第四十九戦「はじめての剣闘」
「ちょっと待ってろ」
先に抜け穴に入った僕に、ノギスが言った。
ノギスは書き置きを部屋の机に置いた。
「行くぞ」
そして抜け穴を潜る。
抜け出ればそこは、薄暗い一本道。
魔晶の灯りが夢の渦中に住まう如く怪しげに燻る。
「お前にはまだ説明していなかったな」
言いながら、ノギスは歩き出した。
その苔色の背中を追う。
「先ず、オルトウエは闘技街だ。闘技街はわかるか?」
「闘技場とか、闘いに関するものが集まった区画ですよね」
「間違っちゃないが、正しくもないな。闘技街っていうのは元老院で定められた、戦闘行為による興行を認められた区画のことだ」
「……げんろう?」
立ち止まって、ノギスは僕を見た。
口はへの字に曲がっている。
「初級学校で習ってないのか?」
「まだ習っていません」
「この国でいちばん偉いのは誰か知ってるか」
訊かれて、初めて自覚した。
僕はそんな常識も知らない。
「ええと、魔導師?」
「魔導師、か。まあ、時と場合によってはそうなるかも知れんがな。この国でいちばん偉いとされているのは皇帝だ」
ここは皇帝が統治する国だったようだ。
「で、その皇帝が頭を悩ましたときに、その助けをするのが元老院だ」
「なるほど、皇帝の知恵袋ですね」
「そうだ。しかし皇帝を助けるといっても、今は元老院がほとんどの政を行っている。法律の制定もその一つだ」
「つまり僕たちは実質、元老院の統治下で暮らしているというわけですね」
「そうだ、物分かりが良いな。それに難しい言葉も知ってる」
「……それで、闘技街っていうのは?」
「さっきも言ったとおりだ。要するに娯楽だよ。殺し合いを見たい奴は金を払って見ていけってことだ」
「趣味が悪い」
「人ってのは強い奴が好きだ。強い奴が見たい。それだけのことだ」
広場に出て、右に曲がる。
人はまばらだ。
ちらちらとこちらを見てくる者もいる。
「話を戻すぞ。闘技街では見世物の許可は下りている。しかし賭博は禁止だ。そしてオルトウエは違法の闘技街だ」
「つまり、僕はこれから賭けられるということですか」
「そうだ」
やがてノギスと僕は、物々しい雰囲気の建物に辿り着いた。
砂色の外壁はなんの装飾もなく、塗料を塗った形跡もない。
圧迫感さえある壁には一か所、切り取られたように、長方形の黒い口が開いている。
大人一人分くらいの高さだ。
ノギスはそこに入っていった。
「俺だ」
「お前か」
ボウ、という空気が爆ぜる音と一緒に、炎が迸った。
内壁に取り付いていた松明に火が灯っている。
近くに人はいない。
きっと魔導具の類なのだろう。
建物の中には、さらなる地下へと続いて四角い渦を巻く階段だけがあった。
「さっきの声は、何処から?」
「さあな、付いてこい」
深い暗闇を降りていくと、やがて一つの部屋に着いた。
灯りは松明。
金属製の重厚な両開きの扉がある。
その前には、屈強な二人の男が立っていた。
裸の上半身は松明の灯りに照らされて、どこか物騒な雰囲気を醸しながら脂光りしていた。
腰に佩いた大刀はそこにあるだけで、唾を飲み込んでしまうような緊張感を与えてくる。
足元を見ると、大きな足に巻かれたサンダルは金属だ。
上から下まで見て、革製の首輪を嵌めていることに気付いた。
真ん中には魔晶らしき石が括りつけられている。
この二人は奴隷なのだろう。
ノギスは平然と、二人の男の前に立った。
「開けてもらおうか」
二人の男は、会釈すると扉を開けた。
ノギスは顔が利くらしい。
「そら、ここでお前が闘うんだ」
中は宴会場のような騒ぎだった。いや、事実として宴なのだろう。
中央に設けられた、正方形の土俵。
周囲は柵で囲まれて、土俵の内側に棘が突き出ている。
中で闘っているのは二人の子供だ。
どちらの子供も、僕より少し年上に見える。
服は腰巻きとサンダル。
アスラウヱで生まれ育ったのだろう、肌は青白く、塗れた血の対照が生々しかった。
身を守るものは兜。
剣を握り盾を持ち、殺意を荒っぽく相手にぶつけている。
そしてその周囲を囲むのは大人たちだ。
闘う子供の一挙一動に沸き立ち沈み、さらには酒や食物が飛び交う。
立ち込める異臭は、それらの酒や料理に、観客の熱狂と子供たちの血が混じったものだろう。
「あの、もしかして、ここって……子供だけが闘わされているんですか」
「そうだ。まあ安心しろ。参ったって言や、すぐに闘いは終わりだ。参ったって言えば殺されることはないし、参ったと相手が言えば殺す必要もない。初心者向きだろ? まあ、お前には余計なお世話だったかも知れないが」
最後の言葉の意味はよくわからなかった。
ノギスはここの元締めと思われる、鮫のような目をした男と何事か話した後、僕を土俵の近くに引っ張った。
「話は付けた。次がお前の出番だ。ほら、取り敢えず着替えろ」
言われて、腰巻き、サンダルの格好に。
そこに兜と盾、剣が手渡された。鈍い光に息を呑む。
本物の剣を握ったのは初めてだ。
思っていたより少し重い。
ノギスは僕を見て顔を顰めた。
「なんだその傷痕」
指差したのは、僕の肩と背中だ。
「背中のは鞭で、肩のは、多分、血魔法です」
「ふうん」
なんだか妙な沈黙をしたノギス。
なにか思うところでもあるのだろうか。
そしてノギスは気を取り直したように話を変えた。
「相手はお前と同じガキだがな、お前には魔導がある。闘って勝てない相手じゃないはずだ。まあもし負けそうになったら、参ったと言っちまえ」
ノギスの言葉に僕は頷いた。
それと同時に、会場が耳を弄するほどの歓声に包まれた。
先の子供の試合が終わったらしい。
柵が開けられると、一人は血みどろになったまま、自力で退場した。
一人は大人二人に担ぎ上げられて退場していた。
力なく腕が垂れている。
血が滴っている。
命は助かるのだろうか?
「行け」
ノギスが僕の背を押した。
緊張と恐怖が脚から首に纏わりついたまま、僕は小さな闘技場に立った。
向かいから、僕より頭一つ分背の高い少年が入場する。
柵が勢いよく閉じられ、重く鋭い金属音が緊張した心臓に障った。
「さあさあ皆さん、ここで飛び入り参加です」
会場の最奥にある高台。
そこに立って叫んでいるのは、あの元締めらしい男だ。
「戦鬼アマノナガセルの兜。彼の少年は先日、オルト広場の剣闘に乱入、咆哮のゲンザを刺し殺した、魔導の少年であります! 名前はアサ!」
「え」
男の紹介と同時、嵐のように歓声が巻き起こる。
それと同時に一瞬、頭が空白になった。
音が遠い。
景色が白い。
あの男は僕について言ったのか?
殺した? 刺し殺した? 誰を? なんの話しだ?
元締めの男は尚も叫び続け、僕と対峙する少年についてなにか言っているようだ。
そして少年は剣を構えた。
「おおーっ!」
幼い咆哮。
口は縦に開かれ、小さな歯が覗き、鼻柱には皺が寄る。
そして駆け寄ってくる。
子供が本気で殺しに来るという姿は、どこか不自然で、不気味で、そういった類の恐怖はあった。
けれど、それは本気で命の危機を感じたときの恐怖とは少し違う。
だというのに、僕の目には、少年の姿が、あの大男にだぶって見えた。
叩きつけられた剣は、僕の額に当たった。
鈍痛と激痛が額に現れた。
パタパタと液体が垂れ落ちる。
横薙ぎに剣が迫る。
反射的に上げた盾にぶつかった。
盾から剣が離れる。
今度は振り下ろされた。
盾で頭を庇う。
ガコンと盾を打つ音。
連続して響く。
力任せに何度も叩きつけられている。
僕は丸くなるしかなかった。
「おいしっかりしろ! 殺されるぞ!」
ノギスの声。
殺される。
その言葉は矢のように僕の脳裡を過ぎて、刹那に二つの光景を見せた。
狐の化け物とスクモ。
突進してくる大男。
なにを想うでもなく、僕は立つ拍子に、振り下ろされた剣を盾で受け流し、持っていた剣を突き出した。
剣は少年の脇腹を突き切り裂いた。
怯んだ少年を盾で殴った。
仰向けに倒れる少年を見下ろして、僕は浮きたつような感覚を覚えた。
それは寸前の灰色が侵食してくるような感覚を、全てを、塗り変えていく。
弾けるような歓声が鼓膜を叩いた。
「よし、よくやった!」
誰かが言っている。
「止めだ、止めを刺せ!」
倒れた少年は、切られた腹を抑えて、青褪めた顔をしている。
「殺せ、殺せ!」
興奮冷めやらぬ僕の頭の片隅に、どこか冷静な部分が生まれた。
あるいはそれは、勝者の余裕や慢心かもしれない。
けれども僕は、その部分の判断に行動を任せた。
「勝負は付いた。もう終わりだ」




