二人目 愛を欲した女性
陸の先から海の果てに至るまで争いが巻き起こり剣や魔法、老若男女問わずあらゆる人々があらゆる手段で諍い合い、いがみ合い続ける。
そんな世界のとある墓地に一人の女性がおりました。
全身黒色の、いかにも悪の魔法使い然としたローブを頭からつま先まで全身に纏って目の前の複雑な文様を描き怪しく光る大きな魔法陣に向かい、一心不乱に何か呪文のようなものを唱えています。
それでも場所が場所です、きっと見つかりでもしたらすぐにならず者や騎士の格好をした追剥が群がってくるでしょう。
女性は確かに魔法が使えるようですが、死者を蘇らせ世界を渡ることすら出来ると言われる伝説の魔法使いほどの実力はありません。
精々が平凡な剣士三人分といった実力でしょうか、そもそも徒党を組むことすら珍しいこの世界ですがそれでもここまで目立つことをすれば最悪の結末を迎えることも十分考えられます。
もちろん女性はそんなこと百も承知です。
ですが呪文を唱えるのをやめることはなく、周囲の警戒を怠りながらも額に脂汗を浮かべ……ついに最後まで唱え切りました。
周囲に起こる衝撃に眩い光。
女性は右腕で自身に向かってくる砂埃や光を遮りながら収まるのを待ちます。
少し経った後、ようやく収まったようで女性は腕を少し持ち上げ、魔法陣が描かれていた場所を確認しましたが、あの現象が起こる前と変わらず何も起こっていません。
残念ながら失敗したようです。
ですが、女性が一つため息を吐き急いでこの場を離れようとしたとき、今まで感じたこともないような力を感じました。
驚き振り返ると、そこには穴がありました。
魔法陣から少し浮いた空間にぽっかりと、その穴は黒くその先を見ることは出来ません。
そして女性がその穴に込められた自身とは桁違いの技術の魔法に唖然としていると、ふいに穴の先から何かが出てきました。
足、手、体といったように徐々に姿を見せていき、全身がようやく見えたと思うと穴はいつの間にか消え去りました。
穴から現れたのは一人の男、まだまだ魔法使いとして未熟な女性から見てその純白に刺繍が施されたローブや杖に付いている宝石の一つ一つにはあり得ないほどの魔法が込められており、目の前の男がただ者でないことは一目で分かります。
「お前が我をこんな辛気臭い場に呼ぼうとした者か。……まあよい、精々喜べこの我自ら出向いてやったのだからな」
男は辺りを見渡し墓地にいると分かると目に見えて不機嫌そうになり、次に視界に入った女性に向けてに口を開きました。
女性はそんな言葉を聞き、涙を流しました。
もう無理じゃないのかな、出来ないんじゃないのかなと思っていたことがついに今日、ようやく叶うかもしれないと目の前の男を見て感じたからです。
女性は地に頭をつけて懇願します。
目の前のついさっき初めて会った男に向けて、自身の恋人を蘇らせて欲しいと。
「ならば、それ相応の代価を支払う覚悟はあるのだろうな」
男はそんな女性の姿を見て自尊心が満たされるのを感じ、代価を要求しますが女性は困り果てます。
何故なら男は文字通り自身とは生きる次元が違い、恐らく自身が差し出せるような物など男にとって指先一つでいつでも手に入れることが出来るような物だからです。
「我が蘇らせる男を真に愛し、魔法を使うことなくただ愛情をもって添い遂げるさまを……我に見せよ」
そうして女性が悩んでいると男は痺れを切らしたのか告げました。
女性はその内容を聞き、自身の中で何度も反芻しますが何故そんなものを望むのか皆目見当もつきません。
ですがこの機会を逃すつもりはなく、自身には計り知れない考えがあるのだろうと、女性は男に対してぎこちなく頷きました。
女性の恋人はその場ですぐに生き返りました。
男がその杖を遺体に向かって一振りするだけで腐りかけていた体は時が戻るかのように巻き戻り、その目を覚ましました。
女性が墓地で行っていたのも恋人がすぐに蘇ることが出来るようにとのことだったので現実になった今、その喜びようは相当なものです。
「代価を決して忘れるでないぞ」
男はまだ蘇ったばかりのせいかまだ呆然としている恋人とその恋人を抱きしめ喜びのあまり泣いてしまっている女性にそう告げ、指を鳴らして消えました。
それから数年後、男の顔にはいつもの人を見下すような笑みはなく、能面のような顔であの時から一度も会うことのなかった女性の元を訪れました。
そこは小さな小屋のような所で女性と数年前に蘇らせた女性の恋人がおりました。
ただ、
女性は胸から真っ赤な血が溢れて止まらず横たわっており、恋人は焦った顔で血に濡れたナイフを持ちながら男を見ていました。
男は無言で指を鳴らします。
すると恋人は小屋の中からいなくなり、恐らくもう二度と戻ってくることはないでしょう。
次に横たわっている女性を上から見下ろしますが、一体何が起こったのかは知らべるまでもありません。
あの日、誰にも気づかれないよう女性に印のような物を付け、女性が何をしているかなどいつでも分かるようにしていたので何故こうなったのかは男には分かっていました。
元々恋人は女性を愛してなどいなかったのです。
ただ女性の魔法が便利だから傍にいただけで恋人が一度死んだとき、自分をかばうことなく一人生きていた女性に対して見当違いな怒りを抱いていたのです。
数年間何もせずにいたのは自分を生き返らせるほどの力をもった男の存在が怖かったのでしょう。
恋人が女性の胸にナイフを突き刺したことで事情を全て知った男はこうして来たのですが、来たはいいもののその時胸に湧き出たナニカに任せて来たのもあるためどうしていいのか分かりません。
とにかく目の前の女性の怪我を治そうとした時です、女性が口から血を流しながら喋り出しました。
「申し訳、ありません。貴方様に……代価を支払うことが叶いませんでした」
男は目を見開き固まるも女性は続けます。
「本当は、分かっていました。彼が私を愛してなど、いないことも……彼が死んだときのあの怒りに満ちた顔からもいつか……こうなってしまうことは」
「でもこの血の匂いに満ちた世界で、血が繋がった親や兄弟すらも争い合うこの世界で一人生きてきた私には……たとえ偽りの愛で、いつか裏切られることが分かっていたとしても」
「……求めずには、いられませんでした」
そうい言って頬に涙が伝っているにも関わらず、笑顔を浮かべた女性に男は何も言えません。
「治療は、必要ありません。死者の復活……もとより、魔法使いとしての禁忌を犯しての結果です」
「きっと私は天に昇ることは許されないでしょうが、この数年間本当に……夢のような時間でした」
「ありがとうございます。とても偉大で……私の知る誰よりも、心優しい魔法使い様」
そう最後に言い残し女性はその目を閉ざします。
男はしばらくの間まるで気持ちよく眠っているような女性の顔をただ眺め、その手に持つ杖を振りました。
ここに一人の女性がこの世界からいなくなりました。
そしてその日のうち、いつだったか眩い光に満ちた墓地の一角にそれはそれは大きく、後千年を超えて存在することになる十字の墓石が出来たそうです。