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シンパシー・テレパシー  作者: 八面子守歌
1. ジコ・テレパシー
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第2話 生存〈セイゾン〉

 すべすべの白い肌からふわっと体温が伝わってくる。彼女の腕が温かいのか、俺の手のひらが冷たいのか、正確には分からない。


 けれど、全身の血の気が引いていたことは確かだった。


 俺は一瞬で悟った。取り返しのつかないことをしてしまった、と。


 俺の力もむなしく、彼女の身体は落下し続けている。


 重力に引っ張られる身体がこんなにも重いとは思わなかった。力をセーブしていては絶対に引き上げられない。かといって、全力で彼女をうしろに引っ張ると俺が線路に突っ込んでしまう。


 今、彼女の手首を離せば俺は助かるかもしれない。


 助かる? 俺が?


 勝手に手首を掴んだ挙句あげく、彼女を見殺しにして、俺はまともな精神状態でいられるのだろうか。たとえ身体が無事だったとしても、心に絶望的な傷跡を残すのであればそれはしんに助かったとはいえないのではないか?


 時の流れがこの瞬間だけ遅くなっているのか、俺の思考が加速しているのかわからないけれど、考える時間は十分にあった。


 俺は心に決めた。


 やり始めたことはやり切る。ただし最短で。普段から姉貴あねきの暴力に耐えてきた俺の力を今こそ発揮するときだ。


 掴んでいる手にぎゅっと力をこめる。彼女の手首はこのまま力を入れ続けると簡単に折れてしまいそうだ。


「っんん」


 自分の身体を前方向に押し出しながら、彼女の腕を全力でうしろへ引いた。


 線路へ向かって全身がぐんっと加速する。勢い余って身体が回転し、視界が錆びた二本の鉄からホームへと変わった。


 過密状態のホームからは、受け止めきれないぐらい視線が注がれている。疲れ果てた様子のサラリーマンや黒髪の美少女など、相容れない人種のはずなのに全員がどことなくあわれむような目をしていた。


 その中で一人、ぽつんと地面にへたり込んで目をうるませた女の子がいる。


 必死さとパニックで顔を見る余裕がなかったけれど、やはり思った通りだ。彼女の顔立ちはゆるふわ系の雰囲気を醸し出していた。


 鮮やかな青色のスカートと両太ももによって、黄金の三角地帯トライアングルならぬ純白の四角地帯クアドラングルが形成されている。男の夢がつまっているその空間は、超危険地帯であるはずがない。


 絶対領域のさらに向こう側へ……なるほど、こちらもゆるふわな感じだ。白のレース! 素晴らしい光景をありがとう。


 鉄をるような騒音とともに右側から大量の光が差してくる。舞台上の俳優でもこれほど近くから照明を浴びることはないのではないだろうか。


 俺は覚悟を決めて、目を閉じる。


 やはり、確率が収束するなんて虚言きょげんだ。



    *     *     *



 心臓の鼓動が超特急で波打つ中、俺は呆然と立ち尽くしていた。


 茶色のドアが目の前にそびえたっている。


 足元のコンクリートも白塗りの壁も周囲の景色すべてが、自宅の玄関前であることを証明していた。


 見慣れている光景のはずなのに、この瞬間は異様なものに感じる。


 俺は……助かったのか。

 

 全身の力が地面に吸い取られ、膝から崩れ落ちた。わなわなと震える膝は、まさに笑っているかのようだ。


 なぜか、渋谷駅から自分の家の前へ瞬間移動し、電車にはねられかけていた身体は無傷。何がどうなっているのかさっぱりわからない。


 そのとき、混乱している頭の中に女性の声が響いてきた。


『今日は一段と混んでるなー。早くお風呂に入りたい……』


 俺は思わず周りをきょろきょろと確認した。左右のスペースにもうしろの通りにも人影はない。


 幻聴か? 夢か? 夢ならもう少し愉快なやつにしてほしい。例えば、電車にひかれて謎の密室に転送されたかと思うと、目の前には黒い球体が――みたいなやつ。もしくは、飼っている猫が唐突に日本語で話しはじめて愚痴を聞かされる――とか。一発で夢だとわかるはずだ。


 先ほどと同じ透き通った声によって俺の現実逃避はかき消された。


『え、誰? 何、今の声……猫が唐突に? え?』


 なぜだろう。女の子と電話をしている気分に陥ってしまう。


 直面している状況が異常すぎて、俺は冷静さを取り戻しつつあった。両手が汗でぐっしょりと濡れていることに今さら気付いた。


 俺の考えていることが筒抜けになっているのか。しかもその相手は十中八九じゅっちゅうはっく、ゆるふわ系の彼女だろう。


 あちら側の考えていることも俺に届いてしまっている。


『ええ!? ……あ、声が出ちゃった。どうしよう、すごく視線を感じるよー』


 わー、その報告いらない。


『なんで……こんなことが起きてるんだろう』


 混雑する駅のホーム。迫りくる大量の光。キーっと甲高く鳴り響く騒音。あの瞬間の状況がフラッシュバックして、吐き気に襲われる。


 俺には一つの原因しか考えられなかった。逆になぜ彼女が困惑しているのか分からない。


 そもそもあんなことが起きたのに駅のホームは大騒ぎじゃないのか? なぜ呑気のんきにお風呂のことなんて考えてられるんだ。


『え? あんなことって、な――』


 彼女の言葉を遮るようにして、聞き覚えのある声がうしろから投げかけられた。


「あんた、こんなところで何、座り込んでるの? 漏らしたの?」


 振り返ると、姉貴あねきがスーパーの袋を抱えて立っていた。買いだめでもしたのだろうか。ものすごい量の荷物だ。あと、その小学生みたいなボケは女子大生として自重しといた方がいいと思う。


「ドア、開けてくんない? 卵が割れそうなの」


 些細なことでも俺を働かせるのは相変わらずなんですね、お姉さま。見たところ、卵は割れなさそうな位置にありますけどね。


「お、おう」


 俺はドアを開け、姉貴に続いて家の中へ入った。


『へぇ、お姉さんいるんだー』


 家の中は何ら変わらないのに、自分の身体は違和感だらけだ。早くこの不可思議な現象を止めなければならない。


 とりあえずアイスコーヒーを飲んで一息つこう。俺は冷凍庫から氷を4つ掴んでコップへ入れた。


『そうだ。何かわかるかもしれないし、名前を……私、持田もちだはるかっていいます』


 たしかに、名前を知っておかないと何も始まらないな。冷蔵庫からボトルのアイスコーヒーと2リットルの牛乳を取り出しながら、モチダハルカと数回連呼した。


 全く聞き覚えのない名前だ。


 俺も自分の名前を頭の中で唱えた。


松前まさき咲夜さくやくん……もしかして、常柑じょうかん高校の——』


 コップの中の氷がからんっと音を立てた。

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