第六十一戦「裏通りの剣闘」
日々が安定して慣れてしまえば、月日が経つのは早いものだ。
カルマはもう一人で歩ける。
そして何故か、いつも僕の側にいる。
なにするでもなく、じっと僕を見詰めてくる。
たまらなく不快だった。
本の頁を捲る。
薬屋なだけあって、薬学に関する本が豊富な家なのだ。
店のカウンターは、意外と良い勉強場所だ。
集中力が途切れても、外の景色に変化があって退屈しない。
「お兄ちゃん、暇だよぉー?」
スクモが背中から圧し掛かってきた。
艶々として黒々とした髪の毛が僕の項から首筋を滑っていく。
最近、スクモの精神は安定していて、ヒステリックな言動が少なくなった。
その代わり、甘えてくる、と言うのだろうか。
なにかにつけて、僕の関心を引こうとちょっかいを掛けてくる。
悪い気はしないが止めてほしい。
本当に面倒臭いこともままある。
「シュラに遊んでもらって」
「いじわる」
「カルマの相手をしてくれ」
「一緒に?」
「スクモ一人で。僕は勉強中」
「最近熱心だよね、どうしたの?」
「どうもしない」
ふん、と鼻を鳴らして、スクモは僕から離れる。
お姉ちゃんと遊ぼうね。と、あやすというより甘えた声で、カルマの手を取る。
スクモの機嫌が良いのは、どうやらカルマのお陰らしい。
カルマはこくんと頷いて、スクモに手を引かれていった。
僕は本を閉じた。
棚の整理をしていたアザミ母さんに声を掛ける。
「チグサさんの所へ行ってきます」
「遅くならないうちに帰ってくるのよ」
そうして家を抜け出し、向かったのはオルトウエの裏通りだ。
最短の道を選べば、ノギスの管理する、「入り口」までそう時間は掛からない。
「来たぞ」
「欲深なガキだな。救われねえぞ?」
「関係ない」
「そうかよ」
ノギスとそんな会話をしながら、オルトウエの裏通りを歩く。
僕がここで剣闘をするには、ノギスの仲介が欠かせなかった。
木霊する歓声。
小さな闘技場は、むせ返るような熱気に包まれる。
本当に、吐きそうだ。
最近になって知ったのだが、剣闘というのは大抵、なにかを模している。
神話だったり、伝説だったり、歴史上のことだったり。
そのために、例えば神話なら神話に則する格好をして、剣闘士は闘技場に上る。
今日はカエスオルカという英雄と、アマノナガセルという半神半人が闘ったという神話が模されている。
この神話の決着は、カエスオルカが勝ち、アマノナガセルは天上の滝という場所に帰ったというものだ。
だから、戦績の優れた者が、カエスオルカの兜を、もう一方がアマノナガセルの兜を被る。
その時々によって規則は変わるが、鎧の装備は認められていない。
今日は僕がカエスオルカの兜だった。
闘技場の端に立つ。
向かいには僕より多分、五歳位は上の少年だ。
これから健康に育っていくであろうことが予想できる。
成長期に入った、しなやかな体躯だ。
僕は少年に合わせて駆け出した。
距離がすぐさま潰れる。
相手はまさか真正面から来ると思っていなかったのか、足を止めた。
――こいつ、弱い。
きっとここに来たばかりなのだろう。
腕を斬りつけると、目に涙を滲ませて僕を睨んだ。
下卑た歓声が鼓膜を揺する。
相手は剣を振った。
筋力では敵わないので、盾で頭を庇いつつも、避けることに専念する。
剣を振って振って振って、相手に疲れが見えた。
足の小指に剣を突き立てる。
悲鳴が上がり歓声が沸いた。
出来れば苦しませたくないけれど、少しは苦戦しないと、後でノギスに文句を言われてしまう。
賭け金の配当倍率が偏るとかなんとか。
適度に苦戦しつつ、相手の体を端から少しずつ切り刻んでいく。
僕は弱いから、こうやって確実に相手を弱らせていく闘い方をする。
そのうち、相手が膝を折って、両手を地面に付いた。
周囲から、狂気じみた野次が飛び交う。
やれ殺せだの、やれ目を抉れだの、鼻を削げだの、残った指を切り落とせだの。
狂ってる。
人間のすることじゃない。
「――――――!」
周囲の歓声に混じって聞こえないが、相手がなにか言っている。
表情からして、多分、命乞いだ。
「――――」
どうせ死ぬだろ。
僕はそう言って、相手の目に剣を突き刺した。




