39 失った居場所
あとからあとから、涙は頬を伝う。
寝起きでメイクをする前だったから良かったものの、もし出かける直前に石田が訪ねてきていたら、今頃化粧はぐちゃぐちゃになっていただろう。それくらい福住の受けたショックは大きく、流した涙も多かった。
もはや、どこをどう走ったかもよく覚えていない。ただ石田から逃げることだけを考えて、長い間走り続けている。
(……私、これからどうすればいいんだろう)
胸をよぎるのは、暗いイメージと絶望的な未来図。
内通者であることが石田に見抜かれた以上、もうRELICSに福住の居場所はない。そして、スパイとして役に立たなくなったことが分かれば、彼女が仕えていた者たちが来て、口封じに殺されるかもしれない。
何十メートルか後ろから、石田の靴音が響いてくる。RELICSの一員というだけあって、基礎体力は常人以上。おまけに千里眼の使い手でもあるため、福住を見失うことなく、執念深く追跡してくる。
入り組んだ路地を何度も通ったのに、いまだ福住の現在位置は石田に把握されていた。
(私は馬鹿だ。もう、私を助けてくれる人は誰もいない)
RELICSに戻り厳罰を下されるか、雇い主から死を送られるか。いずれにせよ、福住の将来に希望などなかった。
着の身着のままで飛び出してきてしまったので、所持金もごく僅かなものだ。完全に手詰まりで、どう足掻いても状況を打開できそうにない。
いっそのこと、マスコミに全てを打ち明けようかという気さえした。十年前の趙火災は、実は異能力者の仕業であったこと。彼らを止めるためにRELICSが結成され、今も戦い続けていること。馬鹿げた空想だと鼻で笑われるかもしれないが、信じてもらえれば特ダネになる。
精神的に弱り果てた福住は、そんな風に自暴自棄を起こしてさえいた。告発した結果自分がどうなるのかなど、考えられなかった。頭がまともに働かなかった。
心身ともに疲弊し、福住はよろよろと走り続けている。
「おい、気をつけろ」
車のクラクションを鳴らされ、罵声を浴びせられ、ぼんやりしていた意識が一瞬だけ目覚める。慌てて歩道へ飛び退くと、すぐ横をトラックが通過していった。
視界はぼやけ、車道と歩道の区別もつかないほどである。体力の限界を感じた福住は、手近な柱へと寄りかかった。
彼女には柱のように見えたものは、建設現場に立つ鉄骨のうちの一本だった。そこには来月にも高層マンションが建つ予定で、順調に骨組みが出来上がっているところである。
束の間の休息をとった福住を、上方から見つめている者がいた。
グレーの覆いがかけられたマンションの骨組みの、最上部。人一人が立つには心細い横幅に足場に、男は命綱もなしで立っていた。時折強い風が吹くが、気にも留めない。
眼下で体を休める若い女性を眺めながら、彼は携帯端末を耳に押し当て、通話を始めた。
「ターゲットを見つけました。予定通り、サクッと始末しちゃって大丈夫ですかね」
『構わんよ。ただし、事故に見せかけて殺すのを忘れるな』
「分かってますよ」
精悍な顔つきが、意地の悪い笑みで歪められる。通話を終了し、男は左手を虚空へ伸ばした。
「……役立たずのスパイは、死ぬしかないよなあ」
次の瞬間、男の腕の先に鉄骨が浮遊する。じゃあな、と彼が呟くやいなや、それは重力に任せて落下した。
落ちていく鉄骨の真下には、意識が朦朧としたままの福住がへたり込んでいる。




