6 飛べないワケ2
古い建物の外壁に巻き付き、最終的には建物を押しつぶす植物。
それに似た刺青が、ハルの左手に巻き付くように刻まれていたのだ。
当然、ハルがこんな悪趣味な刺青を好き好んで入れないことを二人は知っている。
「これは、呪い?」
まだ卵とはいえ、さすがは魔法使いといったところか。コータはすぐにその疑問を口に出した。
「触ってもいい?」
恐る恐る尋ねたアリサにハルが許可を出す。
アリサの細くて繊細な、そのうえで箒乗り特有の肉刺で固くなった指がハルの腕をなぞる。
指先が蔦の入れ墨に触れるが特に変化はない。
「いつから俺の腕に呪いがかけられているって気づいてた?」
今度は逆にハルが尋ねた。
アリサはハルの腕に触れていた手を放す。
「呪いには気づいてなかったわ。けがが治っていたことは知ってたけど」
アリサとともにコータが小さくうなずく。
どうやら、コータもハルのケガの具合については見当がついていたようだ。
「僕は、あの事故の影響でハルが飛ぶことに恐怖を抱いていて、それで飛べなくなったと思っていたんだ」
心の病。
数は多くないが、年に数人の箒乗りがそれを理由に飛べなくなる。
大抵が大きな事故やミスによる怪我が原因でその病に陥る。コータが、ハルが心の病だと勘違いするのもうなずける。
「けど、違ったんだね」
コータはハルの左手に巻き付く筒他の入れ墨を見て言った。
「いつからだい?」
「事故があったあのレースのちょうどひと月後くらいかな。
腕が少し動くようになって、リハビリのために箒を持つ練習をしてたんだ。その時手首に違和感があって、見るとほくろみたいな黒い点がいくつかできていた。
そのほくろは、時間がたつにつれてどんどんと大きくなっていって今じゃこのありさま」
蔦の入れ墨はハルの左ひじを超えて侵食している。
始まりが手首のほくろのようなものだったとするならこの刺青は成長していることになる。
「ハルが飛べないのはその蔦のせいなんだね」
「ああ。どういう呪いかはわからないけど、俺が箒で空を飛ぼうとするとこの蔦がとんでもない力で腕を締め上げるんだ。
強引に飛ぼうとすると意識がなくなるほどに」
「どうして黙ってたのよ」
アリサは今にも泣きそうな顔をしている。
ハルの左手がおかしいことに気づいていた彼女だが、ここまでの呪いがかかっているとは思いもしなかったのだろう。
「言ってどうするのさ」
ハルは少し語気を強めて言った。
「そもそもあの事故は二人には関係ない。俺の責任なんだ。
二人には迷惑かけられないよ」
「ハルの責任じゃない。あれは相手が無茶な飛行をしてせいで……」
「よけられなかった俺も悪い」
「ケガの責任なんて関係ないわ。けど、苦しいときは私たちに頼ってくれてもよかったのに」
「二人は式典前の大事な時期じゃないか。
それに、先生にも医者にも祈祷師にも見てもらったけど原因が分からないこの左腕を二人に相談しても無意味だろ」
先生、医者、祈祷師、どれも魔法使いの中でも特に優秀なものでないとなれない職業だ。その三つを挙げられて二人は少し言いよどむ。
「だから、俺は箒を持ってこなかったんだ」
ハルは力なくつぶやいて、蔦の入れ墨が入った腕をもう一度包帯で隠す。
コータとアリサは、ハルに輪をかけて暗い顔をしていた。
「そんな顔するなよ。
魔法使いになれなくたって何も死ぬわけじゃないんだから」
「だけど、式典で飛べなかった魔法使いの卵は、その後一生魔法を禁じられるのよ?
その意味が分かってるの?」
アリサは今にも泣きそうな顔で言った。
「ハルがあんなに好きだった箒飛行ももう二度と……」
「大丈夫、もう割り切ってるから」
ハルは笑って言った。その笑顔は、二人が見た中でとびぬけて痛々しい笑顔だった。
ハルにそんな笑顔をされては、二人はもう何も言えなかった。
「明日の練習には参加するよ。
もう俺は飛べないけど、コーチくらいはできるからさ」
こらえきれずに泣き出したアリサの肩にコータが手を置く。
会話がやんだ客室に、一階の居酒屋から流れてくる酔っ払いの笑い声が響いた。