第零話
何故か消えていたので、誤字を修正したり加筆したりして、再投稿です。
どうやら、いつの間にか眠ってしまっていたようだった。
頭の上に自分のとは違う他人の肌の感触があるのを感じて、目を開ける。
見覚えのある部屋の内装が視界に広がり、自分がどこにいるのか理解して僅かに身動ぎをする。
すると、頭の上に置かれていた他人の手がゆっくりと頭を撫でた。
「おはよ」
「……夜だけどな」
部屋の中は薄暗い。
サイドテーブルの上にあるランタンが放つ弱い明りだけが室内を照らし、うっすらと大きな影が木造の壁に映っている。
この部屋の主の影だ。
その影の主が、動かない俺の頭をゆっくりと撫でる。
――何か、夢を見ていたような気がする。
撫でられるままにそう思っていると、反応の無い俺を面白いと思ったのか、頭を撫でていた手が頬、そして顎の方へと移動。
ほったらかしにして僅かに伸びた無精髭の感触を楽しむように、細い指が俺の顎を撫でる。
くすぐったかったが、それは口にしない。頭上から感じる雰囲気で、声の主が喜んでいるように感じたからだ。
そのまま、少しだけ時間が過ぎる。
細くて柔らかな指が顎の感触を確かめるように、何度か行ったり来たり。いつもの事。寝ぼけた頭には、その“いつもの事”が心地良い。
「お鬚って硬いのね。変な感触」
「女の子には無いからなあ」
声の質はまだ若い。十代の女の子。
三十を超えた俺が膝枕をされるというのは少し抵抗があったが、枕にしているスカートの下にある太ももの肉付きは程よく、その温かさにずっと浸っていたくなる。
どうして人肌というのは、こうも心を落ち着かせるのだろうか。
極上の枕だ。このまま深く眠ったら、きっといい夢が見られるだろう――。
そう思いながら、寝ぼけたままの俺は成すがまま撫でられる。
抵抗が無いと判断して、顎を撫でていた手は首筋に、そして胸元まで移動。
そんなところを撫でて何が楽しいのかと思うが、女の子に撫でられるという状況に抵抗はしない。
ただ、寝ぼけた頭でじっと壁に映った影を眺めている。
――どんな夢だっただろう。
思い出せない。
ただ、思い出せないならその程度の内容だったのだろうと、なんとなく思う。
身動ぎをしないままそんな事を考えて欠伸をすると、頭上からクスクスと鈴の音のような笑い声がした。
「お寝坊さん。今日はずっとこのまま?」
「そうしたい」
本心だ。
このまま何もせず、一晩を明かしたい。働きたくないし、仕事なんかしたくない。ずっとこのまま、だらだらと過ごしたい。
そう口にすると、膝枕をしてくれている女の子がクスクスとまた笑った。
「ほんと?」
「ホント――でも、少し夜風に当たりたい」
「そう」
寝ぼけたフリをして寝返りを打つと、視界一杯に女の子のお腹が映る。そのまま女の子の腰に腕を回して、ついでに少しだけお尻を撫でると、女の子からその手を叩かれた。
「だぁめ。そういうサービスは、ちゃんとお金を払ってから」
「残念だ」
「でも、いいよ? 貴方なら、割り引きのお値段で」
「そりゃあ助かる」
その言葉に背中を押されながら、ゆっくりと起き上がる。少し名残惜しかった。後ろ髪を引かれる思いというヤツだ。
そんな俺の感情が伝わったのか、女の子がまた笑う。
ランタンの淡い明りの中に、うっすらと影法師が一つ。ランタンの明かりを背中に受ける女の子の顔は真っ暗で、その表情はすぐ近くだというのに見えない。
ただ、着ている服は高級な物だと分かる。こんな安宿の一室に居るような女の子が着るようなものではない――。
「お仕事?」
「そんなところかな」
言葉は短く、単純に。それ以上の事は口にしない。
女の子はそれ以上何も言わず、聞いてもこない。その表情は影に沈んだまま、ただじっと俺を見上げているようだった。
古びた安宿の一室には似つかわしくない、着飾った女の子。
それは、この宿がまっとうな商売をしている場所ではないと、なんとなく感じさせるものだった。
売春宿。
女の子の一晩を金で買って過ごす、安らぎの宿。
国がちゃんとした商売として推奨している、俺達男にとっては夢のような施設。けれど、女の子側からしたら、色々と思うところがある商売でもあるだろう。
お金を払えば彼女の一晩は金を出した男の物。その一晩は、なにをしても許されるという暗黙の了解が契約として成立するのだから。
それは、まだ年若い女の子でも同じ。
その覚悟を持って、彼女はこの場所に居るのだ。――お金が必要だから。
「行ってらっしゃい」
「行ってくる。じゃあ、またな」
それを卑下するわけではない。
むしろ、俺は尊敬すらする。
――生きるために、必死なのだ。
そんな生き方に憧れる。眩しいとすら思う。生き生きしている……生きるために必死になるという現実が、人を生かしているのだと思い知らされる。
「うん」
その声は、少しだけ明るかった――ような気がする。
頭を撫でている間に寝癖を整えてくれたのか、部屋を出てから頭を掻いたが特段に気になるところはない。
借りていた部屋は三階建ての木造の建物、その二階にある一室。
建物の中は先ほどまでいた部屋の中よりは明るいけれど、それでもやっぱり薄暗い。それは、この宿を“使う”男たちの顔が判別し辛いようにという配慮からだ。
まっとうな商売として成り立っている売春宿だが、しかし、だからといって誰も彼もが何も考えずに使えるわけじゃない。
女の子もそうであるように、男にも恥じらいとかそういう物があるのだ。
あとはまあ――少しばかり偉くなったり高い立場なんかになると、こういうところを使い辛いという妙なプライドとかが邪魔してしまうとか。
そういうのを配慮して、建物の中は薄暗い明度で調整されていた。
頭を乱暴に掻きながら、一階へ。
フロントには見慣れた顔。三十を少し過ぎたあたりか、俺と同年代だろう妙齢の女店主が立つフロントまで移動する。
「荷物を」
「はいはい。ほら」
俺がそろそろ出る時間だと分かっていたのだろう。俺の荷物はすでに女将さんの傍に用意されていた。
その女将さんは、しかめっ面だ。
その理由は分かっていたので、聞いたりはしない。女の不穏に気付かないフリをするのも“イイ男”の心得だ。自論だけど。
そのまま黙って荷物を受け取ると、奥にある着替え室へ。本来なら売春宿に勤める女の子たちが着替えるための部屋だが、特別に使わせてもらっている。
あるのは大きな姿見がいくつかと化粧台。
香水の匂いが強過ぎて顔を顰めながら、預けていた厚手の外套といくつかの荷物の中身を確認。
盗られたものはない。まあ、預けていて盗られたら犯人なんて限られてくるし、そういうことをするような人はこの宿に居ないと信頼しているが、確認してしまうのは職業柄のようなものだ。
俺は質素な白のシャツと黒のズボンの上からナイフが収まったショルダーホルスターを纏い、手首はバネ仕掛けの仕込みナイフが納められたベルトを嵌め、背中には牛の首すら一太刀で落としそうな大鉈を収める。
そして最後に、それらを隠すように黒色の外套を羽織った。ゴテゴテした装備が目立たないように生地は薄布。けれど鉄鎖が編み込まれたもので、重量は結構ある。
外套のズシリとした重さを感じながら履いていた革ブーツの内側にも小振りのナイフを仕込み、準備万端。
あとはなけなしの全財産が入った革のズダ袋を肩に担いで着替え室を出る。
すると、受付に座っていた女将さんが、俺が出てくるのを待っていたようにじっとこっちを見ていた。
「なにか?」
「いいや。金だけ払って商品には手を出さない客なんて珍しいと思っただけさね」
「そうかい」
部屋に居た女の子を“商品”と表現した物言いに少しだけ思うところはあったが、指摘する事はない。
こういう商売をしているのだ。
そう思わなければ、膝枕をしてくれた女の子――この宿で客を取っている女性全員に負い目を感じてしまうのかもしれない。
この女性は、俺が知る中では随分と真っ当な“善人”だ。
両親を亡くした、働き口を無くした、そんな女たちを見捨てる事が出来ず、このような形ではあるが働く場所を提供しているのだから。
「じゃあ、一晩分のお金」
「はいよ」
前金として払っていたものとは別に、女の子の一晩分のお金を払う。
外套のポケットから銀色の懐中時計を取り出して時間を確認。ちょうど日付が変わる時刻。
部屋に居たのは一時間ほどだ。
それで一晩分の支払いなのだから女将としては喜ぶべき状況だろうに、やはりその表情は険しいままだ。
どうせ、女を買っても手を出さない変人だとでも思っているのだろう。俺も、金を払っているのに手を出さないのだから自分が変わり者だという自覚はある。
「それじゃあ、また明日」
「はいはい……生きていたら、またね」
なんとも縁起の悪い送り出しの言葉である。
その言葉に苦笑しながら宿を後にする。
ズダ袋を担ぎなおすと、ちょうど、あまり舗装されていない道を馬車が駆け抜けた。
薄暗く陰気だった屋内とは違う、夜だというのに明るい陽気さが視界に映る。
それなりに大きな街だ。売春宿は俺が使っている場所以外にも沢山あって、街の雰囲気は妙に活気づいている。
むしろ、昼間よりも大通りには人が多いかもしれない。
歩き出すとすぐに、数人の女の子が客引きの為に声を掛けてきた。それを丁寧に断る。
俺が客にならないと分かると、女の子たちはすぐに次の客の方へと小走りで近寄って行く。
「うーん。少しも構ってもらえないっていうのも悲しいもんだな」
無精髭を撫でながらそう呟いてしまう。
深夜だというのに街は騒がしく、賑やかな男女の声と――女の悲鳴もそこかしこから。
客引きは人目の多い大通りだけでなく、人気の少ない路地裏でも行われているのが常だ。
そして、そんな場所で客引きをしているのは売春宿にも雇ってもらえない、土地代を払えないような女の子。
そういう女の子は店の後ろ盾がなく、格安で自分の身を売るしかない。
俺は悲鳴が聞こえた路地裏に足を向けた。
探している男が居るはずだ。
「ふん、ふふーん……」
外套のフードを深く被って顔を隠し、小粋な鼻歌でも鳴らしてみる。当然、人気の少ない路地裏には似つかわしくなくて悪目立ちをしてしまうが、別にどうでもよかった。そもそも、鼻歌に反応するような人間はいない。
路地裏に居るのは生きる気力を失った浮浪者ばかりだからだ。精々が、面倒そうに横目を向けてくるくらい。
フードで表情を隠しているので、これで顔が割れるという事もない。
外套を揺らしながら路地裏を進むと、女の子の悲鳴が大きくなってくる。
大通りの喧騒に消えてしまうような小さな悲鳴も、路地裏なら大音量のSOS。
いくつかの角を曲がれば、すぐに見つける事が出来た。
「あ、いたいた」
「あ?」
身なりの良い男だった。こんな路地裏には似つかわしくない、それなりに大きな家のボンボンだ。
街灯の無い路地裏の暗がりでは分からないが、歳は俺よりも十歳以上若い二十一歳。この街ではそれなりに有名な物産の輸出で財を成している上流家庭の次男坊。
ただ、一代で財を成した両親は息子に甘くて……その息子はこうやって、人目の無い所で買った女を痛めつけるのが趣味だった。
その嗜好に、ついには両親も頭を痛めてしまっただけの事。
それだけの話だ。
「おい、痛めつけてさっさと追い返せ」
身なりの良い男が声を出すと、暗がりから二人の大男が現れる。男の趣味の邪魔にならないよう離れていたのだろう。
俺よりも少し身長は高いし、体格もいい。
それなりに喧嘩の腕には自信があるのだろう、表情には「これからお前を痛めつけてやる」という雰囲気が溢れている。
服装は若者らしい、派手なシャツやジャケットを着崩した格好。銀細工の装飾品が沢山あって、邪魔そうだな、という印象を受ける。
金で雇われているのか、男より少し年上だ。だが、やはりこっちも俺より若い。
怖いもの知らずというか、警戒もしないで二人が歩み寄ってくる。
俺は両腕をまっすぐに伸ばすと、手首に仕込んでいたバネ仕掛けのナイフが飛び出し、それを握る。
街灯の明かりも無い、月明かりの下。二人は何が起きたのかも分からないまま、その首を押さえて倒れ込んだ。
返り血を浴びないよう、ナイフで頸動脈を切り裂いた直後に踏み込んでその背後へ移動している。
夜目に慣れていたのだろう。身なりの良い男は“何かが起きた”事だけは察したようで、殴りつけて泣かせていた女を掴んだまま棒立ち。
その間に踏み込み、同じようにその首を撫でた。
「…………」
手助けも言い訳も面倒だったので、女の子には一瞥も向けず、ボンボンの懐から金が詰まった革袋を拝借してその場を後にする。
大丈夫だと分かっていたが外套や服に返り血が付いていないか鼻を近づけて確認して、転がって身動きをしなくなっている取り巻きの一人の傍に膝をつくとその服で使ったナイフの刃を拭く。
もちろんその後、二つの死体からも金が詰まった革袋を回収するのを忘れない。
そのままあっさりと路地裏を後にすると、ちょうど通りかかった馬車の荷台に三人の財布を投げ入れて、その場を後にする。
これで、『物盗りによる殺人事件』の出来上がりである。
「酒でも飲んで時間を潰すかね」
手の中には、ボンボンの財布からちょろまかした金貨が一枚。
それを指で弾いて地面に落とすと、ある一定の方向へ転がって金貨は倒れた。
俺は特に何も考えず、その先にある店で時間を潰すことにした。
金貨は拾わない。あんな女を痛めつけて性欲を満たすような男からちょろまかした金など、使いたくはなかった。
昨日、同じような被害があった。
被害に遭った女の子は、俺がさっきまで居た売春宿の女の子。今夜一晩の時間を買った、膝枕をしてくれた女の子。
――ただ、それだけの話だ。
・
次の日の朝。俺は売春宿の裏庭で、欠伸混じりに薪割りをしていた。
まあ、理由としては持ち合わせが少ない事と、手伝えば朝飯を出して貰えるからというのが大きい。
定職に付いていない俺を哀れんで雇ってくれているのだ。
やはり、この売春宿の女主人は“善人”だと思う。
「おーい、朝刊は要るかい?」
頼まれていた仕事の半分程度が終わった頃、汗を拭って休憩していると、裏庭の柵越しに十歳くらいの男の子がそう声を掛けてきた。
俺が「ああ」とだけ言うと、乱雑に紙製の朝刊が投げ渡された。
代金である銅貨二枚を投げ返すと「まいどありー」という元気な声とともに、男の子は駆けていく。少し離れた場所から、さっきと同じやり取りが聞こえる。
その声を聞きながら、薪割り用の斧を杖代わりにして身体を預け、朝刊を開く。
「ん……」
朝刊には、封筒が一つ、挟まっていた。中には金貨が10枚……これが、昨晩の報酬である。
それを乱雑にズボンのポケットに入れると、紙面へ視線を落とす。
「ほー……」
『異世界の勇者。北部ダナス砦の奪取に成功!』という大きな文字が真っ先に目に入る。
その肩書きには見覚えがあった。ここ数年、この世界の新聞に載り続けている。
異世界――地球、正確には日本から召喚された少年少女の事だ。
魔物の軍勢から十年くらい前に奪われた砦を奪い返し、また北部の土地を少しだけ魔物から解放したのだとか。
犠牲も出ているが、異世界の勇者達に怪我人が出たとは書かれていない。
まあ、あの連中なら大丈夫だろう、と。傍に置いていた火が点いていないパイプ煙草を咥え、朝刊の裏面を見る。
「おはよ、カズヤ」
ちょうどその時、頭上から声。見上げると、顔の左側に赤黒い痣のある女の子が窓から俺を見下ろしていた。
昨日、俺の相手をしてくれた女の子だ。
顔の痣は、もうずいぶんと良くなっているように見える。医者が言うには、痕は残らないらしい。
「おはよう。顔の傷もずいぶん良くなったみたいだな」
「うん。お医者様は、痕は残らないって……お医者様を呼んでくれてありがとうね?」
「気にしなくていい。俺の金なんて、美味いものを食うくらいにしか使わないんだから」
咥えたばかりのパイプ煙草を手に取り、俺も挨拶を返す。
顔の痣が疼くのか、痣を撫でる指は震えている。
それでも笑顔で、
「昨晩はありがとう」
「どういたしまして」
娼婦にとって、顔は――その全身すべてが財産だ。
それを傷付けた末路は……朝刊の片隅に。本当に小さく、朝刊を隅から隅まで読むような人間しか気付かない程度の小さな記事。
『路地裏で物盗りに襲われ、若者三人が死亡』と書かれただけだった。
また、よろしくお願いします。




