Ⅱ 09 血流操作
彼女が異能を発現させたのを感じ、神谷は反射的に身構えた。今や、一触即発の状況である。
「なるほど、事情は分かった。けど、お前が倒すべき相手は、もうこの世にはいないんじゃないか」
「何を言ってるの?」
見るからに不機嫌そうな里奈へ、神谷は説得を試みた。話し合いで解決できるなら、それに越したことはないのだ。
「バーンアウトの幹部だった宇野も、指導者だった松永も、政府との戦いの中で命を落とした。宮本も、既にお前の手で重傷を負わされている。お前にその力を植え付けた奴らは皆、罰を受けたんだ。これ以上誰を襲うっていうんだよ」
今からでも遅くはない。自首して罪を償えばいい。そう続けようとしたが、ただならぬ気配を感じて神谷は口をつぐむ。
「あんた、甘すぎるわ」
狂気を帯びた笑みを見せ、里奈が言った。
「元々あたしは、ファイア・ボムに巻き込まれたところをバーンアウトに捕らえられ、白装束たちと同じ運命を辿るはずだった。バイロキネシス使いたちによって家を焼き払われ、宮本の手で記憶をいじられた。例のプランの被験者に選ばれたのは、全くの偶然よ」
彼女の言葉には、どことなくデジャヴじみたものがあった。
「バーンアウトの元構成員は、全員殺さないとダメ。たとえ相手が組織末端の白装束でも、あたしは一切容赦しないわ」
間もなく、神谷は既視感の正体に気がついた。
この女は、昔の自分と同じなのだ。
「懐かしいな。俺も、そんな風に考えてた頃があったよ」
「……はあ?」
呆れた声を漏らした里奈に、神谷は続ける。
「RELICSに入ってしばらくの間、俺もバーンアウトの全てを憎んでいた。記憶を改ざんされ、操られているだけだとしても、奴らに情けをかける必要はないと思っていた。中途半端な優しさはいらないんだって、心を殺して自分に言い聞かせた」
『見逃せば、奴らはまた必ず人々を襲う。さらなる被害が出るんだぞ。お前の中途半端な優しさは、結果的に人を殺すことになるんだよ』
出会ったばかりの頃、彼は遼に対してこう告げたことがあった。
今は逆だ。あのとき遼から教えられたことを、別の誰かへ伝えようとしている。
「でもな、あいつが教えてくれたんだ。異能を植え付けられ、バーンアウトの尖兵になった人たちも同じ人間で、心があるって」
バーンアウトの構成員たちの多くは加害者でもあり、被害者でもあった。
ましてや、今の彼らは記憶を取り戻し、社会生活に復帰を果たしている。平穏な日々を送っている彼らを脅かす権利は、誰にもないはずだ。
「お前のやろうとしていることは、絶対に認めない。俺が止めてみせる」
「……そう。仕方ないわね」
ため息をこぼし、里奈は赤く光る目でこちらを睨んだ。
「そっちがその気なら、実力行使と行こうかしら」
燃える炎のごときオーラを体に纏わせ、里奈が疾駆する。
彼女から距離を取るべく、神谷はバックステップを踏んだ。同時に両手を素早く振るい、衝撃波を繰り出す。
次々に撃ち出されるそれを、真紅の盾が防ぐ。里奈の左右に形成された血の塊が、衝撃を吸収する。
前回戦ったとき、彼女は宮本の流した血液を利用し、力を使っていた。では、今回はどこから血液を取り出したのか。実感として、神谷自身が血を抜き取られたという感じはしない。貧血のような症状も出ていない。
そこまで考えて、彼はぞっとするような結論に辿り着いた。里奈はおそらく、自分自身の血液を媒体として異能を使っているのだ。
一歩間違えば失血死しかねない、捨て身の戦術。惜しげもなく諸刃の剣を振るう姿に、神谷は戦慄した。
(無茶苦茶だ。目的を果たすためなら、自分はどうなっても良いっていうのかよ)
凝固し、盾となっていた鮮血が形を変え、氷柱状になる。凄まじい速度で射出された血の弾丸へ向け、神谷は咄嗟に右腕を振るった。薙ぎ払うように放たれた衝撃波が、氷柱を床へ叩き落とす。
一瞬でも反応が遅れていたら、致命傷を負っていたかもしれない。胸を撫で下ろす間もなく、里奈はこちらへ突進してくる。それに合わせ、神谷も後退した。
「つまらないわね。逃げ回ってばかり」
敵を壁際へ追いやりながら、里奈が苛立たしげに呟く。
「接近戦じゃ、勝ち目がないのが見えてるからな」
対して神谷は、飄々と言ってのけた。
「前に戦ったとき、お前は宮本の血液を逆流させ、重傷を負わせた。だが俺に対しては、奴の血を使って攻撃するのみにとどまった」
「……何が言いたいの?」
里奈の歩みが、心なしか遅くなる。
「さっき、自分の力について『狭い範囲にしか干渉できない』と言っていたのを聞いて、確信を得たよ。お前の異能『血流操作』は、血液の状態変化はある程度自由にできても、血の流れをいじるのは至近距離でしかできない。だからあのとき、宮本と同じように俺を仕留めることができなかったんじゃないのか」
「ご名答。よく観察してるのね」
床に落ちた血の氷柱が解け、再び固まり、空中に浮遊する。今度は、鮮血のつぶてをぶつけるつもりだろうか。
「相手の能力を把握するのは、基本中の基本だからな」
自身の力の特性を知られていたせいで、バーンアウトの宇野相手に大苦戦したのが良い教訓となった。敵の射程を見極めるのがいかに重要か、身をもって学ぶことができた。
「けれど、だからといってあたしに勝てると思ったら大間違いよ」
無数の血の塊が浮かび上がり、神谷を狙って飛来する。
「真っ向勝負ってわけか。面白い」
不敵に笑い、神谷は両手を前へ突き出した。そして叫んだ。
「……粉砕術、『念動突破』!」
不可視のエネルギー波が直線上に撃ち出され、里奈の放った血の弾丸と激突する。
衝突の瞬間、血液の塊は崩壊したように見えた。
けれども、神谷の技より威力で劣っていたために、粉砕されたわけではないようだった。あまりにも呆気なく壊れすぎている。仮にもレベル四の異能力者なら、もっと強度の高い弾丸を撃てたのではないか。
違和感を覚えたのも束の間、鮮血はまたしても状態変化した。真っ赤な霧となった血が、廃ビルの中を埋め尽くす。辺りを見渡せなくなり、神谷は事実上、視界を封じられた。
手を振るい、霧を吹き飛ばしたときには既に、里奈の姿は消えていた。
(くそっ、やられたか)
失血を伴う技を連発するのは、彼女にとってもリスキーだったのだろう。相手に能力の特性を見破られているのなら、なおさらだ。ゆえに血で煙幕を張り、この場から逃走する道を選んだ。
急いでビルの外へ出たが、速水里奈らしき人物は見当たらない。




