政治家ちゃんは不遇勇者ちゃん~現代の分割統治
こんにちは、ふりがなです。
政治物は、話題的には核地雷なのですが、今回も自ら踏み抜いていくスタイルで行きたいと思います。
政治家の本質について、政治力学上の観点から、私は人柱と解釈しています。
とある政治的な無理難題を、突破するための鉄砲の玉。
それが政治家の本質です。
※学問で政治力学なんぞ聞いた事はないけれどね
ですから、国民のために命を捨てられない政治家など、そもそも重要な政治課題を突破出来ない存在なので、要らない物なのですが、この現代で命を捨ててでも、国家に尽くしたい人など、果たして存在するのでしょうか?
そして、そのような人が、政治家として成功するのでしょうか。
これが、民主主義のパラドクスです。
政治家として求められる資質の人が、居るとは限らない。
そしてその資質は、自己の命の否定というパラドクスに曝されている。
仮に資質のある人が居たとしても、政治家として成功するとは限らない。
民主主義には、いくつかのパラドクスが存在します。
この国民と政治家の構造は、実はファンタジーの勇者と、勇者を送り出す国家と、同じだったりします。
魔王を倒すという政治課題を達成するために、国家の代表者として、鉄砲玉である勇者は送りだされます。
さて、なろう読者のみなさんは、この鉄砲玉こと勇者の辿る、様々な境遇をご存知だと思います。
順調に魔王を倒して、勇者が名声を得たり、逆に勇者が魔王を倒しても、勇者だけは、裏切られて救われなかったり。
勇者が魔王を倒せなくて、国家に逆恨みを買ったりします。
政治家を、この勇者と置き換えると、政治家が如何に報われない存在なのか、理解出来る層も居るでしょう。
そして、政治課題こと、魔王は一つではないのです。
政治家の信頼出来ない国家は悲惨です。
それは、即ち勇者が魔王の言いなりだというのと同じことなのですから。
政治家こと勇者が賞賛される国家は、有り得ない物なのでしょうか?
他の国では、名誉職だったりと聞くんですけれどね。
まぁ、その分、日本の政治家って、いい目にも合ってるでしょう?といい目と悪い目は、相殺されると主張する人も居るでしょう。
後述しますが、これこそが、本末転倒な考えだったりするのです。
さて、この魔王勇者物の物語には、国家側にとって最悪のパターンが、テンプレとしてあります。
それは、余りにも物わかりの悪い国民国家に、勇者が辟易し、最終的に魔王側に与するパターンです。
魔王が謀略でもって、国家と勇者を仲違いさせると、正にそのようになることがあります。
これは、政治家と国民の仲違いに相当します。
あんまりにも、政治家叩きにやっきになると、勇者は、魔王側についてしまうのです。
なので、時々は政治家を褒めましょうというか、政治家叩きの正体って何なんでしょうねという話なのですが、まさにそれが、現代における民主主義の分割統治、政治家と国民の分断なんじゃないでしょうかと、私は思ったりします。
政策ではなくて、個人叩きを繰り返していたら、そりゃどんなに性格の良い勇者だって、その内に、国民が憎くなりますし、魔王にだって与してしまうようになるのです。
しかし、凡庸な勇者など褒めるに値しない場合もありますよね。
ですから、魔王は、優秀な勇者を率先して国民に潰させるのです。
魔王に与した勇者は、己に利する事を優先するようになります。
これこそが、先に後述すると言った、その分、日本の政治家って、いい目にも合ってるでしょう?と良い目と悪い目の相殺されている状態なのです。
政党、政治家、国民が、第三者に分断されている状態について、突っ込む人が居ないようですが、意外と、魔王勇者物と親和性の高い話なのかもしれません。
さて、一度魔王側に与した勇者を、国家側がどうにか出来るテンプレは、なろうにはあるのでしょうか?