自灯明(三十と一夜の短篇第33回)
吊革にぶら下がるようにして目を閉じ、立っている男性がいる。
疲れているのだなと観察しつつ、三左代は地下鉄の座席に座り、揺られている。自分も疲れている。職場の仕事が終わって帰宅してからも、やらなければならない事が続く。少しでも体を休めておきたい。
子どもたちはもう中学生と小学生の高学年なので、保育園の送迎だや学童保育だと頭を悩まされなくなり、塾や習い事に行き、大人しく留守番をしてくれている。しかし、かれらに家事を頼んでもお手伝いの域であり、きっとお菓子を食べ散らかしたまま、ゲームや雑誌を出しっ放しにしたままになっているだろう。
お母さんはいつも口うるさいと言われようとも、快適な空間を保ち寛ぎたかったら、三左代一人の努力だけでは足りない。家族の協力が必要だ。夫はその辺は理解があったのだが、子どもたちが小学校に上がる頃から、手が掛からなくなった、そして役職が上がるとともに職責も重くなったと仕事優先になった。子ども会やPTAは母親ばかりで、そこに男性が加わったら、どんな役割を押し付けられるか怖いと言って、学校からのプリントさえ目を通してくれない。
亭主は元気で稼いでくれているのが一番平和なのかも知れないと、三左代が子どもの地域や学校関係の役員は引き受けている。
たまに子どもがインフルエンザに罹った、反抗期のあれこれで学校にいきたがらないなど、どうしても三左代が仕事に穴を空けられない、女親ひとりで対応が難しいと頼みこめば、夫はちゃんと家にいて、子どもと向き合ってくれる。
職場で、事情があって休むといえば、「お母さんだから」と、言われて、申請は認められる。管理職は男性が多くを占めるが、既婚の女性の多い職場だから、家庭の事情からの申し出が却下されはしない。
三左代は溜息を吐いた。
――いい職場なのは違いないけれど、勤務評価の仕方が変わった。
半期ごとに勤務の目標やスキルの向上などを文書にして提出し、その半期を終了したら、どの程度達成できたか、その達成度は五段階評価するとどれくらいかとまた文書化し、上司と面談する。当然、その後の昇給や賞与の査定、昇進に関わってくる。
――役所が営業成績を上げるとしたらどういう面なのだろう? 税金や保険料をキリキリ徴収して、なるべく支出を減らす方向になるのかしら? その支出ってなんだと考えているのだろう? 記載台のボールペンが毎日のようになくなるのは職員の所為ではないし、国民健康保険料を納めてもらっている市民が保険証を持ってお医者に掛かった七割分の診療報酬は削れない。衣食住に関わる公衆衛生の部分、また図書館や文化会館だって切り捨てられない。
三左代は上の子の期末テストの点数や、学期末の成績を思い出して、苦笑した。
――かなしいけれど、子どもの成績も短期で判断して、将来を考えなきゃいけないものね。
子どもが望む職業に合った学校を選択できるか、または決められないのなら選択の幅を狭めないような進学先を考えて、それに相応しい成績になるように勉学に励め、ゲームは決められた時間で終わらせろ、友だちとのSNSの遣り取りは午後九時を目途にお仕舞い、一日に二時間は勉強に取らないと、受験時になって慌てても知らない、判っているようるさいなと、言い合うのが、朝の洗面と同じような習慣になっている。
子どもが遊びに夢中になって勉強に身が入らないのは、三左代自身の子ども時代を思えば自分に似たのだと笑わざるを得ない。しかし、長期的な視点を持てば頑張って勉強してあの学校に入って良かった、いい所に就職できたとの思いがあるから、子どもにもそのように努力して欲しいと願うのだ。
子どもには子どもの人生と言われても、自立できるようになるまでは親の手の上にいるのと同じ。独り立ちしてから我が道を行くと宣言してもらわなければ、こちらの人生が潰れてしまう。
仕事も同じで、長期的な展望なしに公益が存在するのだろうか。特に福祉や教育は何時成果が明らかになると言える分野ではない上に、手抜きは許されない。
人の一生も同じだ、と三左代は思う。長い目で見ていかないと、何が良かったのか悪かったのか、評価なんてできはしないのではなかろうか。
――でも簡単に判断できる物差しは欲しい。
それが人事評価であり、学校の成績表。
――わたしは夫にとってどんな妻で、子どもたちにとってどんな母で、そして両親にとってどんな娘なんだろう。
考えてみても始まらない。答えは相手から言ってもらわなければならない。
地下鉄はまだ三左代の降りる駅に着かない。トンネルは永遠の闇のようだ。光を求めて地の底を、ひたすらに進む。
――このまま駅に着かず、知らない土地に連れていってくれないかしら。
身体も頭の中も泥のようだ。
地下鉄は停車駅で生気のない人々を吐き出す。三左代もまた流されるように、構内を歩む。見慣れた薄暗い光景。
駅から自宅へと、泥の道を行くように、足取りは重く、何が希望なのかもよく見えなくなっている。それでも、いつかは報われる、不安なく過せる日々が来ると信じて、自らが正しいと信じた遣り方で、生きていく。
無限の可能性があると自信を持っていた頃の若さを心の底に秘めて。
「ただいま!」
三左代は表情や身のこなしに疲れを一切拭い去り、明るく玄関の扉を開いた。子どもたちがどんな顔をしていようとも、家の中がどんなに散らかっていようとも、自らの闇を悟らせ、染めてはならない。
母は家庭の灯りなのだから。