Ⅱ 10 連戦
落胆していたところに、電話がかかってくる。
「もしもし?」
この非常事態に何の用だろう。手短に終わらせてほしいものだ、と思いながら神谷は応答した。
『神谷、俺だ』
しかし、電話の向こうから聞こえてきたのは相川遼の声だった。思わず、携帯端末を取り落としそうになる。
『石田さんたちとも連絡を取って、大体の事情は理解したよ。神谷、今どこにいる?』
「俺か? 俺は今、速水里奈……つまり、真犯人の女が潜んでいた解体予定のビルにいるぜ。犯人には逃げられたが、まだそんなに遠くには行っていないはずだ」
何とはなしにそう答えてから、神谷はぎょっとした。
『そうか、分かった。ありがとな』
元気そうに言う遼の声。そのバックには、車の走行音や人々の話し声が混じっている。
まさかとは思うが、相川は潜伏先を抜け出しているのではないか。そして、犯人を取り押さえるため神谷に協力しようとしているのではないだろうか。
普通なら歓迎しただろう。けれども、今の状況ではまずい。
相川遼はレベル三の耐火能力を持ち、皮膚を硬化させて熱や衝撃に耐えることができる。また、それに伴って運動能力も引き上げられるため、きわめて接近戦に特化した異能だといえる。
一方、速水里奈の「血流操作」は、遠距離の敵に対しては失血を伴う攻撃しかできないものの、至近距離の相手なら一撃で仕留められる力だ、
もし彼らが戦えば、十中八九相川はやられる。里奈の間合いに入った瞬間、血液を逆流させられて死に至りかねない。いかんせん、能力の相性が悪すぎるのだ。
「おい、相川。お前、今どこにいるんだ。この件は俺一人で片付けるから、お前はホテルに戻って……」
尻切れトンボなところで、台詞は途切れた。遼は既に通話を終了していて、神谷がかけ直しても出なかった。
「……畜生が。本当にツイてねえな」
悪態を吐き、神谷は犯人を探し求めて走り出す。
何としてでも、遼よりも先に里奈に遭遇しなければならない。さもなくば、彼の命が危ないのだ。
神谷の心配などつゆ知らず、遼は街中を駆けていた。
異能をフルに発揮して、身体能力を拡張。ビルの屋上から屋上へと飛び移りながら、彼はターゲットの姿を探していた。
視界の隅に廃ビルが映る。やはり、神谷が真犯人と交戦した現場はこの近くなのだろう。
そのとき、ビルとビルの狭間の裏路地を、一人の女が走っていくのが見えた。全身黒ずくめで、ひどく慌てた様子である。
彼女の外見は、神谷から聞いていたものと合致した。確信を得て、遼はビルの手すりを乗り越えた。そして、空中に身を踊らせる。
同時に右腕を突き出し、真上から里奈へと飛びかかった。落下の勢いと自身の体重を乗せた一撃で敵を組み伏せ、無力化しようという魂胆である。
だが、その拳が届くことはなかった。
里奈の一メートルほど上方に達したとき、遼の体がびくりと震える。「血流操作」によって全身の血を逆流させられ、動きが止まる。
何が起きたのか理解するより先に、遼はなす術もなく崩れ落ちた。激しく咳き込むたびに、口から鮮血が溢れる。
「あんたもRELICSの回し者?」
はあ、と気だるげな吐息を漏らし、里奈は見知らぬ襲撃者を見下ろした。瞳には真紅の光が宿っている。
「まあ、誰だっていいけど。あたしの邪魔をするのなら、ここで消えてもらうよ」
見れば、相手の体は青色に輝く皮膚に覆われていた。おそらく、何らかの異能を使えるのだろう。
そのせいで「血流操作」の照準が僅かに狂い、即死させるに至らなかったのだ。きっとそうだ、と里奈は思った。
とどめを刺そうと、彼女がもう一度異能を発現させようとする。全身を包む赤いオーラが、ますます鮮やかに燃え上がった。
「……相川君⁉」
だが、またしても現れた乱入者の声に、動作を中断する。
振り返ると、若い女が一人、倒れた男へと駆け寄っている。必死に肩を揺すり、名前を呼んでいる。
「相川君、しっかりして。……相川君!」
無論、里奈には「二人まとめて始末する」という選択肢もあったはずだ。目撃者を消すのを優先するなら、その方が良かっただろう。
しかし今、彼女は戸惑いを隠せていなかった。
(この女、どこかで)
遠い記憶を遡り、やがて答えに辿り着く。残忍な笑みを浮かべ、里奈は言った。
「そうか。あんたが皆川優亜だね」
バーンアウトに拘束されていたとき、何度か見かけたことがある。
そもそも優亜が妙な力に目覚めたりしなければ、自分がバーンアウトの実験台にされることはなかった。里奈の歪められた思考回路は、責任の一部を優亜へなすりつけようとさえしていたのだった。
名を呼ばれ、優亜がはっと顔を上げる。怪我を負った遼を庇うように立ち上がり、警戒心を露わにして応じた。
「ええ」
「あんた、本当に良いご身分よね。自分はバーンアウトから逃げ出して、RELICSの戦士として一生懸命戦って。大切な仲間もできて」
血を吐き、ぐったりとしている遼を一瞥して、里奈は怒りを滲ませた。
「……あたしはずっと一人だった。誰も助けに来ない暗闇の中で、孤独と絶望に囚われていた。バーンアウトが壊滅した後も、普通の幸せを掴むことはできなかった」
彼女の言っていること全ての意味を、優亜が理解することはできなかった。ただ、里奈もまたバーンアウトの被害者であることは分かった。
「失敗作」とされた速水里奈は、地下施設に長い間収容されていた。実際のところ、その存在は松永と宇野にしか知らされておらず、相川壮一も里奈が囚われていることまでは把握していなかったのだ。それゆえ、助け出すことはできなかった。
「バーンアウトに拘束されていたあのときから、あんたのことが羨ましかった。あたしは所詮、あんたの影として生きていくことしかできない。そう思うたびに鬱屈とした気持ちになった」
里奈の両目に、紅の輝きが甦る。
「でも、それ以上に……あたしはあんたを憎んでいた」




