第四戦「転生準備」
「それで、どうするんです」
「先程、言った通り、だれかの胎内に居候させてもらう」
僕の困惑を気に留めず、スクモさんは手を引いて歩く。
「あの、それって、無害なんですよね? 僕にも、その……居候先の人も」
スクモさんは横目で僕を見た。それから顔をそむけて
「無害だ」
「どうして目を逸らすんです、スクモさん?」
その後、何度、問い直しても、スクモさんは「無害」と言い張った。
「本当に無害なんですよね?」
「仮に無害でなかったにしろ、誰かの胎内に宿らなければ消滅だ。腹を括れ」
呻きながらも、同意するしかなかった。
そうこうしているうちに廊下を抜けた。
この闘技場の出入り口だ。見上げる程に高い天井。賑わう広間。
通り過ぎる人たちを観察していると、髪色や顔立ち、細かく言えば体格までが様々で、色々な人種が入り混じっているようだ。
ふと視線を感じた。
遠くにいる女性だ。その女性と目が合った。
黒いローブに、魔女帽。茶髪は肩まで下がっている。顔色は蒼白だ。切れ長の目が少し見開かれているように見えた。
女性と僕の間に人が入り乱れる。
僕はその女性を見失った。
「あの、スクモさん」
「なんだ」
「僕たちの姿って見えないんですよね」
「そうだ。どうかしたのか」
「いいえ」
気のせいか、あるいは霊感というのがこの世界にもあるのか……。
闘技場を出て、スクモさんは店が立ち並ぶ区画へ歩いて行った。
長屋に似た石造りの建物が並ぶ。そこで様々な店が営まれていた。
スクモさんいわく商業区らしい。
往来の真ん中でスクモさんが立ち止まる。
「スクモさん、どうしました」
「うむ。では、好みの夫婦を探してきてくれ」
「え?」
「裕福で、夫婦仲が良く、健康で、多少の我がままも融通を利かせてくれるのが理想だ。もっとも、私としては君の意見を優先したい。不自由はさせないと約束したからな」
なんだか不安だが、探さないわけにもいかない。
僕は渋々、居候に良さそうな夫婦を探し始めた。
スクモさんと別れ、裏路地に入る。
裏路地は立ち並ぶ店の裏手に面していた。
店の奥が生活空間になっている家が多いらしい。
桶とか干された服がある。
遊んでいる子供たちもいる。生活感のある空気だ。
しばらく散歩の気分で歩いていた。
「それにしても」
僕は呟く。
「スクモさんは横暴だ。いきなりこんなとこに連れてきて、闘えだのなんだの。僕は普通の高校生だぞ。いきなり殺すし……あれ、僕が死んだのって、やっぱりスクモさんが殺したってことかな? いかん、これはあとで問い詰めねば。それにしても、なんだよ、夫婦を見付けて、その奥さんの体に居候って。変態くさいぞ。あれ、そういえば生まれ変わるとか言ってなかったっけ。あれ、胎内、居候、生まれ変わりって……ま、まさか」
僕はああでもないこうでもないと言いながら、道を右へ曲がり左へ曲がった。
「お前らなにをしている!」
突然、男の怒声が響いた。すぐ横の家からだった。
中から、男の怒り狂う声、別の男が喚く声、女の泣き叫ぶ声が聞こえる。
ただごとではないと、壁をすり抜けて、家に侵入した。
修羅場だった。
腕のぶっとい、丸顔の男が顔を真っ赤にしている。
細面の男が、丸顔の男に首を絞め上げられている。細面の男は全裸だった。
その二人の側で、なにか叫んでいる赤毛の女がいる。
女は泣いていた。丸顔の男にすがりついているが、男は相手にしない。女も全裸だった。
これはつまり、不倫現場に出くわした夫が激怒して、間男をとっちめている場面というわけだ。
間男が泡を吹き始めた。
僕はそっと家を後にした。
ああいう夫婦を居候先に選ぶと危険というわけか。
家を出たところでスクモさんと出くわした。
スクモさんは隣の家からすり抜けてきたところだった。
「やあ、君はどこかに良い夫婦を見付けたかい」
スクモさんは笑顔で言った。
スクモさんは見付けたのだろう。
僕は修羅場を演じている家に視線を向け、首を振った。
「駄目だったようだな。では、こちらの家を見てくれ。気に入るぞ」
スクモさんが先導して家に入る。
家の中は橙色の光で照らされていた。
壁の燭台に朱色の水晶が納まっている。これが光っていた。
入った部屋は貯蓄庫かなにかのようだ。
液体の入った瓶が置いてあった。
他にも壺や釜が置いてある。
それと、たくさんの干物があった。
「乾物屋か」
「ちがう、薬屋だ」
よく見ると、見たことのない生物の干物ばかりだった。
トカゲっぽいのは脚が八本ある。スルメっぽいのは緑色だ。
干物以外だと、蜘蛛みたいなのがぎゅうぎゅう詰めになっている瓶とか、青梅みたいなのが青色の液体に浸かって、シュワシュワ泡を噴いている釜があった。
「不気味ですね」
「役に立つものばかりだ、毛嫌いするなよ」
家の中を進んだ。それなりに大きいようだ。
「表にはアルカギリ薬商という看板があった。繁盛しているようだ」
さらに進むと、商品が並ぶ部屋に出た。通りに面している。
ここがアルカギリ薬商の店頭というわけだ。
店員は二人だった。
一人は男。
カウンターの上で、黒いメザシみたいなのを秤にかけている。
店の奥から出てきた僕の、すぐ隣にいた。
黒い髪、薄赤い頬、真剣な眼差し。若々しさの象徴のようだ。
僕よりも年上に見えるが、きっと二歳か三歳くらいしか差がないだろう。
一人は女。
店先の入口辺りで、二人のおばさんと話している。
薬の説明をしているらしい。
薄い金髪の捲き毛は後ろで束ねられている。
色白できめ細やかな肌。ぱっちりとした目は碧眼。
まだあどけなさを感じる。僕と同い年くらいかもしれない。
若い、美男美女。
スクモさんに指摘されて、二人の手元を見ると、おそろいの指輪をしていた。
「こういう風習はこちらにもある」とスクモさんが言った。
「どうだ、申し分ないだろう」
スクモさんは胸を張った。
お隣さんが修羅場を演じていたのが気になるが、この夫婦については言うことない。
しかし、夫婦が善良そうであればあるほど、不安が大きくなってくる。
「浮かない顔だな、気に入らなかったか」
「いえ、この夫婦については、申し分ありません」
「では決まりだな、私は下拵えをしておくから、君は夜まで散歩でもしていてくれ」
「下拵えって、なにをするんです」
「色々と準備がいるだけだ。そうそう、天井にある大魔晶の光が弱くなったら夜だ。光は完全には消えないから、薄暗くなったと思ったら戻ってこい」
半ば強引に、僕は散歩に駆り出された。
あの若夫婦に対する不安が拭えないまま、僕は散歩し、辺りは薄暗くなっていった。
「僕は、なにか大変なことをしでかそうとしているのでは……」
人で賑わっていたこの区画も、次第に人の数を減らし、今ではどこも寝静まっていた。
アルカギリ薬商の前に、スクモさんが立っていた。
暗がりに一人でいるスクモさんは、神秘的に見えた。
白いコートが、そういう浮世離れした雰囲気を感じさせるのかもしれない。
スクモさんは綺麗な黒髪を耳にかけた。
「来たか」
スクモさんがこちらに気付いた。
「それで、なにをすれば?」
「ついてこい」
スクモさんはアルカギリ薬商の壁を透り抜けた。
そのままどんどんと奥へ行き、ある部屋で止まった。
ベッドがある。
寝室のようだ。
僕の不安はいよいよ最高潮に達していた。
「あの、スクモさん」
「なんだ」
「その、いや、なんでもありません」
きっと、聞きたくもない答えしか返ってこない。
「こっちにこい」
スクモさんは、ベッドに座りこんだ。
その隣には、あられもない格好で眠る女性。
さらにその横に寄り添って眠るのは、裸の男性。
言うまでもなく、アルカギリ薬商の若夫婦だ。
「下拵えは済んでいる」
その下拵えがなんなのかは、怖くて聞けなかった。
状況を鑑みるに、多分、そういうことだと思うけど。
「入れ」
スクモさんが指差したのは、女性の下腹部だった。
「無理です」
僕は拒否した。
羞恥心が間欠泉の如くに噴き出し、罪悪感がマグマの如く溢れだす。
もう許して下さい。
「いいから入れ」
「できません」
僕は泣いていたかもしれない。
「あとがつかえているぞ、早くしろ」
「と言うと、もしかしてスクモさんも!?」
「当然だ。双子は都合が良い」
「なおさらできません、無理です」
「いいから入れ、なにが不満だ」
「さ、サイズです。大きさ的に無理です」
「それなら心配いらない。今のこの体なら、好きな姿を形作ることもできる。小さくなることも可能だ」
「いやです、無理です! 勘弁して下さい!」
「ええい、もう、まどろっこしい、さっさと入れ!」
スクモさんは僕の後ろに回り込んだ。
僕は羽交い締めにされた。そして、頭を押さえつけられ……。
「いやだ、いやだああああぁぁ!!」
「さっさとしろ!」
この夜の出来事は、僕の心に深い傷をつけたのだった……。