第四十一戦「壊れない玩具」
チグサさんの家はごっちゃごちゃのぐっちゃぐちゃだった。
ゴミ屋敷だ、ゴミ屋敷。
たかが数週間で、どうやったらここまで散らかせるんだ。
しかも、廊下を埋めるゴミは得体の知れないものばかりだ。
なんだこれ、抜け殻? こっちは、干物か?
「あの、チグサさん」
「すみません。ここ最近は忙しくて、片付けに手が回っていないのです」
そう言ったチグサさんは、すいすいとゴミ溜めを進んでいく。
慣れている。
僕はといえば、ときに足をもつれさせ、ときに肉が腐ったような悪臭に悩まされながら、奥の一室に辿り着いた。
「ここの地下です」
チグサさんが床にあった板を退けると、階段が姿を現わした。
冷たい風が撫でるように這い上がってくる。
「ここを降りるんですか?」
「はい。怖いものなどありませんから、安心してください」
「怖いわけじゃありません」
階段を降りる。
僕は革製のサンダルを履いているが、冷気が靴底を通り抜けてくるような感覚だ。
「そんな恐る恐る降りなくても平気ですよ」
後ろでチグサさんが言った。
「暗くてよく見えないんです」
「これでどうでしょう」
パチン、とチグサさんが指を鳴らした。
すると、左右の壁がうっすらとエメラルドグリーンに光った。
「これは?」
「壁に魔導具を埋め込んであるのです。単なる照明ですが、面白いでしょう?」
階段を降りきると、それなりの広さがある部屋があった。
一人暮らしくらいなら余裕で出来るだろう。
ただし、怪しげな物が所狭しと並んでさえいなければ。
部屋の中心には、革張りの椅子があった。
前面は赤く、背面は黒い。
背もたれが長く、やや寝ている。
座れば仰向けに近い態勢になるだろう。
椅子の後ろには、石で造られた譜面台のようなものがある。
部屋の隅には、薬剤やらなんに使うのかしれない刃物や針に鋏。
桶なんかもある。
床には見たこともない紋様が錆び付いたような赤色で描かれていた。
「その椅子に座ってください」
チグサさんが言った。
言われた通りにしようと、椅子に近づいて、入口へ体を向けた。
チグサさんの後ろに、スクモがちょこんと立っていた。
「なにをやってるんだ」
僕の言葉に、チグサさんはわけのわからなさそうな顔をした後、僕の視線の行く先に気づいて、背後のスクモを見た。
「あなたは、確か……」
「見学」
スクモが言い放った。
「いけません、魔導の研究は門外不出です。おいそれと他人に見せられるものではないのです」
チグサさんが諭すように語りかけた。
「今回だけ見せて」
「できません……なにを持っているのです」
スクモの手元を見て、チグサさんは言った。
明らかに興味を惹かれている。
スクモはチグサさんに手を差し出した。
掌に黒い丸薬が乗っている。
「欲しい?」
スクモはそう言って笑ったが、瞳の光は獲物を捕らえたときのそれだ。
「おい、それ店の棚から盗ってきたんじゃないだろうな」
あの丸薬は胃腸薬だ。
木炭を作るときに木酢液というものができるのだが、これを沸騰させて、不純物を分離、精製して得る、特殊な油を原料としている。
アスラウヱでは材料となる木が貴重なため、それなりの高級品だ。
「お兄ちゃんが心配することじゃないよ」
「つまり盗ってきたのか」
後で叱らなければ。
チグサさんは丸薬を見詰めて、なにかぶつぶつと呟いていた。
呪文でも唱えているかのようだ。
「これがあればでもてをだすわけにはいやしかし……」
「チグサさん?」
びくっと背筋を伸ばしたチグサさんは、さっとスクモの掌から丸薬を掴み取った。
平然と僕のほうへ歩み寄り、石の譜面台の前に立った。
「さあ、アサツキ君。椅子に座ってください。始めます」
「え、あれ、スクモのことはいいんですか?」
「はて、なんのことを言っているのですか。ここには私とアサツキ君しかいませんよ」
見えていないことにしやがった!
スクモが居ても、僕には関係ないのだが……なんとなく気に入らない感じがするのはなんでだろう。
スクモを見ると、スクモは淡く笑って見せた。
「さあ、早く始めましょう。座ってください、座って」
チグサさんに急かされて椅子に座る。
土くれの天井を仰ぎ見る格好になった。
「では始めます。それなりに痛みを伴うので頑張ってください」
「え、そんなの聞いてな――」
体の筋肉が独りでに緊張して、足を攣ったときのような痛みが全身を襲った。
「あっ、がっ……!」
「本来ならば拘束具をつけておくのですが、生憎とこの装置は子供の大きさに合わせていません。処置椅子から転げ落ちないようにしてください」
後ろでチグサさんが言うけど、応える余裕などありはしない。
部屋中が赤く発光しだした。
血管を針金がぐりぐりと潜り進むような感覚と痛み。熱い。
全身の毛穴に錐を突き刺されているような狭く鋭い痛み。
血液が沸騰するような苦しみ。
「これは、なるほど、見習いの段階は優に超えていますね」
赤く滲んだ視界に、チグサさんが顔を出した。
虫の脚をもいで楽しむ子供のような笑顔だった。
「アサツキ君、見えますか?」
「な、なにがっ」
「アサツキ君の魔力管を可視化しているのです」
「ええっ?」
「腕を上げてください」
腕を上げようとしても、独りでに力が入っているせいでうまくいかない。
ぶるぶると震わせながら、自分の腕を視界に入るまで持ち上げた。
腕は赤く、透けるように光っていた。
光っているのは、管状のなにかだ。
いつか見た、人体解剖図のような。
これが血管ではない別物だということがわかるのは、管の煩雑さが部位によって随分と異なっているからだ。
掌には隙間がないくらいに密集しているが、腕なんかは太く真っすぐな管が数本あるだけ。
他にも細かい部分で色々あるが、血管ではないのは確かだ。
「これが魔力管ですか?」
「そうです。正式には魔力経路管と呼びます」
「でも、魔力管がどんな風に体を巡っているのか調べられないんじゃ?」
以前、スクモがそう説明していた。
「今まではの話です。ふっふっふっふ、ふふふ、うふふふふははハ!」
堪え切れなくなったように、チグサさんが笑い出した。
「アハ、ハハハハ、ふっふ、アハハハハハハハ!」
それはもう狂ったように。
チグサさんは僕の視界を離れて、延々笑い続ける。
その代わりに僕の視界へと入り込んだのはスクモだ。
僕の手首を掴んで、じっと腕を観察している。
「凄い」
スクモの意思とは無関係に、その桜色の唇が動いたようだった。
「あはは、はぁ、はぁ……失礼しました。なにしろ魔導史に残るような快挙でして、つい抑え切れなくなりました」
チグサさんが僕の視界に戻ってきた。
「ち、ちょと、待って、ください……」
全身がへし折れそうな苦痛に涙が出てくる。喋るのも一苦労だ。
「なんだか、今日、はじめて、成功、した、ようなっ! ……っ口振りですけど?」
「ええ、調整と資料収集のために何人か使ったんですが、装置の出力に耐え切れなかったのです。その点、魔力管の発達したアサツキ君は、子供と言えども耐えることができたのですね」
「それじゃあ、失敗する可能性も、あったんですかっ」
「全くないということはありませんが、大丈夫だろうという予測は立っていました。一番いい線をいった実験体でも、砂の魔導を発生させるほどではありませんでしたから」
それでもし失敗していたら、どうなっていたんだよ、くそう。
「さあ、それではアサツキ君の呪いの原因を探っていきましょう、と言いたいところですが、調べるまでもありませんね」
「え?」
「ついでですから、呪いの他に異常がないか調べていくことにしましょうか」
そう言ってチグサさんは、視界から外れた。
カチャカチャと金属音がするから、なにかの道具を用意しているのだろう。
不安に駆られてスクモを見た。
スクモは興味津々で可視化された魔力管を見ていた。
それはもう、地上に興味を示したシュラなんて比べ物にならないくらいに興味津々だ。
以前のスクモならそれも分かるが、今のスクモもこういうことに興味があるのだろうか?
今のスクモは前のスクモを敵対視してるから、なんでもかんでも前のスクモと反対のことをやろうとしていると思っていた。
そして、それが上手くできないから苦しんでいるのだと。
「ねえ、スクモ」
「なあに?」
スクモは魔力管から目を離さずに返事をした。
「興味あるのか?」
そう言ってみると、スクモは言葉を詰まらせて、視界の外に消えていった。




