第三十七戦「よくない兆候」
今日も今日とて僕は一人だ。
咳をしても一人。
一人で剣闘の稽古をするようになって久しい。
久しいと言っても、数か月も経っていないが。
チグサさんが僕の治療をすると決めてからしばらく経つ。
未だに治療は受けていない。
そのことをチグサさんに訊きに行ったら「まだアサツキ君の体には余裕があります。焦ったり急いたりしても疲れるだけです。もっとじっくりと腰を据えて掛かりましょう。……準備にはまだ時間が」と言われた。
そういえば以前、前のスクモが「魔導師は時間が掛かることを好む」とか言っていた。
チグサさんもその例に漏れないということなのだろうか。
スクモと言えば、どういうわけか最近めっきり大人しくなった。
少し前までの情緒不安定ぶりが嘘のようだ。
心配になるくらいだ。
しかしまあ、大人しい分には困らないからいいか。
それにスクモのことはそれほど重要じゃない。
重要なのは師匠のことだ。
師匠のことをシュウ父さんに掛け合っても、相変わらず相手にされない。
梃子でも動かん、と言った感じだ。
なにをしても効き目がなかった。
僕の駄々も、師匠の優秀さについて力説しても、終いにはあのこっぱずかしい好きなんです宣言を掘り下げたりもした。
これ以上は打つ手なしだ。
やれるだけやった。
それでも諦めきれない僕は、もっと手はないかと考えながら剣闘の稽古をしている。
稽古と言っても、すりこぎを一人で振り回しているだけだから、格好が付くものではない。
砂剣を作れるようになったのに、すりこぎを使っているのは、チグサさんに魔力を使うなと言われたからだ。
魔力管を流れる魔力が呪いにどんな影響を及ぼすかわからない、とのことだ。
すりこぎを振る。
目の前に敵はいない。
師匠を助け出す手を考える。
……助け出す?
師匠を窮地に追いやったのは僕だ。
僕が師匠についていかなければ、師匠がナムヂのところ戻ることもなかった。
僕がいなければ、師匠は今頃どこかへ逃げ果せていたんじゃないのか。
また僕の所為か、マンナのときと同じか!?
「クソッ!」
すりこぎを地面に叩きつけた。
こんなもん振り回したって、一向に強くはなれない。
なにもできないままだ。
もっと強くならないと。
我儘を通せるくらい強く。
弱いままだから元の家にも帰れない。
強くなるには闘わなければならない。
誰でもいい。前のスクモみたいに、相手をしてくれる人が欲しい。
「無駄だな……」
僕はすりこぎを拾って家に戻った。
貯蓄庫の鍵を、砂の魔導で作る。
魔導を使うなと言われているが、この程度なら平気だろう。
そう思っていたら、ふいに咳き込んだ。
口元を押さえた手に血が付く。平気じゃなかった。
ともかく、すりこぎをしまって子供部屋に戻る。
部屋にはスクモがいて、スクモは静かに本を読んでいた。
最近のスクモは僕が話しかけない限り、ずっとそうしている。
「…………」
僕は物入れから布を取り出して、血を拭った。
あまり血を吐いているところを家族に見せたくない。
見られたらなにを言われるかわからないから。
それから特にすることもなかった僕は、店の方へ出た。
店にはシュウ父さんとアザミ母さん、そしてシュラがいた。
シュラはしばらく前から店に出ている。
手伝いという名目だが、まだ幼いシュラに手伝えることなどそうありはしない。
手伝いよりも、シュウ父さんが暇をみてシュラに薬のことを教え込んでいた。
薬のことは僕もたまにシュウ父さんから教えてもらうが、シュラの熱心な様子を見る限り、将来は僕なんぞよりずっと薬に詳しくなるだろう。
そもそも僕は薬が苦手だ。
昔はスクモから薬のことを教わっていた。
やがてシュウ父さんからも教えてもらうようになった。
すると知識に食い違いが出てきたのだ。
この世界の薬というのは多分に家庭的で、家に代々伝わる調合が多いのだとか。
スクモとシュウ父さんの薬の知識は似通っている部分も多かったが、まるっきり違う部分も少なくなかった。
どちらが正しいのか僕にはわからないし、深く考えるのをやめた。
以来、僕の薬についての知識は浅いままだ。調合とかもしていない。
「手伝ってくれるの?」
僕を見て、アザミ母さんが言った。
嫌悪も瞋恚も恐怖も、憎悪も悲愴すらもない。
慈しみと温かさに満ちた微笑。
いつも通りのアザミ母さんだ。
僕が僕とスクモの告白して数日も経たないうちに元通りになった。
始めは明らかに、得体の知れないものを見るような目つきだったのに。
「なにか手伝えることがあれば」
「それじゃあ、ここにいてもらえる? お客さんがうっかりお金を払わずに、棚に並んでいる物を持って行こうとしたら言ってね」
「わかりました」
つまりは万引きの監視だ。
引き受けると、アザミ母さんはお客さんのところへ向かって、話しを始めた。
世間話や、薬の説明をしている。
アザミ母さんの澄んだ声が嫌になって、耳を塞ぎたくなる。
いつも通りの様子、いつも通りの態度。
まるでなにもなかったかのようだ。
僕の告白を、アザミ母さんはどのように受け止めたのだろう。
シュウ父さんに相談した素振りはない。
お客さんとの話しを終えたアザミ母さんが僕の横に戻ってきた。
「アザミ母さん」
「ん?」
「僕がしたあの話し、どう思っているんですか」
「あの話しって、あの話し?」
「その話しです」
そう返すと、アザミ母さんがくすりと笑った。優しく僕の背中に手を当てる。
「アサツキが自分のことをどう思っていても、私にとっては、大切な子供だから」
僕はアザミ母さんから顔を背けた。
背けずにはいられないくらい、頭をかち割りたくなった。
それだけじゃない。苛々する。
辺りの物を手当たり次第に殴りつけたくなる。
理由も分からない衝動だ。
罪悪感やらなにやらは、アザミ母さんに真実を話すことで和らぐと思っていた。
確かに和らいだ。
ほんの少しだけ。
そして少しだけ和らいだ分の何倍もむかついている。
「……僕は、あなたの子供じゃありません」
喉の奥から、勝手に突いて出た言葉だった。
「アサツキ?」
幸いにも、アザミ母さんには聞き取れなかったようだ。
そうして時刻は昼を回った。
休憩のため、シュウ父さんが一旦、店を閉めようとしたときだった。
「御免下さい」
店先に、茶色い甲冑の男が立った。ナムヂだ。
唐突な登場に、この場にいる誰もが動きを止めた。
ナムヂはそのまま店の中に入ってきた。
「何の用だ」
シュウ父さんが言った。
「先日のお詫びに」
「不要だ」
「そう仰らずに、受け取ってください」
「受け取る?」
「ええ、こちらになりやす」
ナムヂがそう言って手渡したのは、真っ黒な腕輪だった。
腕輪は光沢を帯びていて、金属というよりは、漆器のような質感だ。
「なんだこれは」
「魔導具の一種ですね。奴隷の拘束に使いやす」
「これをどうしろというんだ」
「まあ説明させてください。その腕輪は奴隷用の首輪と対になっていやす。よく出回っているような奴隷拘束の魔導具は、首を絞めたり、体を痺れさせたりしやす。これには欠点があって、大事な資産である奴隷に傷をつけやす。しかしこの魔導具は、使用すると奴隷の体から力を奪うんです。仮に立っているときに使用したらば、へなっと、腰が抜けたようになりやす。この魔導具は貴重なんですが、先日のお詫びに差し上げやす」
「要らん、我が家に奴隷はいない」
「そう仰ると思いやして、奴隷も一緒に差し上げやすよ。今後とも良い関係が築けるように」
そう言ってナムヂが合図した。
その合図に従って、店の前に姿を現したのは師匠だった。




