第五十戦「絶命の作為」
土俵から降りようとして振り返った。
柵は閉じられたまま。
炎の灯りは絶えずに揺れて、柵の影が揺蕩う。
観客の野次は止まない。
「もう勝負は付いた。ここから出してくれ」
そう訴えるも、柵が開く様子はない。
周囲からは罵声と哄笑が聞こえてくる。
観客たちの表情は、僕に対する憤りと、嘲り。
「まだ勝負は付いてねえ。ご立腹の客もいる。さっさと止めを刺せ」
ノギスは言った。酷く冷めた目付きで。
責めるようでもあった。
「どうして、もう相手は闘えないだろう!」
「生きているうちは闘える」
「そんなの無茶苦茶だ」
「安心しろ、あらかじめ言ったろう。参ったと言えば勝負は終わる。つまり、相手に参ったと言わせりゃいいんだ」
憮然とした気持ちを飲み込んで、再び少年の方を向いた。
少年は血の噴き出す脇腹を押さえて、剣を杖にし、立ち上がろうとしていた。
震える生白い脚に、鮮血が一筋、二筋、幾筋と伝う。
「参ったって、言ってくれ」
少年は黒ずんだ目を見張った。
歯を剥き出して、曝け出すのは敵意だけ。
「頼む、死ぬぞ」
僕が一歩ちかづくと
「アア!」
叫び声をあげて、無造作に剣を振った。
空を切った剣。
支えを失った少年は崩れ落ちた。
それでもまた立ち上がろうとする。
木から滑り落ちた芋虫のように、もがいて、蠢いて。
「わかった、もういい、だったら僕の負けだ。参った。これで終わりだ」
野次の声に失笑が混じった。
異様な雰囲気を感じて、ノギスを見た。
「すまん、言い忘れていた。降参が認められるのは、戦闘を続行できないくらいの怪我を負ったときだけだ」
「ふざけるな! それじゃあ、それじゃあ……」
少年は立ち上がっていた。
まるで蘇ったばかりの屍かなにかのように覚束ない足取りで、こちらに向かってくる。
焦点のぼんやりした瞳には、未だに害意の火が灯っている。
少年の振り上げた剣を弾く。
少年の剣は呆気なく手から零れた。
しかしそれでも、少年は僕に組みかかろうと手を伸ばしてきた。
恐怖が首の後ろを突き刺すような感覚がして、慌てて飛び退く。
柵にぶつかり、背中に痛みが走った。
柵は内側に向かって棘が出ている。
それを失念していた。
少年は僕の首に掴みかかると、柵に押し付けてきた。
「ああああッ!」
僕の口から悲鳴が上がった。
それは少年を押し返すのに力を込めて、思わず口を出た気合いの叫びだった。
痛みで裏返りさえしなければ。
僕の悲鳴で一気に会場が沸き上がる。
「ぐ、くっ、はな、せッ!」
少年は威嚇するように歯を見せて、荒い呼吸が歯の隙間を通り抜けている。
フーッ、フーッという喘息めいた呼吸に、涎が混じる。
血走った眼は生気を取り戻したようにもみえるが、僕と少年の足元には血溜まりができている。
不意に目が霞んで、意識が薄れてきた。
どこか恍惚とした感じさえある。
「か、あ」
行き場を失った呼気が、おかしな音を鳴らす。
目の前にスクモがいて、僕は路地裏でスクモと遊んでいた。
隣家ではマンナが、マンナの両親と話をしていた。楽しそうに。
シュラが家の外からマンナを呼ぶと、マンナは嬉しそうに駆けだしてきた。
相変わらず目元は髪で隠れている。マンナと合流した僕たちは――
「――い」
誰かしゃべっている。
暗い天井は、朱色に染まり、波打つように暗闇が入り乱れる。
それから僕を覗き込む顔。
無精髭に、ぼさぼさで白髪交じりの髪。皺の多い顔。
「おい、起きろ」
嗄れた声。
ノギスだ。
目は真剣だが、特に心配している風でもない。
「気付いたな」
詰め寄るくらいはしてやろうと思って、体を起こそうとした。
背中や肩がずきりと痛んで、呻いた。
周囲を見れば、僕を囲うように人だかりができている。
既に土俵の外だった。
「相手の子供は」
「死んだ。運が良かったな」
ノギスが土俵を指差した。
血溜まりに沈み込むように倒れる少年の体があった。
それを見て僕がなにを思ったか。
なにも思わなかった。
ただ、相手が死んで、僕が生き残って、それだけだった。
「二人目なのか?」
呟くと、ノギスは怪訝な目を僕に向けた。
「知らねえよ。三人目かも知れねえし、四人目かも知れねえ」
「つまり二人は死んでるんだな」
「なにを言ってる。お前が殺したんだろう。そら、とっとと起きろ、傷を隠すぞ」
ノギスは強引に僕を担ぎ上げた。
痛みに思わず暴れたが、まったく無視された。
そして会場の奥に行くと、鋼鉄の扉があった。
見張りの奴隷が会釈して扉を開ける。
中にはいくつものベッドが並んでいた。
傷だらけの子供たちがそこに寝ている。
ベッドの上には一つ一つ、籠が吊り下げられていて、籠には紺色のゼリーのようなものが入っている。
それが照明のように光って、ベッドに横たわる少年たちを紺の光で照らしていた。
僕は空いているベッドに寝かされた。
ノギスが、籠を吊り下げる紐に付いていたつまみを捻る。
籠のゼリーが光って、僕に紺色の光が注いだ。
「しばらくじっとしていれば傷は塞がる。が、完治するわけじゃねえから、傷が塞がっても当分は大人しくしていろ」
「魔導具なのか?」
「そうだ。傷が塞がる頃にまた来る」
そう言ってノギスは立ち去った。
僕は目を閉じた。
あの大男が目に浮かんだ。
大男の持つ大刀が周囲の者の首を刎ね飛ばす。
ああ、それから、大男が突進して、どうなったんだっけ。
師匠が助けてくれたんだったか。
記憶が曖昧だ。
目を開けた。
紺の光が眩しい。
寝返りを打つと、自分の手が見えた。
赫灼とした血に塗れ、肌の色がなかった。
ぎょっとして目を瞠る。
手には血なんて付いていなかった。
いや、付いてはいるが、肌を覆い尽すほどではない。
僕はまた目を瞑った。
あの少年が血の海に沈んでいた。
目を開けた。
「…………」
しばらくすると、部屋の扉が開いて
「アサツキ!」
師匠の声が流れ込むように響いてきた。
びっくりして体を起こすと、体が痛んだ。
しかし傷は塞がっている。
「おい、勝手に入るんじゃねえ」
ノギスが後からやってきた。
それを無視した師匠は僕の姿を認めると、つかつかと歩み寄ってきた。
目は吊り上がって、引き結んだ口からは、今にも声が上がりそうだ。
師匠は僕の傍までくると、服の襟を掴み上げた。
「なに考えてるのよ」
いつになく厳しい目が、凝るように僕を見詰めた。
僕はつい口ごもってしまう。
「なにをしたかわかってるの」
僕は無意識のうちに目を伏せていた。
師匠の顔を見ては言えなかった。
「……人殺し」
「……そう」
師匠が手を離した。
「そうなの」
「おい、迎えに来るのは結構だがな、もうしばらく待て。まだ支払いも済んでねえんだ」
そう言って師匠の背後に立ったノギス。
師匠は拳を振り上げて、振り返り、拳を振った。
ノギスは仰け反って避けた。
「この、クソ野郎!」
空気を裂く怒号。
ノギスは飄々として
「お前も同類だろうが、善人にでもなったつもりか」
「あんたと一緒にしないで。性根まで腐ってない……!」
「よく言うぜ。お前が今なにをしているのか、知らない俺じゃ――」
師匠が服の裾に手を突っ込んだ。
引き抜かれたのは短剣。
白刃が打つようにノギスの懐へ向かった。
ノギスの手が、下から師匠の手を抑えた。
ノギスを切り裂く寸前で刃が止まる。
師匠の手が力の籠もる余りに震える。
師匠らしくもない力任せだ。
ノギスは放るように師匠の手を離した。
後姿で、師匠の表情は窺い知れないが、背中からやるせない怒りが伝わってくる。
なにに対しての怒りなのか、僕には判然としなかった。
また新たに部屋へ入ってくる者があった。
首輪からして奴隷らしい。
奴隷はノギスに、ぱんぱんに膨らんだ、布の小袋を手渡した。
その中を検めたノギスは、袋を僕に放って寄越した。
ジャラリという音と共に、重量感が僕の掌に生まれる。
「報酬だ。治療代は差し引いてある」
袋に詰まっていたのは銀貨だ。
小さめの銀貨で、確か三番目くらいに価値が高い。
具体的にどのくらいの価値かよくわからないが、多分これくらいあれば、普通の人なら三か月くらいは暮らせると思う。
師匠がそれを、怒りを押し殺したような目で見ていたので、さっと自分の後ろに隠した。
「今日はもういいだろう。迎えも来たことだし、帰って説教でも喰らうんだな」
「あんたにこそ必要なんじゃない?」
「失せろ、奴隷」
言い争いを始めるノギスと師匠。
手に負えなくなりそうなので、僕はベッドから降りて、師匠の服を引っ張った。
ぎろりと睨まれる。
「帰りましょう」
不服そうな様子だったが、師匠が僕に手を差し伸べた。
それを掴むと、強い力で握り返される。
ぐいっと僕の腕を引っ張るようにして、師匠は歩き出した。
闘技場を出て、階段を上り、外に出て、通りを進み、見知らぬ建物に入り、階段を上り、その先の扉を抜けると、見覚えのない通りに出た。
人通りは多い。
どこか雰囲気は明るく、見上げれば大魔晶が生えている。
オルトウエの裏通りを抜けたようだ。
師匠は無言で歩いた。
そのうちに見覚えのある場所に出て、家が近付いたとわかる頃。
師匠が口を開いた。
「二度とあそこにはいかないで」
「…………」
「約束して」
「…………」
師匠が立ち止まって振り向いた。
ただただ哀しい目をしていた。




