第四十七戦「自棄と臆病」
最初うごけなかったのは、なにが起きたか分からなかったから。
次に動けなかったのは、体が動かなかったから。
磔にされたように、体が言うことをきかない。
痙攣するように動いていた腕も、時間が進むにつれて微動だにしなくなった。
スクモはゆっくりと顔を離した。
照れたような上目遣いで、耳まで真っ赤だ。
ぶん殴ってやろうかと思ったが、やはり体が動かない。
呼吸もできない。
苦しくなってきた。意識が――
「あ、ごめん、これでどう?」
僕は息を吸わされた。
僕の意思はない。
呼吸の自由さえない。
なにが起きているのかわからない。
一つだけ分かったのは、スクモが僕に唇を付けている間、僕の体にスクモの魔力が流れ込んでいたということだけだ。
それと同時に、僕の体から魔力が流れ出ていた。
恐らくは口を通して、スクモの体へ流れ込んでいたのだろう。
しかし、それが今の状況にどう関係しているというのだろうか。
スクモはうっとりとした顔で、僕の頬に手を添えた。
「アサツキ……ううん、お兄ちゃん?」
くすくすとスクモは笑う。
「どっちでも同じことだよね。うん。本当だね。お兄ちゃんの言ったとおり、したいようにしておけば良かったんだよ。もう崖から落ちたようなものだもん。私が誰かなんて、もうどうでもいい」
スクモの頬を涙が伝い、それから僕の胸に顔を埋めるように、スクモが抱き付いてきた。
僕の体は勝手に動かされて、スクモを抱き締める。
「ねえこの先は? アサツキ」
まるで前のスクモと今のスクモが混ぜこぜになったような口調。
こっちの頭までが混乱してくる。
僕は今だれを相手にしてるんだ?
「こうしてると、私は幸せだよ、お兄ちゃん。それで、このあとはどうすればいいの? 幸せになったらそこで終わりなの? 怖いよ。幸せだけど、私はこれ以上なにもできないよ。怖いんだ。私の所為じゃないのに、私の後ろからなにかがやってきそうで、不安で怖くて仕方がないんだ。幸せは守らなくちゃならない。けど、けど、けれど……!」
取り留めのない言葉と一緒に、スクモの腕が締まる。
まるで僕を逃がさないという意思表示だ。
しかし、大穴の空いた網みたいに心許ない。
スクモは泣きじゃくっていた。
「助けて、助けてくれ……お兄ちゃん! 私は、どうしたらいいんだ! もう私は誰にもなれない、ユウハブル・ダンネラ・スクモではいられない! お父さんとお母さんの子供でもいられない! シュラのお姉ちゃん? 笑わせるな! 私は、罪人の皮を被せられた亡者だ!」
……この世界の森羅万象には、魔力というものが備わっている。
この魔力は、生命の源と考えられている。
魔力と物質が混ざり合うことで、生命が誕生するというのが定説だ。
つまり魔力は生命の素であり、魔力は生命そのものだ。
「私を殺したいほど恨んでいる連中がごまんといるんだ。今の私に、お兄ちゃんを守れるのかな、お父さんとお母さんを、シュラを、どうやって守ったらいいの!? もういっそ、私が殺したいんだよ。誰かに奪われるくらいなら、私の手で壊したほうがずっとましだよ!」
魔力を媒介と呼ばれる特定の物質に透過させると魔導が発生する。
媒介として適した物質は魔晶と呼ばれる。
魔晶は組み合わせや加工によって、特定の魔導を起こす、魔導具となる。
「それとも、やっぱり、私が、死んだ方がいいのかな。要らない子だから。要らない? 父上は私が必要だって言ってたけど、嘘なんだよ。父上が必要だったのは、私の眼。何度も何度も抉り出されて、辛かった、苦しかった……!」
人体には魔力管という魔力を通す管がある。
これを改造することで、人は魔力を放出したり、呪いを受けたりする。
つまり、人間は一種の道具だ。
魔導具だ。
そして魔導師というのは、魔導具を製作し、改造し、研究する人間。
であるならば、スクモが行ったのは、僕の体の改造かもしれない。
そしてそれは自然、魔力によって行われただろう。
魔力そのものであるはずの生命が、魔力の効験に抗えるはずがない。
だから、スクモという魔導を熟知した人間に体をいじられれば、普通の人間に希望はない。
僕の今の状況は、ざっとこんなところだろう。
不幸中の幸いが、僕はもう普通の人間とはいえないということだ。
一番ちかい言い方をするなら、病人だろうか。
普通の魔力管を流れる魔力に手出しはできない。
だから僕は、最悪の気分になるのを覚悟で、魔力管を切り換えた。
「お兄ちゃん……ごめんね、わけわかんないよね。お兄ちゃんはなにも訊いてこなかったら、前のあいつも今の私もなにも話さなかったけど――」
「おい」
「へ?」
僕はスクモを突き飛ばした。
ベッドに仰向けに倒れ込んだスクモは目を見開いたが、咄嗟の判断、身を起こして僕に顔を近付けた。
二度も喰らいたくはない。
僕の両手はスクモの首を捕まえて、ベッドに押し戻した。
両手に体重を乗せて、スクモの首を絞める。
もう少しで骨の感触がありそうな、華奢な首。
空気を求めて、スクモの口がぱくぱくと開閉する。
顔は紅潮している。
どうする、このままだと殺してしまうが、このまま解放してしまえば、いずれなにをやらされるか分かったものではない。
この怪物に――
急に視界が暗くなる。
嗚呼、やっぱり最悪の気分だ。
呪いで汚染された魔力を、自分の体にぶちまけた。
その影響で、魔力は正常に流れなくなった。
結果、スクモの支配からは逃れたが、自身の体を壊してしまった。
体に力が入っているのかどうかも分からない。音が遠い。
「…………ん」
少しずつ音が戻ってきた。
少しずつ感覚が戻ってきた。
目の前にはスクモの瞳がぼんやりと浮かんでいる。
どこか作り物くさい瞳だ。
体に圧迫感がある。
スクモが僕の上に乗っているせいだ。
ああ、くそ、また顔が近い。
というか、唇が触れている。
感覚がだいぶ戻ってきた。
スクモの重み、体温を感じる。
「私を殺したい?」
スクモがしゃべると、唇が羽のように軽く触れる。
体の動きが鈍く、腕を持ち上げることすらできない。
既になにかされた後だ。
「殺しておくべきだったかもね」
喋ることはできた。
唇がこそばゆい。
スクモはじいっと僕を見詰めた後、起き上がった。
不意に体が自由になる。
僕は体を起こし、手を閉じたり開いたりして、動きを確認した。
いつも通りのようだ。
向かいに座るスクモを睨む。
スクモは涙を堪えながら笑い、両腕を広げた。
「殺してもいいよ」
「今度はなんのつもりだ」
「わかったでしょ、私は自分を抑えられない。どうあってもお兄ちゃんに迷惑を掛ける。大丈夫、枕の下のそれがあれば、後のことはナムヂがある程度めんどう見てくれるよ」
枕の下には、前のスクモの魂を封じた魔晶がある。
この魔晶に封じられているスクモに体を与えて戻すことが、僕の本来の目的だ。
目の前の偽物にかかずらう暇はない。
今までがおかしかったのだ。
このスクモに、前のスクモの面影を追っていたのが間違いだ。
見た目が同じなだけなのに。
僕は、スクモの首にもう一度、手を伸ばした。
スクモは、震えていた。
唾を嚥下して、喉が動いた。
ゆっくりと力を入れる。
スクモの呼吸が弱くなる。
スクモの両手が、僕の手首に掛かる。
なぞるように腕を辿って、僕の頬に触れる。
僕はスクモの首から手を離した。
「お兄ちゃん?」
スクモの声が、降ってくるみたいに聞こえた。
「やめるの?」
「うん」
「どうして?」
「怖いから」




