで。髪を切ったら、私たちまた元に戻れます。」
明らかに陽菜子の様子がおかしいし、思考が全くわからなかった。この状況は傷害罪だと思うけど、あまり刺激しないほうがいいと思った。とりあえず鋏は手放して欲しかった。陽菜子の後方で、飯田が女装のまま腰を抜かしているのが見えたことで、なぜか冷静になった。
「急に切るからびっくりしたじゃない。美容師さんじゃないから、髪が痛んじゃうでしょう?」
陽菜子は、驚かせてすみませんと言って、あっさり鋏を置いたが左手の髪は掴んだままだった。
「もう遅いし、ご家族に迎えに来てもらおうか。私の用事に付き合わせちゃったから、ご両親に説明させてね。飯田君、陽菜子ちゃんの鞄持ってきて」
陽菜子は「そんな、お手数をおかけします」となぜかしおらしくなった。聖はおよび腰の飯田から陽菜子の鞄を受け取ると、中からスマホを取り出した。陽菜子は実家暮らしのはずだから、一先ず家族に引き取らせよう。陽菜子から母親にかけさせてスマホを受け取ると、すぐに迎えに来るように頼んだ。
今の状況を詳しく説明していないのにもかかわらず、陽菜子の母親は恐縮してすぐに行きます、と言ってくれた。たぶん、家族も何か察することがあるんだろう。
迎えを待っている間、陽菜子は左手に切り落とされた聖の髪を握ったまま、機嫌が良さそうだった。
彼女は、女子校の頃にあった、聖が覚えていないような些細なことまで一方的に語り、聖はそれに頷いたり短く返事をしていた。飯田君は、しばらく中途半端な恰好のままだった。陽菜子の迎えが来たときにあんまりだと思ったので「そのままいいの?」と訊いたら慌てて寝室に戻り、なぜか鬘をかぶって完全な状態で戻ってきた。
そんなに待つことなく、陽菜子の両親が迎えに来た。遅い時間だから両親とも来ると思っていなかったけれど、彼らは娘の手に握られている長い髪の毛と、聖の一部分が短くなっている髪を見て全てを察したようだった。
陽菜子は朗らかな笑顔で「ではまた月曜日に」と手を振って母親に連れていかれた。聖は陽菜子の父親に、陽菜子に対してしかるべき措置をしない場合は警察に駆け込むと伝えると、彼は可哀想になるくらいに謝罪して約束してくれた。