第四十四戦「喧嘩兄妹」
シュウ父さんに初級学校とはなにか訊いた。
「つまり塾かあ」
この世界の子供は七歳を迎えると、教師となる人物のもとへと赴き、読み書きや算数を習うのだという。
そしてチグサさんが、この辺で初級学校を開くらしい。
「読めるのは薬の名前くらいだからな」
一般教養の習熟には不真面目な僕だった。
「でもチグサさんは少し苦手なんだよな。いや、魔導の研究さえ関わらなければ良い人のはずだ。ひょっとしたら、魔導についても教えてくれるかもしれない」
「さっきから、ぶつくさ、ぶつくさ、気持ち悪い。本も読んでないのに」
部屋のベッドの上。
スクモが開いた本越しに言った。
「スクモだっていつもぶつくさ言いながら本を読んでるんだし、大差ないだろ」
「本を読んでるんだから、声に出るのは当然でしょ」
不満に思いつつも黙る。
どうやらこの世界では黙読が一般的ではないらしいのだ。
「そういえば、いつもなに読んでるの」
「アルカギリ家に伝わる薬の一覧」
僕はスクモの隣に座って、本を覗き込んだ。
文字がぎっしり。
「読めないな」
「馬鹿」
スクモは本の一文を指差した。
「マガの花粉には止血作用がある。傷口に塗布する。干すか炒るかすると長持ちする。煎じて飲むのも可……走り書きだね」
読み上げながら、幼い指先は白い残像を紙面に作った。
読み終えると同時に、透明な爪先がぴたりと止まる。
僕はスクモの顔を見た。
僕の視線を横目で捉えて、にわかに僕とスクモの間の距離が空く。
「な、なに?」
照れたように頬を上気させた。
「凄いな、スクモは。って思って」
「わ、私は……」
視線を彷徨わせた後、スクモは項垂れた。
「すごくない」
「どうして?」
「だって、私の知識じゃないから」
「でもスクモの知識だ」
「私はあいつじゃない!」
触れてはいけない部分に触れたのだろう。
涙を滲ませた眼で、スクモは僕の胸倉に掴みかかった。
「お兄ちゃん、わかってくれないの!? 私はあいつじゃないんだよ、あいつの所為で私自身は空っぽだよ! 積み重ねた年月は全部あいつのものなんだよ!? わからないかな、わからないよね、お兄ちゃんには!」
泣き崩れるスクモに、僕は……。
「うん、ごめん、さっぱりだ」
それ以外に言える言葉がなかった。
スクモは嗚咽を漏らしながら、涙を拭っている。
「ぜんぶ嘘なんだよ、知識も、魔導も、今喋ってる言葉だって、私が学んだものじゃないんだよ。全部が借り物で、全部が偽物。姿もそう。この体だって魔導でいじくった紛い物。私はお父さんの娘でいいの? お母さんの子供でいいの? シュラのお姉ちゃんでもいいの? お兄ちゃん、お兄ちゃんだけは、私と一緒……」
「来い」
僕はスクモの腕を引っ張って、家の裏口に出た。
スクモは為されるがまま、表情は困惑していた。
地面の砂を蹴り上げる。
砂煙が足元を這い尾を伸ばす。
「砂剣は作れるな」
僕は地面の砂に手を翳し、魔力を送って巻き上げた。
握ったときの久しい感触は砂剣のもの。
「どうするの?」
「スクモも」
言われた通り、スクモは砂剣を作った。
「打ち込め」
「え?」
「全力で」
ますます困惑した顔。
おろおろ僕と砂剣を見比べる。
「僕に不満があるんだろ?」
その言葉に、ぴたりとスクモの動きが止んだ。
「気に入らないんだろ。だけどそんなのはお前の都合だ。僕の知ったことじゃない。もっと言うとな、僕はお前のことが好きじゃない。急に出てきて妹面すんな。さっさと前のスクモに戻って欲しい」
唇をわななかせ、より涙を零し、抑えきれない呻きを漏らして、スクモは蹲った。
「お互いにお互いのことが気に入らないんだ。だから、闘おう。ほら、打ち込め」
一歩スクモに近づいた瞬間。
「あああぁ!」
砂剣を振り上げられた。
不意を突かれたが、避けるのには苦のない間合い。
スクモは怒りの表情で、一合目を交わした。
「馬鹿じゃないの!? こんな、こんなことして満足するのはお兄ちゃんでしょ!? 私は、私は……!」
悔しそうに歯を食い縛ると、スクモは砂剣を振りかぶった。
それを正面から受ける。
何合か切り結ぶと、スクモが僕の腹を蹴った。
距離を取った後で、スクモの足元で砂が巻き上がった。
砂に目を眇める。
砂が落ち着くと、スクモの手に握られた二本の砂剣が目に付いた。
「二刀流……?」
一刀が首筋に迫る。
受けるが、二刀目が腹を突いた。
「んぐッ」
怯んでしまう。
再度打ち下ろされる砂剣。
払い除けるように砂剣を振る。
一刀が肩に当たった。
当然だがスクモの手数が多い。
所々防ぎ切れない。
耐えかねた僕はスクモに抱き付いた。
いわゆるクリンチというやつだ。
「ッ……」
僕もスクモも肩で息をしている。
いつの間にかスクモの腕が下がっていた。
手にあった砂剣は砂に還っている。
「なにしてるの」
裏返った声でスクモが言った。
「もういいだろ、痛い」
しばらくそうしていると、スクモが僕の背に手を回して、顔を俯かせた。
スクモの吐息が胸に熱い。
スクモの頭を撫でたのは、半分くらいは僕の意思だ。
指が黒髪を流れる。
「また泣きたくなったら、いくらでも付き合うよ」
「……お兄ちゃんがやりたいだけでしょ」
震えた声。
スクモの手が僕の背中に回った。
服を強く掴んでいる。
「……うく、っひく」
背中を擦ると、握った拳の力がより強くなった。




