第六十二戦「たまにはそんな買い物も」
銀貨を袋いっぱいにもらった。
オルトウエの裏通りを出る前に、寄る所が一つある。
ハインリカの所だ。
そのために、ノギスとは剣闘が終わるとすぐに別れる。
路地を通り、辿り着く。
相変わらず襤褸の天幕だ。
布を買うくらいの収入は得ていると思うのだが、買い替えないのだろうか。
入り口を手の甲で叩くと、ぼすぼす、と音がする。
「どうぞ」
ハインリカの声がして、僕は天幕に入った。
「あ、また来たんですね」
「うん、頼むよ」
ハインリカは気が進まなさそうに目を逸らした。
薄幸そうな幼い容貌に翳りが募る。
年齢が近い所為だろう、マンナを思い出して、妙に申し訳ない気分になった。
ハインリカのうねった髪を掴んで、前に下ろす。
「わぶ」
表情が隠れた。
「なにするんですか」
「変な顔していないで、早くやってくれ」
「してませんよぉ、変な顔なんて」
ハインリカが髪を横に梳いて、改めて僕を見る。
緑の瞳が、天幕の中を揺らぐような雰囲気に変える。
幻の世界に、僕は足を踏み入れた。
そこは闘技場だった。
相手は、さっき戦った少年。
でも今は、少年がカエスオルカの兜で、僕がアマノナガセルの兜。
僕が駆け出したのに合わせて、少年が駆け出す。
僕は足を止めた。
腕を斬られる。
僕は逆上して、剣を振ったが、全ていなされてしまう。
そして、足の小指に剣を突き刺された。
痛み。
思考が一瞬で染まり上がる。
感じたのは死の恐怖。
もう取り返しのつかない体の一部。
必死で剣を振った。
全て無駄だった。
少しずつ、体の外側から斬られていく。
肉片が飛び散る。
痛い、泣きたい、逃げ出したい。
剣を持つ指が斬られ飛んだ。
どれくらい繰り返されたか、
僕はついに膝を折ってしまった。
僕は泣いていた。
助かりたくて、生き延びたくて、この先、主人に殺されてしまうとしても、それでも、命乞いをせずにいられなかった。
今この瞬間を生きていたかった。
相手の少年は無表情になにか言った。
僕の目に剣が突き刺された。
「――っぁぁあああアア!」
「アサツキさん、アサツキさん!」
ハインリカに体を揺すられた。
半狂乱になっていたようだ。
呼吸を整える。
ハインリカは恐々とした顔をしていた。
「これで最後にしましょうよ。もし覚醒させるのが少しでも遅れたら、本当に死んじゃいますよ」
「必要なんだ」
「ただの幻覚じゃないんです。ずっと、心の傷になりますよ、いいんですか!?」
「そうでなきゃ意味がない」
銀貨を一掴み、ハインリカの懐に叩き付けるようにして投げた。
悲しそうな目で僕を睨んだ後、悔しそうな目で、散らばった銀貨を掻き集める。
「いつもいつも、多いです。小銀貨一枚で足ります」
「だったら服でも買いなよ。胸が見えてるよ」
ハインリカは胸元をたくし上げた。
「裏通りに、服屋さんはありません」
「だったら表に出ればいいじゃないか」
「表に出たら、裏通りに戻れなくなっちゃいます。もうずっとここだけで暮らしているんですから」
僕は痛む全身、特に指を擦った。
ハインリカの幻は、痛みまで引き起こす。
殺した相手と同じ目に遭う。
それが自身に課した罰だ。
そうでもしなきゃ、正気を保てない気がする。
人殺しなんて、最悪だ。
「表に出よう」
「ふえ?」
「僕が案内する」
「で、でも……」
「でも?」
「アサツキさんに悪いです」
「じゃあ行こうか」
「ええ!?」
そうして、僕はハインリカと裏通りを出た。
「明るいです、人が多いです」
大魔晶を見上げてハインリカが言う。
確かに人は多い。
はぐれたら、大変なことになる。
ハインリカの手を掴んだ。
「人攫いなんてのもいるから、絶対に離れないでね」
「わかりました」
それからふらふら、街を観光しながら服屋に向かった。
服屋はそう遠くないので、観光と言っても、ちょっとした散歩と大差はない。
新しい服はすぐに手に入った。
ハインリカの足元まである、裾の長い服だ。
今に成長して小さくなるんだから、少し大き目のほうが良い。
こういう家庭の知恵、なんだか懐かしいな。
「アサツキさん、ありがとうございます。買ってもらっちゃって……」
自分でも、僕が金を払う必要なかったんじゃないかという気はする。
でもまあ、連れ出したのは僕だし、致しかたない。
「じゃあ戻ろうか」
「はい」
帰り道、良い匂いがした。
肉の焼ける、食欲をそそる匂いだ。
焼き鳥を売っていた。
僕の腹が鳴る。
共鳴するみたく、ハインリカの腹も鳴った。
「食べていこうか」
「はい」
店先では、歳のいった男が鳥を串に刺して焼いていた。
「おじさん、二本ください」
「お、なんだ坊主、兄妹か? 親御さんは?」
「親は今いません。それと兄妹じゃありませんよ。似てないでしょう?」
「おお、そうか。子供二人だけでうろつくのは危ねえからな、気ぃつけろ」
「それより、二本ください」
「ほらよ、熱いからな」
焼き鳥を受け取る。
一本をハインリカに渡した。
「お金」
「おう」
焼き鳥を頬張った。
脂が熱い。
ハインリカははふはふと息を漏らしながら、夢中で食らいついている。
おいしかったので、すぐに食べきってしまった。
「もう二本ください」
「おまけしてやる」
タダで二本もらってしまった。
ハインリカに二本目を渡すと、元気な声で
「ありがとうございます!」
と、僕に言ったのか店の主人に言ったのかわからない。
焼き鳥を食べ終え、店の主人に礼を言い、僕たちは裏通りの入り口まで戻ってきた。
「アサツキさん、ありがとうございました。楽しかったです」
「今後ともよろしく」
言うと、ハインリカは少しだけ難しそうな顔した。
けれどもすぐに笑顔を作った。
「では、さようなら」
「うん」
入り口の隠し通路がある建物の中へ、ハインリカは入っていった。
それを見送り、振り返ると、道の先にある角から、こちらを覗くスクモが見えた。
胆が冷える。
まるで宿題を忘れたときの登校みたいな気持ちで、そこまで歩かなければならなかった。
「……お兄ちゃん」
「なんでここにいるんだ?」
「帰りが遅かったから、探しに来たの。チグサのところに居るって話だったのに、チグサもお兄ちゃんもいないし」
「それはすまなかったね」
「で、今の誰?」
「ハインリカっていって、僕の知り合い」
「ふうん……」
訝るように、じろじろと、僕のつま先から頭のてっぺんを見てくるスクモ。
「ま、いっか。帰ろう」
ぐい、と半ば強引に僕の手を引っ張って、スクモが歩き出す。
連行されるみたいに、僕はスクモと家に帰った。




