7 夜のイニトゥーワ
イニトゥーワの夜の闇は濃い。
いくら魔法使いの街といえども、人が寝静まった深夜まで輝石を光らせるほどの魔力供給の余剰はない。
多くの酔っぱらいが家路につく、もしくは植木を今晩の寝床と定めた頃には、魔法の街を照らしていた輝石の街灯は火を落とす。
すると、街を覆うのは闇だ。
闇のイニトゥーワにうごめく大柄な影が二つ。
闇の中であっても帽子を目深にかぶった男二人はイニトゥーワ駅のホームの一つにいた。
男の一人が膝をつき、ホームの床で何かを探すような仕草をする。
「どうだ?」
後ろに立つもう一人が尋ねる。
「間違いない“奴”の魔力残滓が僅かだが検出された」
しゃがんだ男の返事を聞いて、立った男は小さくうなずき懐から何かを取り出し口に当てた。
『ターゲットのものと思われる魔力残滓を確認。奴はイニトゥーワにいます』
二人ではない第三者へ向けて男が話す。
立った男は口に当てていたものを次は耳に当てる。
しばらくそうしたまま立ち尽くしていた男は、何度か小さくうなずくと手に持っていたものを懐にしまい、しゃがんだ男を見た。
「次は街を調べる。魔力残滓を追うぞ」
しゃがんだ男はそれに返事を変えことなく駆け出した。立っていた男もその後を追う。
二人の姿はあっという間に夜の闇に溶けていった。
***
イニトゥーワの街は広い。
謎の男たちが闇に消えた頃、それと発生反対に煌びやかに装飾された宿の一室で酒を飲みかわす男たちがいた。
一人は政府の高官。高そうな生地でできたセンスのいいスーツに身を包んだ初老の紳士。もう一人は、軍の幹部。さみしくなってきた頭頂部と、若者顔負けの筋肉がアンバランスな印象を抱かせる。
そして、その二人を相手に上機嫌に話しているのは、ある商人の男だ。
だらしのない腹と笑い皺の形で固まったような顔。見る人が見れば胡散臭く感じるだろう。
商人の男が、元々笑顔が張り付けられているような顔をさらにゆがめて笑う。
「どうでしょうか、私の策は。
魔法使いがこれ以上はびこる世の中になるのは、お二人も快くは思わないでしょう?」
商人の問いかけに軍人の男はわかりやすく顔をゆがめた。この男、武は立ちそうだが交渉事はからきしだな、と商人が張り付けた笑顔の奥で値踏みする。
それに引き換え、政府高官の男の表情からは感情が読み取れない。
返事を返したのはその高官の男だった。
「たしかに、その懸念は常々我々が抱いているものです。
魔法という、生まれた時から決められた才で地位を得るものが増えると人類みな平等という我が国の前提が崩れかねないですからね」
高官の男もまた、顔に笑顔を張り付けている。
だがそれは、商人のように媚びる笑顔ではなく余裕を見せつける笑顔だ。
「だから、あなたの提案はとても魅力的なものに見える。そう思ったからこそご子息にはそれなりの手を回させていただいた。
だが、我々はまだ知らない。あなたの言う”プラン”が本当にうまくいくのかを」
高官の男の横で軍の男が大げさなほどに首を縦に振る。
「これはいわば現体制に対するクーデターとも言える。俺たちは、簡単に失敗できる立場ではないんだ」
交渉事は不得手そうだが、持ち前の体格と顔つきのせいで凄んだ時の威圧感は相当のものだ。
それでも、商人の男は一歩も引かない。
「その点は、ご心配なされるな。
私としても今回の策のりすっくが大きいのは同じ。だからこそ、これまでに何度も検証を重ねてきました
こちらをご覧ください」
そういって、商人の男は箱に大きなレンズが付いた機械を取り出した。
「射影機か、これはまた珍しいものを」
「ご覧いただきたいのは、約一年前の箒飛行競技会の様子です。
これを見ていただければ、お二人の考えも変わることと思います」
商人の男は部屋の明かりを消し射影機の電源を入れた。
暗闇の壁に横長長方形の光が映し出される。
白一色だった光に小さな黒い点が高速で通り過ぎていく。映像はゆっくりと、その黒い点へと寄っていく。
徐々に輪郭がはっきりしていく。しばらくすると黒い点が箒にまたがり空を飛ぶ魔法使いたちの姿だとわかる。
映像はさらに魔法使いに寄っていき、壁の映像には一人の魔法使いだけが映し出される。
ここまでくると魔法使いの顔がはっきりとわかる。
軍の男が少し腰を上げ驚いたような声を漏らす。
「さすが、“彼”をご存じでしたか。
軍の方は、若い魔法使いをよくチェックされていますからね」
軍の男は商人の問いに小さくうなずく。話に入れなかった高官の男が尋ねる。
「彼はそんなに有名なのですか?」
商人の男はまたにやりと笑う。
「有名も有名、魔法学生の箒飛行競技会で三柄連覇を成し遂げた天才です。
そして、私の策の最初の被験者でもあります」
そこに映し出されていたのは、今よりも少しだけ幼いハルの姿だった。