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ひとつの区切り

モノクロの色彩

作者: ハロハロ
掲載日:2017/08/07

 この世界に色彩なんて存在しない。

 少なくとも、俺の視る世界はそうだ。何もかもが平等に淡い白と黒で彩られている。

 俺はそんなことを考えながら、雨が降り注ぐ中傘をさして一人、歩いていた。

 雨音が全ての音を飲み込んでしまったかのように、他の音を掻き消している。

 人の気配もなし、音も雨音だけ。ふわふわとした感じ。俺は地面に足をつけているか? 俺はこの世界に存在しているか?

 世界は、息をしているのだろうか。

 妙な不安に苛まれながら、俺は歩く。

 俺の陰鬱な気分は、まるでこの空模様と同じだ。

 白と黒。若干黒が多めの鉛色。

 一歩踏み出すごとに、濡れた靴の中から伝わる不快感。

 それでも俺は歩いた。色彩のない世界から逃げるように。

 どこに?

 そして、立ち入り禁止の柵を乗り越えた。


 色彩のない世界。

 みんなが同じように学校に行き、授業を受け、塾に通うか部活をして、家に帰る。

「目標なんですか」

 先生は言う。

「志望校に合格することです」

 生徒は答える。

 まるで、みんながみんな、同じプログラムを搭載されたロボットのように答える。

 違った答えを言う者は疎外されるその風潮。

 俺は、周囲の奴らが、同じ目標に向かって進むのが怖かった。

 そこに個性があるのかもしれない。

 しかし、俺からしたらそれは一つの生命体だ。

 異議を唱える者がいようものなら体内に侵入した菌を除去するように、この生命体の内部から爪弾きにされる。

 弾かれたらそこに居場所はない。世間で言う除け者、もしくは負け組だ。

 だから、賢い者なら事を荒立てることもなく、生命体の一部であることに従事するだろう。

 斯く言う俺もその一部だった。

 みんながするように学校に行き、塾に通う。目標は合格すること。いずれは大学に進み、就職活動に勤しむ。目標は就職すること。

 理由はそう生きるのが「当たり前」だから。「当たり前」に従事する生命体の一部に、意志は存在しない。

 そんな「当たり前」な生活をずっと続けてきた。

 そして、ある日、俺の視界から色彩が消えた。

 見るものすべてに輝きが失われた。

 感情も希薄になり、何をしても、どこに行っても興味が湧かない。

 どうせみんな同じ道を進むのだろう?

 それはまるで、つまらないモノクロ映画を延々と観せられているようなものだ。

 俺は「当たり前」の奴隷じゃない。

 嗚呼、なんてつまらない……。


 雨は勢いを増してきた。

 俺がいるこの場所は、寂れ、荒廃の限りを尽くしたとある大規模な工業団地跡だ。

 遥か過去の遺物と化したこの街。と言っても、俺はいつ頃にこんな街が栄えていたのかも知らないのだが。

 色のない街が、色のない空の下に聳える。

 背の高い住宅群の外壁は剥がれ落ち、ガラス窓はことごとく砕かれ、道路のコンクリートは割れている。街を侵食している錆が、一層寂しさを引き立てていた。

 雨の向こうには、工場が形そのまま廃棄されているのだろう。煙突の群れが、微かに確認できた。

 まるで、この場所だけ別の空間のようだ。

 何故、こんな所に来ようと思ったのかはわからない。

 ただ、来なくてはならない。そんな気がしたのだ。

 世間に忘れ去られた、モノクロの街を目的地もなく歩く。

 無機質なコンクリートの間を縫うように歩く。

 僅かに残る、過去の生活の欠片を踏みつけて、歩く。

 歩く。

 歩く。

 歩く。

 そして、大通りに出た。

 片道二車線もある大きな通りは、雨をこれでもかと受けていた。

 遮るものなく、真っ直ぐにのびる道路。色彩のない世界の、どこまで続いているのだろうか。

 ふと、そんなことを考えていた時、俺は見た。

 視界の彼方、そう。大通りと大通りが交じるその中央に、人影を。

 俺は交差点に向かって早足で進む。

 こんな廃れた街に、人?

 しかもその人影は、傘もささずに佇んでいる。

 俺は走った。

 どうして?

 徐々に近づくと、その人物は黒いコートを羽織っていることがわかり、俺に背を向けて、ボーっと天を仰いでいた。

 そして、あと数歩というところまで近づいた時、俺は声をかけようとした。

「あの……」

「なあ、しょーねんよ」

 ドクン。と、心臓が大きく跳ねる。

 その瞬間、世界の時間が止まった。

 正確には、止まったような感覚。

 そして、色彩。

 空中にある、無数の雨粒一つひとつが、はっきりと瞳に映る。

 俺は視た。

 無数の雨粒に反射する、微かな七色を。


 モノクロの、色彩を。


 ハッとする。

 次の瞬間には、雨が地面を打ちつける音が満ちた。

 今のは何だ。幻覚だろうか?

「おい、聞いているのかしょーねん」

 そう言って、その人は振り返った。

 その時初めて、目の前の人物が若い女性であることに気が付いた。

「えっ、あ、はい」

 どうしてこの人は、俺が少年だと分かったのだろう。

 ずぶ濡れの彼女は俺に興味の視線を向けてくる。

「しょーねん。君はこんな所で何をしているんだい。たしか、この街は立ち入り禁止のはずだったと思うんだけど」

 それは、こっちの台詞だった。

「貴女こそ、そんな街で傘もささず何をしているんですか」

「傘をさすのは『当たり前』かい?」

「…………ッ」

 その言葉は鈍い衝撃となって俺の体に吸収される。

 それでも、一歩彼女に近づき、雨に濡れないように傘を傾けた。

「当たり前云々より、風邪ひきますよ。だから傘をさすんです」

「おや、優しいね。しょーねん」

 得体のしれないその女性ひとはニカリと微笑んだ。

「それで、貴女は何をしていたんですか」

 くしゅん。と、小さなくしゃみをして彼女は答える。

「なに、探し物だよ」

 探し物……。こんな街で。

 老朽化が進み、荒廃した街を見渡すと、あるのは店の看板らしきもの、ポストに、乗り捨てられた車。そんなものしかない。

「だけど、ここもダメだった。まあ、期待はしていなかったけどね」

 仕方がない。仕方がないと、彼女は楽観的に笑う。

「貴女は、何なんですか」

 どうでもいいことかもしれない。

「なに、とは? 難しい質問だね。そうだなぁ」

 そして彼女はばかげたことを口にする。

「強いて言えば、魔法使い」

 俺は唖然とした。

「はっはっは。ご冗談を」

「はっはっは。冗談だとも」

 この人は相当な変わり者のようだ。

 変わり者…………。

「それにしても、しょーねんはさっきから質問ばかりだな。私からしたら、しょーねんがどうしてここにいるのか、とても気になるところなんだが」

 言われてみれば、確かに。

「俺? 俺は……」

 どうしてここにいる?

 わからない。引き付けられるようにやっては来たが、目的なんて。

「たぶん、目的それを探しに来たんだと思う」

 色彩がなくなり、生命体の一部から逃げ出すその目的を。

「そうかい」

 するとこの女性ひとは満足そうに目を伏せると、急に俺の傘を取り上げた。

「何をっ」

「しょーねん。君は悩んでいるように見える。それ自体はどんなものであれ、あるものだ。あって当然のものに悩むなら、そんな時は大きく空でも見てみるといいっ」

 雨粒が全身を打つ。

 そして、俺は彼女にされるがまま、クルクル、クルクルとその場で回る。

 ものの数秒でずぶ濡れだ。

「ちょっ、ちょっと正気ですか」

「おうとも。たまにはこうやって空の下で両手を広げるものだ」

 はっはっは。とこの女性ひとは愉快に笑う。

 こんなの、おかしい。

 雨が降る中、傘もささずに踊らされているなんて。しかも、初めて出会った人に。

 立ち入り禁止の交配した街の中。その交差点のど真ん中で。

 馬鹿みたいだ。

 そう、普通じゃない。

「ふふ……。あははははは」

 どうしてだろう。

 この解放感はいったい何なんだろう。

 俺は何がおかしいのか、腹の底から笑いが込み上げてくる。

 打ちつける雨粒すら心地がいい。

 雨が、景色のモノクロを洗い流すかのように、徐々に、俺の視界が色彩を帯び始めた。

 彼女は陽気に笑い。

 俺は下手なステップを踏む。

 雨の中、それはなんて気持ちのいいことだろう。

 その時間は、とても鮮やかな時間。

 そして、世界が変わった瞬間だった。

 輝く雨は降り続けている。

 この荒廃した街で。

 不思議な人と出会って。

 俺の視界の中で、色彩は。

 再構築を始めた。


 いや、それは、もともとあったもので、俺が気付いていなかったのかもしれないものだったのかもしれない。


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