第五十二戦「チグサの個人授業」
風邪はもう平気だということにしたら、師匠に怒られた。
傷が治ったわけではないが、いつまでも寝ているのは性に合わない。
広場の片隅。
チグサさんの授業を受けている。
昨日の一日でなにがあったのか、スクモとあのエナという女の子が仲良くなっていた。
「それでね、お兄ちゃんはいつも馬鹿な無茶して怪我するんだ」
スクモが文字の練習をしながら言う。
練習の必要がないくらい、慣れた手つきで、板に塗った蝋へ文字を彫っていく。
「大変ね。こっちはクビスが一人で頑張ろうとするのよ。もっと周りに頼っていいのに……」
エナがそう言って、頭を振った。
鳶色の髪がふわりと舞う。
「私語は慎んでくださいね」
チグサさんは、手持ちの巻物に目を通しながら言った。
椅子に座って、時折り僕らを眺めている。
「先生、終わりました」
クビスが手を挙げた。
挙げた手には、文字の彫られた蝋板が掴まれている。
スクモより早く終わるとはこれいかに。
チグサさんが蝋板を受け取って、書かれている文章を確認していく。
神話の一節を書き取る、文字の練習だ。
「よろしいでしょう」
チグサさんがそう言ってクビスに蝋板を返した。
順番を待っていたらしいスクモが蝋板をチグサさんに手渡す。
次いで僕が。
その後はエナだった。
全員分の書き取りが終わると、休憩時間が与えられた。
子供たちは雑談を始めた。
僕は隣のスクモを見た。
動くたびに、括られた黒髪がふりふりと揺れる。
昨日からなぜか髪形を変えている。
髪が鬱陶しいから、じゃないのはなんとなくわかる。
おくれ毛が多いのだ。
スクモは僕の視線に気づくと、はにかんで見せた。
「どう?」
「どうって、言われても……」
思えばスクモは、お洒落については無頓着だった。
あの殺風景な子供部屋から始まり、装飾品の一つ身に付けた姿を見たことがない。
そういえば、初対面のときスクモが着ていたあの白いコート。
あのときは特になにも思わなかったが、あれはひょっとすると男物だったんじゃないだろうか。
この世界であれ以外のコートを見たことがないからはっきりとはしないが。
「似合ってるん、じゃないかな」
「前と比べてどっちがいい?」
どっちでもいいよ。
という言葉を飲み込んだ。
「今の方がいいと思うよ」
「そう? でも前のほうがお兄ちゃんの好みじゃない?」
「別に僕の好みに合わせる必要ないだろ」
「そもそもお兄ちゃんの好みに合わせるつもりもないけどね」
「なんなんだよ」
話しを聞いていくと、どうやらエナに教わったらしい。
教わったというほどのことでもないと思うが……。
そのうち授業が再開した。
チグサさんが引き算について説明している。
「せんせい、せんせい!」
子供が挙手して叫んだ。
チグサさんはじろりとそれを見て
「どうしました、カブラ君」
「いつになったら魔導を教えてくれるんですか?」
チグサさんは大きな目を疲れたように伏せて、息を吐いた。
「いくらなんでも気が早いのではないですか」
「でも、早く知りたいです!」
いくらかの間を置いて、チグサさんは小さな口を開いた。
「それでは今日からその日の成績が優秀だった者に魔導の知識を教えましょう。人数は二名――いいえ、四名にしましょう」
それを聞いて、質問した子供は喜び跳んではしゃいだ。
他の子供たちもざわめきたつ。
俄然やる気が出てきたというところだろうか。
その日の成績上位者は、スクモ、クビス、僕、エナだった。
「では、魔導の基本を教えましょう」
放課後、僕ら四人は居残って、チグサさんから魔導のことを教えられていた。
スクモは当然、僕も知っている内容だった。
他の子供にちょっと申し訳ない感じがする。
魔導のことを知りたがっていた子は何人もいたろうに。
その授業も終わり、四人で帰ろうとしたところ、僕だけチグサさんに呼び止められた。
「なんでしょうか先生」
「チグサさんで構いません。アサツキ君は、帰ったあと私の家に来てください。特別に教えたいことがあります」
それだけ言って、チグサさんは授業で使った物を持って撤収してしまった。
「おいアサ、話し終わったんなら行こうぜ」
クビスが声を掛けてくる。
「うん、行こう」
駄弁りながら家に帰った。
師匠にひとこと断りを入れて、チグサさんの家に向かった。
チグサさんの家は相変わらず散らかっていて、異臭も漂っている。
肉の腐った匂いを芳香剤かなにかで誤魔化したような感じだ。
「チグサさん、部屋を片付けないんですか」
「魔導の研究で忙しいのです。さあ、付いてきてください」
地下室へと入るチグサさん。
また魔力管に関することだろうか。
地下室は以前のように椅子が中央に置いてあった。
一つ違うのは、部屋の隅に置かれた棚だ。
前には見掛けなかった色取り取りの球体が並べられている。
大きさは片手で苦もなく掴み込める程度だ。
チグサさんはそのうちの一つを取った。
薄赤い色の球体だ。
「アサツキ君に、私の秘術を教えたいのです」
言いながら、チグサさんは目深に被った魔女帽を片手で脱いだ。
白い灰のような髪がふわりと広がる。
輪郭を隠すような髪の流れ方に、どこか疲れた印象を受ける面持ち。
幼い顔立ちと合わせて、儚げな人形を思わせた。
「数十年に亘り心血を注ぎ続け、そして辿り着いた一つの境地です。体系化には至りませんでしたが、この術を誰かに伝えずして死に切れるものではありません」
「なんで僕に?」
「相性の問題です。それと私の近くでアサツキ君の他に、魔術を使える者がいませんので」
チグサさんの言葉を訂正しそうになって、止めた。
魔導を使えるのはスクモもシュラもだが、これからなにをやらされるかわかったものじゃないし、もしかしたらスクモは魔導が使えることを隠しているのかもしれない。
舌は禍の根。
言わぬは言うに勝る。
「先ずは基礎知識を確認しておきましょう。これを掌に乗せてください」
チグサさんが、薄赤の珠を僕に手渡した。
「魔力を込めて」
言われた通りにすると、珠からゆらゆらと、半透明な火が出た。熱くはない。
「今、アサツキ君は魔導具に魔力を込めて魔導を発生させました。それは分かりますか?」
「直接の影響を与えないのが魔力で、与えるようになったのが魔導ですよね」
「大まかに言うとそうですね。その他に、魔法、魔術という区分があります」
「ええと、魔法は確か、常に同じような現象が起こるように制御された魔導でしたっけ」
「その通りです。魔力を流すことによって、常に同じ作用の魔導を起こせる魔導具は、魔法発生器とも呼べるわけです。では魔術とはなにか?」
チグサさんが、僕の掌の上にある炎に手を翳した。
すると炎がたちまち霧散した。
「魔力の操作によって引き起こされる、安定しない魔導。それが魔術です」
「つまり、砂に魔力を通して、それで剣を作ったりするのも魔術なんでしょか?」
「そんな器用なことができれば、そうですね」
つまり、魔導具は魔法で、砂剣は魔術。
魔力や魔導というのは、現象そのものの呼び名か。
しかしとなると、前のスクモが呼び出したと思われる、あの狐の化け物はなんなのだろう。
オサ……なんとかと言ったか。
魔導具らしきものは持っていないスクモだし、しかし砂を固めて作ったとか、そういう小細工でもなかった。
あれは間違いなく一個の生命体だった。
「魔力で生き物を創り出したりするのは、魔法ですか、魔術ですか?」
そう訊くと、チグサさんは驚いたように目を見開いた。
「それは、スクモ様が、魔力で生命体を創り出したのを見たことがあるということですか?」
「その瞬間を見たわけではないんですか、多分そうかなって」
「そうですか……」
チグサさんは僕の掌の魔導具を握り込んだ。
「それについて断言はしかねますが、おそらくは召喚魔術だと思います」
「召喚?」
「太古に使用されていたとされる、伝説の魔術です。当代、使用できる魔導師がいるとは聞いたことがありませんが、特級魔導師であるスクモ様ならば、あるいは」
「どういう魔術なんです」
「そも魔力とは生命の素。言葉を骨組みに魔力を絡め合わせることで、疑似的な生命を創造する。その様は異界から化生を呼び出すが如し。ゆえに召喚魔術。……と、私の読んだ本には書かれていました」
「疑似の生命……」
「詳しいことは誰も知りません。言葉を媒介にするとも言われていますが、物体でない言葉を媒介にするなど不可能ですから」
それよりも、とチグサさんが言って、掌の魔導具から炎を出した。
「そろそろ本題に入りましょう。私がアサツキ君に伝えたいのは、魔力の同調です」
「さっきチグサさんがやった、この炎を消すことですか」
「察しが良いですね。ですがその表現は正確ではありません。もう少し捻って言えば、魔導具の使用権を乗っ取る、と言ったところでしょうか」
「魔導具の使用権? なんですそれ」
「私がいま適当に造った言葉です。ですが意味はなんとなく分かるでしょう。誰かの魔力が流れている魔導具は、他からの魔力を受け付けない。やってみてください」
チグサさんの掌の魔導具へ、魔力を流し込む。
なるほど確かに、その試みは失敗した。
既に満杯の水瓶に、さらに水を注ぎ込もうとしているような具合だ。
「なにもできません」
「そうでしょう。ですが、自身の魔力の性質を、相手の魔力に合わせることができれば」
チグサさんが魔導具を僕に渡す。
僕は魔導具に魔力を注いだ。
熱くない炎が湧いたところで、チグサさんが手を翳す。
炎が散った。
「このように、使用中の魔導具を操ることができます」
「凄いですね、なんに使うんです?」
「……実用の目処は立っていません」
僕の掌から魔導具を取って、気を取り直したようにチグサさんは言った。
「ですが知っておいて損はないはずです。さあ、練習しましょう。コツは相手の魔力を知ることです」
「どうやって相手の魔力を知るんですか?」
「それはもう、相手の性格や趣味嗜好などから、きっと激しい魔力だな、とか冷たい魔力だな、とか推測するんです」
意識したわけではないが、胡乱な目をチグサさんに向けていたと思う。
「チグサさんはどうやって僕の魔力を知ったんですか」
「あぅぅ……その、以前に魔力管を調べたとき、ああ、こんな感じかあ、と」
「つまり普通の手段では知りようがないと?」
「そんなことはないはずです。それにアサツキ君と私はとうの昔に懇意であり、先生と生徒という関係ですらあるのです。そう、そうです、なんなら友人という関係性も加えて然るべきでしょう。そんな二人なのですから、きっと息ぴったりです。すぐに魔力を同調させることができます!」
そこはかとなく心の闇を感じる。
スクモといい、チグサさんといい、魔導師というのは皆こうなのか?
偶然であると思いたい。
ともかく僕は、同調の練習を開始した。




